第22話 恋のアカナチオ・その1
吹きすさぶ寒風に身を切られる寒さの12月である。
自前の防寒着をたんまりと着込んでいるハンタマであるが、生来の運動不足か、それとも鍛えているのは胃袋ばかりのせいなのか、寒さには弱い。
食べる物以外には極力お金をかけない主義のハンタマである。
目ん玉が飛び出るくらいに安い家賃のボロアパートは、冷たい北風を客人として迎え入れていた。
要するに、隙間風が入りまくりである。
ハンタマは年季の入ったダウンジャケットを羽織り、部屋の隅で丸まっていた。
いつから使っているかもわからないそれは、もはやすっかり羽根が抜けてペラペラである。
寒い。いくら太っていたって、寒いものは寒いのだ。
だが世間の人から見ると、太っているのは寒そうに見えないのが困りものだ。
この人、デブなのに厚着していると思われてしまう。
こんな寒い日には、温泉にでも浸かってゆっくりしたいものだと思う。
でも、食事以外は永久名誉プロレタリアートのハンタマには、そんな贅沢をする余裕はない。
ふう。これが真冬になったら、どうなってしまうのだろう。
今のうちに食事を腹に溜め込んで冬眠した方がいい。
そう思って、インスタントラーメンを袋から出してバリバリとかじりはじめた。
せめてお湯くらいかけてほしい。
だが、そんな彼に、願ってもない仕事が舞い込んできたのである。
「は、温泉取材でありますか。それは、ありがたき幸せであります」
「バカモン!温泉取材ではない。オンセンロ
「オ、オンセンロ?なんでありますか、それは」
「おまえはほんとにバカモンか!」
翌日の東赤スポーツ編集部である。
鬼編集長の血圧が上がるのも無理はない。
それもそのはず、オンセンロ赤海といえば、スポーツ新聞の記者であれば誰もが知っていなくてはいけない、超有名なサッカーチームである。
静岡県赤海市に本拠地を置き、オリジナルテンといわれる、Jリーグ発足時にその名を連ねた10チームのうちの一つだ。
その歴史は古く、大正時代にまで遡る。
『蹴球夜叉』という小説で知られる大正時代の文豪、
平成になって、Jリーグ加盟を念頭にオンセンロ赤海と改められた。
だが、成績は芳しくなく、常に最下位付近をウロウロし、リーグのお荷物球団と揶揄された。
98年には、翌年のJ2発足に向けてのプレーオフで惨敗し、史上初のJ2降格チームとなってしまう。
さらにはJ2でも苦戦し、2012年に当時の三部リーグに当たるJFLに降格。
その後、2014年にJ3が始まり、J1、J2、J3と、全てのカテゴリーにおいて発足時に名を連ねるという、名誉なのか不名誉なのか、よくわからない記録を作った。
人気も凋落し、一時はサッカーファンでもその名を知らない泡沫球団へと転落してしまった。
ところが近年、ガラッとスタイルを変えて復活してきているという。
現役時代はそのしぶとい守備から赤マムシとの異名を取り、指導者になってからは日本代表監督の経験もある、名将・
やがてJ2に復帰し、今年はプレーオフに進出するまでの好成績を残した。
そのプレーオフ、すなわちJ1参入プレーオフで、一回戦、二回戦と勝ち進み、今週末の日曜日、とうとう決勝戦を戦うのである。
編集長が言っているのは、その試合の取材のことである。
「ただ試合の結果を伝えるだけではいかんぞ。ちゃんとチームに取材して、どうして低迷していたオンセンロが力を取り戻すようになったか、その過程を綿密にレポートしてこい!」
「は、はあ。綿密にですか。そういう仕事は僕ではなくて他の人にやってもらった方がいいかと」
大雑把なことにかけては自信満々のハンタマであるが、綿密さはかけらもない。
カップ麺にお湯を入れても、時間を計るのが面倒くさくて、いつも30秒ぐらいで蓋を開けてしまう。
「そんなこた、わかっとる!本当はおまえなんかに行かせたくないんだ。でも誰もオンセンロがプレーオフまで残ると思っていなかったんだ。他の記者はみんな忙しく仕事しておる。ブラブラしているのはおまえだけだ!わかったらとっとと行ってこい!」
そうなのである。調子を取り戻してきたとはいっても、誰もオンセンロがここまでやるとは予想していなかったのだ。
その理由を、ハンタマは赤海で知ることになる。
静岡県赤海市は日本有数の温泉街である。
伊豆半島の北東に位置し、温暖な気候と風光明媚な土地柄を活かして、古くから湯治場として栄えてきた。
首都圏からも近く、新幹線に乗れば東京から一時間足らずで行くことができる。
目の前に相模湾が広がり、開放感のあるビーチは、季節を問わず多くの観光客を迎え入れている。
明治大正期を通じて多くの文化人に愛され、名だたる作家たちが湯治を兼ねて執筆旅行に訪れた。
とりわけ中でも前述の赤崎紅葉は、赤海を愛した文豪として知られている。
代表作『蹴球夜叉』は、赤崎の自伝的小説と言われている。
それはこんな話だ。
主人公・
ひょんなことから、一枚の古地図を手に入れる。
それは室町時代に相模湾一帯を根城に活躍した、海賊・赤浦氏が隠したという、赤海の秘宝と呼ばれる財宝のありかを示す地図だった。
すぐさま赤海に移り住んで調査を開始する蹴一。
湯治場で知り合った、お摩耶という芸者の助けを借りて、見事赤海の秘宝を手に入れることに成功する。
それを元手に赤海に日本初のサッカーチームを創り、当時まだ日本でほとんど知られていなかったサッカーを、お摩耶と二人、手と手を取り合って赤海に根付かせるために人生を捧げた、一大伝記ロマンである。
よく知られた有名な一節にこうある。
『相模湾には、二人の前途を祝福するかのように、綺麗な月が浮かんでいた。サッカーボールのような丸い月だった。冬の満月に照らされて、赤海の秘宝も一層輝いていた』
困難の末に赤海の秘宝を手に入れた二人が、月を見上げて将来を約束するシーンである。
この場面は銅像になっており、どの赤海観光のガイドブックやパンフレットでも表紙になっている。
今、赤海に向かう新幹線の車内で、牛肉弁当と唐揚げ弁当を同時に食べながら、グルメ情報を調べているハンタマのガイドブックも、この銅像が表紙になっていた。
作中では、この後二人は結婚。幾多の困難を乗り越えてチーム創設、スタジアム建設へと進んでいく。
銅像は当初、二人が月を見上げたとされる砂浜近くに作られた。
月を見上げて二人肩を組み、蹴一がサッカーボールに足をかけたその姿は、赤海のシンボルとして地元住民や観光客らに親しまれた。
とりわけ恋人同士で赤海を訪れたカップルに人気で、実際にはこんな格好で結婚の約束をする人など、たとえサッカー王国ブラジルであってもいないだろうが、蹴一とお摩耶は理想のカップルとされて、恋人と一緒にこの像の前で写真を撮ると結ばれるという、一種の都市伝説まで生まれた。
だが長年の風雨にさらされた銅像は痛みが激しく、数年前に補修のために撤去された。
修復後は場所を移され、オンセンロ赤海のスタジアム・ビッグスパの第一ゲート入り口に設置されている。
ちょうどオンセンロがJ2に復帰した年である。
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