世界滅亡【4週間前】(真)
「みんな大っ嫌いだ」
言ってしまって、少し楽になる。少し呼吸できて、ヒトは息を吸うことより吐くことを意識しなければいけない、そう誰かの言葉を思い出した。
しかし苦しくなる。
いや、先程よりもっとヒドイや。
うう。
「ぐええええええええええええ」
粘液が口から溢れだす。自分の口から土に伸びる一筋の糸を、少女はただ見つめることしか出来ない。とても、動けそうにない。
腹ばいになって、ましていく吐き気と眩暈、他のもろもろに絶える。そう、これは一種の波だ。周期的に私を襲う、それはそれは天文学的な、波だ。
少女はさらに体を丸める、傍からも分かる体の震え。
夜はまだまだ終わらない。
「こんな世界、終わってしまえばいいのに」
半ば無意識的にそう言った。勿論、そんな簡単な少女の独り言で、壊れる世界じゃアないが。どうせ死にかけだ、何て思ってもみる。
皆死んでしまえは、死んでしまいたいと、果たして同義だろうか。
私は知っているのかもしれなかった。
知れるのかもしれない。
魔女の女の子、だからか。
はい、帰結。……。
* * *
油はこの街、私はブリキ、まるで呪いはマトリョシカ。
* * *
まだ、ガスと煙と埃が混じっていない、奇麗な空気。
少女は胸いっぱいに吸う。もう一度、今度は昨日の夜、散々だったムラムラが肺のあたりに残るのを、外に吐き出してしまうように。
スウッ、と、軽やかな音が鳴った。
はあ。
彼女はこの瞬間に思った。
一つは、どうして皆は早起きをしないのか、という事。
「あーー、今日も空気が悪いなあ」
「あーー、今日も人がゴミのよーだー」
「何ならこの街自体……、っと、私情ッ」
粗大ごみだ何て云わない、不燃だと判明しているから。
街を歩くマスク・ド・ヒューマンのひとりごち。
少女は真似てみる。喉に手を当て、低く潰すように。しかしグラスを軽く震わせたような、よく透る声の可愛らしいのが響くのだった。
そしてもう一つ。
ああ。
「ねむいッ!!」
ちょっと気分を変えようとしても、ダメだ。新鮮な空気が頭の中の、巨大な倦怠にぶつかり、霧散していってしまう。
こればかりは仕方ない。
ただ、いつもよりヒドイ。昨日の夜が、いつも通りかと舐めてかかったら、存外ハードで。多分、いくつかの心当たりはあるが。
疲れてんのかなあ。
「っと、いけないいけない。もう、こんな時間じゃないか。」
金色の長髪が、熱を帯びて光っている。
陽が、丘の斜面から鉄塔、その中に座る彼女を一直線につないだ。その眩しさを手で遮る彼女には、反対にまだ暗い街の全貌が映る。
油街、それが眼下に広がるまちの名前。
死にかけ、即席、不燃ごみ。そういう事に意味は無い、それにみんな聞き飽きたのだ。
聞き飽きたと言えば、彼女の起きる早朝は、工事音が無いのも利点だ。昼になれば、耳を覆いたくなるような、都市開発の音が此処を覆い尽くす。
少し時間を食い過ぎた。
そう彼女、魔女の子は動き出した。
眠っていた鉄塔、つまりは送電塔の作業籠から足を下に伸ばし、器用にするすると降りていく。もし世界が違えば、ジャングルジムのようだ、などと表現しただろう。それか、2段ベッドを梯子で滑り降りるように、と。
地上に降り切って、小さな体を伸ばす少女。
そのまま、今おりた柱の足元にかけてある、桶の一つを取った。ジャブッツ、水の跳ねる音。ああ、次いで彼女はそう声を漏らす。
「まだマシになったね」
雨水に交じるサビに、目を擦る。
もちろん使われていない送電塔、通称魔女の家は、彼女の住居スペースである。街が見渡せる丘の上に、ポツネンと立っている。逆に、他に何もない。
だから例えば水は、この鉄塔の足元に街の路地裏で拾った桶をくくっておいている。雨が降れば万々歳、無くても朝梅雨でどうにかするッ!!
子犬のようにブルっと水気を飛ばし、もう一度上りだす。これも慣れたもんで、瞬きして次の瞬間、彼女は地上25mはありそうな鉄塔を上り切る。
そして、もちろん電気の通っていない電線に、足をかける。
両脚で、器用に上に乗った。わずかに揺れる線が、この先のたゆみの危険を感じさせる。線は、眼下の油街に伸びて消えている。
「さあて、行こうか」
彼女の初めの仕事は、彼女がこの街で一番早起きな事から来ている。それもこれも、住人達が彼女を追い出そうと、この鉄塔に追いやったからだろうが。
彼女も、自身のこの扱いについて、何処か言い返せないらしかった。現に、今日まで一度も、これ含む仕事、を、怠ったことはない。
揺れる線、先はまだ薄暗い油街。
しかしこの、『朝に、住人達を起こさなければならない』仕事は、うかうかしては達成されないのだ。そして今日まで、一度も失敗したことはない。
「新記録は5分45秒36、目標は5分ぎりッツ」
左腕の時計に、手をかける。時計は、06:55を表示している。
ぎっぎいいい。
線を大きくしならせて、何なら波立たせ、彼女はなんと、走り出しだす。
短距離選手にしては腕をしならせるように、姿勢は前のめり、それで顔を突き出してと、フォームはもう滅茶苦茶だ。
傍から見れば、溺れているようだと、そう言われるだろう。
ただし、皆はまだ眠りこけている。その頭上を走る電線に向けて、彼女は丘と街の間の闇を飛び越えていく。
走ると鼻から新鮮な空気が、頭を突き抜けるように入っていく。この高さと早さならなおさらだ、それが楽しくて、彼女は笑っていた。
電線は、今、街の上に差し掛かる。
と同時に、彼女は少しペースを抑え、代わりに手を口元に当てた。
そう、叫ぶために。
「おーーーはーーーよーーーーー」
おーーーーーーはーーーーーーよーーーーー。
でたらめに建てられたような建物群は、彼女の声を反響させていく。それが彼女も走りながら叫び続けるものだから、何人もの少女が同時多発的に発声しているみたいになる。効果はてきめんだった。
「うるっせえぞッ! もっと寝かせろや」
半分超えたあたりで、いつものように怒鳴られた。いつものことだ、気にしなけりゃあ良い。
さあて、記録はどうだろうか。
眼前の線は登りに差し掛かり、終点の工場地帯に差し掛かっていた。この先、もう一本の送電塔が彼女のゴールだ。
その先は、線が切れて分からない。まあ、燃えるゴミだったってことだが。
6:59
「おっしゃいいいい。新記録だッ!!」
そう言って、彼女は拳を突き出す。もう明るくなった町を背にし、反対の送電塔から眺めると、確かに丘は遠くに感じる。
そして、かかる影が寂しげだった。
「お花君に離すことが増えたぞ」
何はともあれ、まず一仕事終わったのだと、彼女は息をそっと吐く。ハア、続く入ってくる空気には、既にマイクロプラスチックと石油とタバコの合成物がイガイガと、交じっているのだった。
私が起こした町が、今、息を吹き返したのだ。
ふと、厭な考えが脳裏をよぎった。もし、もしだ。
「例えば、私が起こしてやらなかったら、この街は」
空気だけじゃない。工事音、そう都市開発という名の補強作業が、ガガガギギギぐぐぐ金属の削れる音を出す。
死にたくない、死にたくない、そう呻いてるみたいだ。いや、実際そうだ。
「*******」
云って後悔する、せっかくの気分が台無しだ。
はあ、あっ。
背後に広がる闇を見ないように、まあ街も街だが、これまた器用に鉄塔を降りていく。ここから一日かけて、向こうの送電塔、魔女の家に戻る。
それが、彼女、マギサの一日。
それが、魔女の子たる彼女の、生き方であった。
* * *
この工場地帯が、油街全体の4分の1をも占める。そして、向かい側、つまり丘側の4分の1は、所謂ゴーストタウンである。団地、そう呼ばれていたとも。
まあ、魔女の真ん前は嫌よね。
すると住人達は、中央の半分に、ぎゅうぎゅうになって暮らすことになる。
住居から学校、商業施設に至るまで詰めるに詰めるから、街が上に伸びるのは必然に思えた。さらに技術も材料も、人類は奪われてしまっていた。
『ブリキ缶を、うず高く積んだよう』そう、彼は言った。
ブリキ缶を彼女は知らない、知っているのは、今日も後に会う髭爺だ。彼女はだから首をかしげるものの、彼が言うのはそうなんだろうな、ぐらいに思った。
んで、それは食べれるモノだろうか、ぐらいである。
ねちょり。
そう、足裏から直に感じられた。音だけじゃなく、粘液というか粘りのある何かは、足について暫く取れない。
「注意していたんだけど……」
如何せん、暗い。
次の仕事場に向け、彼女は工場地帯を歩いていた。いつもなら、石敷きが冷たいが、今はねばねばで生暖かい。これはこれで、少女は顔が強張る。
まあ、次の仕事は楽だから。
先の電線綱渡りを笑顔でこなす彼女の感覚だが、これは本当に、楽なのかもしれなかった。一言、美しい、そう言えば良いだけだから。
たとい顔が強張っていようと、それこそ薄暗い此処ではあまり関係のないこと。
ゴウンゴウンッ。
右に左、左右、と。一切迷いなく、さっきから同じような建物群を進んでいく。白塗りの建物たちは巨大な高野豆腐だが、如何せん、黒い。
とても、おいしそうでは無かった。
さてやっと、彼女が立ち止まった時。目の前は行き止まりで、しかし目的地だったらしいのが彼女を見てわかった。
その視線の先、男が座っている。
大きなスコップを抱えて、ぼうっと、少女を見つめている。顔も、見た目も、まして年齢など分からなかった。ただ声で、男だと分かるのだった。
彼は言った。
「俺はこの仕事が、嫌で嫌でたまらないんだ」
コクンッ、そう軽い音が出そうな、少女は頷きで返した。
「んでも自然、とりかかってみると、何て言うかな。楽しい、は無神経かもしれねえが、ううんと、」
コクンッ、彼女はもう一度頷いた。が、話途中だと気付いて、ペコリ、そう音が鳴りそうな、小さく頭を下げるのだった。
男は礼を見てか、見ないでか、続けた。
「うんそうだ、始めちまえばやってるもんなんだ。分かるかい?」
今度はうまく、少女が頷く。
「こんな俺だが、周りからから見れば、醜い、のかな?」
いつも、彼はそう彼女に問う。
そして、これに対し彼女は、
「いいえ、美しいと思うわ」
こう返す。
これが住人から言われている2つ目の仕事、「男を働かせること」だった。これが、ただ美しいという事が、住人には出来ないらしいのだ。
少女はそれを、全くの陰り無く言えた。
男は頷く。そして起き上がってみると、その体躯は少女の2倍はあるように思えた。それか、少女がまだ幼いからだろうか。
少し横切るとき、油と何か熟した匂いがするが。それを含め、少女の美しいは本心から出た。
ただ少しだけ。
「私がこの街を、ふと美しく思うように」
とは、言わないだけなのだ。
そして次の場所に向かう。
いつの間にか足裏は冷たい石畳を直に感じている。これはこれで、少女は顔を曇らせるのだが。
街の中心部、ここが難所だった。
何しろ、人気があるのだから。
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