失敗の許される世の中に
失敗は成功の元だからたくさん失敗しろとか言われるけど、実際問題一回失敗したらもう修正が効かない仕組みの世の中だから個性という物がなくなっていく。もっと根本から個性を活かせる仕組みに変えた方がいい気がする。
この世の中はおかしいと思う。
一回失敗したらやり直せない。
それに、高校では未来に使うはずのない物も勉強しなきゃならない。
だから、高校は大学と同じように特定の分野だけ、何度でも入学(入構)可能にすべきだと思うんだよ。
それに伴って大学の受験形態も変えるべきだと思うんだよ。
例えば大人は「どんな勉強もいつか使うから」なんて言うが、そんな大人に「じゃあサイン・コサイン・タンジェントを日常生活で使いましたか?」と聞くと「それはそれとして」と話を逸らして「俺/私もやったんだからやりなさい」ってなる。
結局、大人は「自分も苦労して勉強したんだからそれをみんな勉強すべきだ」という固定観念に捕らわれて、勉強の本質を見失ってるんだと思うんだよね。
現にほとんどの大人は「勉強して、いい大学入って、いい会社に入っていっぱい稼げ」なんて馬鹿げたことを言う。
もちろん俺が苦労する分にはいくらでも我慢するが、この教育で未来の若者が社会を動かせるか、ということを心配してるのよ。この就職難な今こそ、それぞれの職にあった、踏みいった実践的な教育をすべきなんだと思うんだよなあ。教育評論家さんはなんて言うか知らないけど、結局学力より実践的だと思うのね、今の時代。
やりたいことより勉強をして稼いでた時代とは違う訳よ。
古文できたら小説書けるの?
相対性理論理解したら万能細胞作れるの?
原子票暗記したら機械整備できるの?
英語ができたら政治家になれるの?
そういうことじゃない?
最後のポエティックなところはさておき。この部分については今もほとんど考え方変わってないですね。詳しくは「前花しずくの教育論」の方に書いてありますけど。今の社会って(割と世界中で)失敗したら終わりな風潮あると思うんです。自己責任論というんですか。「お前が失敗したんだからそのあとは自分でどうにかしろよ」みたいな。これは教育に関しても仕事に関しても全てのことに言えると思います。
そして教育に関して言えば「学び直し」というシステムが普及してほしいなと。それこそ「古典や漢文は要らない」と言われがちですが、ふとした瞬間に必要となるかもしれない。学びたくなるかもしれない。そういう時にちゃんと学び直せるようなシステムが整備されていた方が絶対に楽だと思いませんか。逆に言えばそれがあれば中高で(生活に直結する教科以外)詰め込む必要はなくなります。これは少しあらぶっている時から既にちゃんと考えていたんですね。
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