42.最後の大会

 四月下旬。季節で言ったらまだ春だけど、今日の気温は二十五度を上回っていてもう夏と言ってもいいだろう。ベンチへ戻って腕や首元から噴き出してくる汗を拭き取り、スポーツドリンクでしっかりと水分補給をする。家を出る直前まで母さんが冷蔵庫で冷やしておいてくれたスポドリがいつもよりおいしく感じる。

 少し早い夏を感じることになった今日、俺たち3年生にとって最後となる都大会が始まった。都大会は個人戦、団体戦の順に進む。個人戦にはシングルスとダブルスがあり、それぞれで予選トーナメント、本選トーナメントがある。

 今日は個人戦ダブルスの試合にハルと臨んでいる。俺たちは予選トーナメントで一回戦がシードになっているから、本選へ進むには四回勝ち上がる必要がある。

「出だしはお互い固くなっていたけど、徐々にほぐれてきたな。いいプレーも出てきた」

「そうだね」

 トーナメントの初戦は強豪でも難しいと言われるくらい誰でもプレッシャーがかかるものだ。いくら練習試合をしようがやはり本番の雰囲気は本番でしか感じられない。何試合かこなしてやっとエンジンがかかってくる感覚だ。でも初戦は中々エンジンがかからないことも多い。神経が図太いハルでさえそう言うくらいだから。

 それに加えて俺たちは〝最後の〟という枕詞がどうしても頭をよぎる。負けたら終わり。そう思うだけで体は固まってしまうものだ。現に最後まで緊張がほぐれず、これまで必死に練習してきた自分のプレーが出せずに終わってしまう者もいる。ちょうど三年前の俺みたいに。

「タイム」

 主審のコールでベンチから立ち上がる。

「よし、サービング・フォー・ザ・マッチだ。行こう!」

「うん!」

 自陣中央に置かれた二球を拾い上げ、ベースラインへ向かう。一度深呼吸をしてからボールを三回地面へつく。それから顔を上げて狙うコースを確認し、構えたポジションから青空に吸い込まれそうになるくらい高くトスを上げ、ラケットを振り下ろした。放ったサーブは狙い通りセンターへ入り、すかさず前へ詰める。相手のリターンをボレーで返し、更に前へ。たまらず相手はロブを上げてきた。でもこれなら射程圏内だ。バックステップを刻み素早く落下地点へ入り、照準を合わせて――

「15―0」

 並行陣の動き方はもう完璧に体に染みついている。サーブを打ったら前へ出て相手のリターンをボレーで返す。そうしたらまた前へ詰めて相手の返球を更に高い位置で返す。ただし最初から前へ詰めすぎるのはNGだ。ロブで抜かれる可能性があるから。後衛から前へ上がっていく時にまず基準となるポジションはサービスラインの辺りだ。ここで相手のストロークをひたすらボレーで――可能な限り深く――つなげてチャンスを待つ。相手の返球が甘くなったら前衛のハルがポーチに出るか俺がネットまで詰めて決める。

 時間はかかったけどひたすら練習に練習を重ねたんだ。今では自信を持って戦える。

 そして迎えたマッチポイント。俺のボレーに耐えきれなくなってたまらずストレートへ打ってきた相手のショットをハルが読みきりシャットアウト。

「ゲームセット――」

 お互いガッツポーズを見せてハイタッチを交わした。

 初戦をリズムよくものにした俺たちはそこから勢いに乗って勝ち星を重ねていき、予選トーナメントの決勝戦まで順当に駒を進めた。

「ゲーム吹野崎。ゲームスカウント5―3」

 予選決勝の相手は一条学園のペアだ。団体戦のレギュラーではないみたいだけど手強い相手だ。

 一条は白鷹と並ぶ東京の強豪校だ。言わずもがな選手層は厚い。実際ハルも最初にドロー表を見た時、予選決勝では一条のペアと当たるだろうと予想していたくらい俺たちとしては警戒していた。

 でも試合が始まってみると正直負ける気がしなかった。これは過信でも慢心でもなく、試合中の手応えがそう言っていたからだ。

「ゲームセット、ウォンバイ吹野崎――」

 自分でも信じられないくらい予選トーナメントでは手応えがあった。全ての試合で歯車が噛み合った気持ちのいいゲーム運びができたし、もちろんハルとの連携は大会が始まるまでに完璧に仕上げたつもりだったけど、試合を重ねるごとにますます深まっている。間違いなく勢いに乗れている。

 これで予選トーナメントは突破した。でもここからが本番だ。本選トーナメントは予選を勝ち上がってきた粒揃いのメンツが集う。予選でも勝ち上がるにつれて相手も強くなっていったけど、本選は更にそこから一段、二段とグッと厳しさが増す。どの試合も競ったものになるに違いない。

 でも俺たちの目標はあくまでも全国だ。拮抗した試合であろうと、相手の方が強かろうと、絶対に勝つ。今の俺たちの勢いは誰にも止めさせやしない。

 東京に与えられている個人戦ダブルスの全国出場枠は二つ。つまり出場権を勝ち取るにはあと五回勝って、決勝まで勝ち進まなければならない。予選で四回も勝ったのに本選でも五回勝たなければいけないのはドロー数が800以上もあるからだ。長い戦いになる。でも、必ず勝ち上がってみせる。 



 都大会個人戦ダブルス、本選トーナメント一回戦。

 ここからは相手のレベルも格段に上がり、予想通り一回戦から接戦となった。

「ゲーム吹野崎。ゲームスカウント6―5」

 序盤こそブレークを許し相手に先行される展開が続いてはいたけど、次第に相手の癖や弱みを見つけそこを重点的に攻めた結果、遂には連続でブレークに成功した。つい最近までは不安な気持ちから自分自身のプレーばかり気にしていたけど、予選を難なく勝ち上がってこられたことでプレーにも自信が出てきた。相手の動きも冷静に見れている。今までになく落ち着いて戦えている。

 続くゲームも勢いそのままに俺のサービスゲームをキープした。スコアは7―5と接戦ではあったものの、そこまで追い込まれた感じはなく無事初戦を突破した。

 二回戦もタイブレークへもつれ込む接戦となった。でもここぞという場面で嬉しいことにキレのあるサーブがセンター、ワイドともに際どいところに決まり、相手の浮いたリターンをハルがポーチで決めてサービスゲームを楽に取れたことが大きかった。二回戦は7―6で勝利を収め、三回戦へ駒を進めた。

「やっぱり本選は毎試合がギリギリになるね」

「そうだな。一歩間違えれば俺たちが負けていてもおかしくはない」

 いつもは調子のいいハルが真剣な顔をするとそのギャップのせいか説得力が増す。

「でも二試合とも接戦をものにできたのはでかいぜ! 間違いなく俺たちは今波に乗ってる」

 ハルはグッと握り締めた拳を見つめる。

「うん。次も、次も勝って、最後まで駆け抜けよう。東京に吹野崎旋風を巻き起こしてやろうぜ!」

 ハルと一緒にニコッと笑って頷いた。

 そこへ俺たちの会話を聞いていたのか、少し遠くの方からこっちへ向かって宣戦布告をするような言葉が飛んできた。

「残念ながらその旋風を巻き起こすのは俺たちだ」

 そう言って俺たちの前に立ちはだかったのは、山之辺と川口だった。

「なんでお前らがここにいるんだよ」

 早速ハルが山之辺に食いかかる。でも山之辺の雰囲気はいつもと違うように感じた。なんていうか、少し物腰柔らかな感じ。少しだけ。

 ハルは山之辺の顔の間近まで行ってガン飛ばしているけど、山之辺は少しもその表情を変えない。むしろ「フッ」と鼻で笑うくらいハルのことを相手にしていないようだ。これまでの山之辺ならすぐにカッとなってガン飛ばし返すのに。やっぱりいつもと違う。

「なぜここにいるのかって? そんなの決まっているだろう。お前らの次の相手が俺たちだからだよ」

 俺とハルは顔を見合わせて驚いた。本選三回戦。これに勝てばベスト8入りが決まる試合でまさかチームメイトと戦うことになるなんて。

「勝負だ」

 山之辺は真っすぐに俺を見て言ってきた。その目は俺になにかを訴えかけているような、そんな感じがした。



 コートを挟んで山之辺・川口ペアと対峙する。この光景は部内戦で何度も見てきた。でもここは都大会の本選三回戦という大舞台。見慣れた光景といえど気持ちは全然違う。

 部内戦では山之辺たちに負けたことはこれまで一度もない。とりあえず最初はいつも通りのプレーを心がけようとハルと決めた。

「ザ・ベスト・オブ・1セットマッチ。山之辺・川口ペア、サービスプレイ」

 山之辺のサーブからだ。腰よりも低い位置でボールをつき、そこからゆっくりとトスを上げる。体をしならせ、最大限にバネを使って放たれたサーブはセンターT字の中心にちょうど決まった。俺はかろうじてラケットに当てはしたものの、リターンは前衛の川口にポーチで決められた。

「15―0」

 ナイスサーブ。敵ながらあっぱれだ。あそこに決められたら手も足も出ない。

 続く山之辺のサーブは全てコースも厳しくスピードもあり、決して侮っていたわけではなかったけど1ポイントも取れずにゲームキープを許してしまった。

「ゲーム山之辺・川口ペア。ゲームスカウント1―0」

「よっしゃ!」

 山之辺は渾身のガッツポーズを決め、川口とハイタッチを交わす。その姿を見て俺はすぐに悟った。いつも通りじゃ勝てない。今まで山之辺たちとやったどの試合よりも、今日は最高のプレーをしなければ勝てない、と。

 続くハルのサービスゲーム。いつものハルはゲームが進んでいくにつれて徐々にスピードを上げていき、コースも厳しいところを突いていくのだが――

「今日は最初から全開でいく」

 一年間ペアを組んできたけど初めてのことだった。きっとハルも俺と同じことを悟ったんだと思い、俺は黙って頷いた。

 そう言ったハルはさすがで、山之辺に劣らないくらい速く、コースのいいサーブを連発し、サービスゲームをあっという間にキープした。山之辺たちは以前とリターンのサイドをチェンジしてきた――なにか理由があってのことだと思う――けど、そんなことはお構いなしに相手に持っていかれそうになった流れを一瞬にしてイーブンに戻した。

「ゲーム瀬尾・桜庭ペア。ゲームスカウント1―1」

 続く川口も山之辺とハルの二人に触発されるように、極限まで高めた集中力と絶対にブレークされないぞという気合いを見せる。俺たちも粘ってデュースまで持ち込んだけど、川口の巧みなショットに翻弄されブレークまでは届かなかった。

「ゲーム山之辺・川口ペア。ゲームスカウント2―1」

 次は俺のサービスゲームだ。

 試合前、俺は山之辺の雰囲気がどこか変わったと感じた。でも変わっていたのは雰囲気だけじゃなかった。以前はただただ力任せに打っていただけに思えたショットも、今日はしっかりとコースに打ち分けてきている。特にラリーになったらコースの打ち分けだけじゃなくスピンをかけて深くつないでくるショットを多用してきて、俺たちに簡単に並行陣を使わせないよう後衛のポジションに足止めしてきているのが分かる。ミスをしてもフラストレーションを感じているようには見えず、むしろ自分で感情をコントロールしているように見える。正直以前の山之辺からは考えられないプレーの数々だ。

 川口も変わった。川口は前から器用だなって思うほどコースの打ち分けは上手かったけど、細身ゆえにパワーがない印象だった。でも今日はラリーの時やボレーをしに前へ出た時にも、こっちがパワーで押されている感覚を覚えるくらい力強くなっている。そういえばよく見たら体格も前とは全然違って、上腕二頭筋とかすごくがっちりしている。いつだったか、俺が居残りでサーブを特訓していた時、「僕もサーブの威力がなくて悩んでいるんだよね」と一緒に練習した時があった。その時、パワーをつけるために家で筋トレもやり始めたと言っていたけど、その効果なんだろうか。

 それに以前のオドオドしていた姿も今日は見られない。代わりに自信に満ち溢れた表情をしていて、試合中も川口の方から山之辺に身振り手振りで訴えかけているシーンが多い。きっと互いで互いの弱点を教え合い、ともに練習を重ねて一緒に克服したんだろう。戦っていてひしひしと伝わってくる。悔しいけど、いいペアだなって思う。

「30―40」

 このゲームも一進一退の攻防が続く中、この試合で先にブレークポイントを握られたのは俺たちの方だった。ここはなんとしても乗りきらないと相手に流れを渡してしまうことになる。

「次のポイントの三球目、勝負に出る」

 主審コールの後、ハルからそう言われた。

 勝負に出るとは少しでも強引にポーチへ出てポイントを取りに行くということだ。つまり俺のサーブがいいコースに決まれば決まるほどポーチに出やすくなる。奇襲っちゃ奇襲だけど、そうまでしないとこのゲームはキープするのが難しいとハルは判断したんだ。俺はハルの意図を汲み取り、「分かった」と答えた。

 深呼吸をしてから、トン、トン、トンと地面に三回ボールをつく。サーブのコースを確認してトスを上げた。――よしっ、センターに入った! でも山之辺も素早く反応している。ハルは……予定通りポーチに出た。でも山之辺のリターンはハルがポーチに出た方向とは反対方向へ放たれ――

 パシッ!

「デュース」

 リターンは白帯に当たり相手コートに落ちた。

 あ、危なかった……。あと少しでもボールが高かったらストレートを抜かれていた。大量の汗が体中を流れているにも関わらず、一筋の冷や汗をハッキリと感じた。

「ギリギリまでポーチに出るそぶりは見せなかったのに、アイツ、俺の動きを最後まで見てやがった」

 その言葉からは今までハルから一切感じたことのなかった畏怖というものを感じた。それほどまでに今日の山之辺は手強い。決してこれまでのアイツと思って挑んではいけないということだ。

 ただ結果的に、このポイントで相手のブレークポイントをしのいだ俺たちがこのゲームをキープすることに成功した。

「ゲーム瀬尾・桜庭ペア。ゲームスカウント2―2」

 でも俺たちにあったのは嬉しさでも安堵感でもなく、危機感だった。

「一歩間違っていたら取られていたかもしれない」

「うん。全く侮れないよ。これまで戦ってきた相手の中で一番強いね」

「ああ」

 ハルも早い段階から二人の力を認め、神経を尖らせていた。

「やっぱりいつも一番近くで見られていただけあって、俺たちのことはよく知ってるな。対策も十分立ててきているだけあってやりづらい」

 ハルの言っていることももちろんそうだけど、ここまで勝ち上がってきたこと自体が山之辺たちの実力を物語っている。それに俺たちと一緒で、ここまで勝ち上がってきた勢いというものを強く感じる。危うく何度も呑み込まれそうになった。でも――

「絶対負けたくない」

「ああ!」

「絶対勝とう!」

「おう!」

 パンッ! と手が痺れるくらい思いきりタッチを交わした。それだけで俺の気持ちも伝わったし、ハルの気持ちも伝わってきた。これで十分だ。

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