28.日直の仕事

 二学期が始業した。始業式の今日は授業がなくて楽チンだ。と思っていたけど、校長先生の話とか、クラスに帰ってきてからも本田先生から大量の連絡事項があったりして、聞いていただけだったけどそれもそれで疲れた。

 ただ来月に迫った学園祭の出し物を決める時間だけは楽しかった。クラス委員の高橋が前に出てみんなから意見を募ると、想像以上にいろんなアイデアが出てきて驚いた。屋台に演劇、ストラックアウト。それならキックアウトもやりたいとサッカー部。ダンボールでビッグガンダムをつくるなんていう案も出た。でも結局多数決で決まったのは「執事・メイドカフェ」だった。まさか去年お化け屋敷との決選投票で敗れたものをやることになるとは。確か去年は一部の女子の猛反対にあって実現しなかったけど、去年の経験を踏まえてやりやすいものがいいという意見にまとまりカフェになった。まぁなににせよ学園祭は楽しみだ。

「最後に、今日の日直は……桜庭か?」

「あっ、はい。俺です」

 なんか嫌な予感。

「新しい教材が届いたんだが、悪いが運ぶのを手伝ってくれ。量が多くてな。よろしく頼む。じゃあ今日は解散だ」

 前の席に座っていた太一が振り返ってきて、「ドンマイ」と口を動かしたのが分かった。加えて俺の不運を楽しむかのように笑っている。太一め。

「きりーつ。気をつけー、礼」

『さようなら』

 はぁ、なんで今日に限って日直なんだよ、俺。ツイてないなぁ。せっかく今日は練習がオフだから久しぶりにどこかへ遊びに行こうと思っていたのに。

「しゅーん!」

 帰りのあいさつが終わるやいなや教室の扉がガラガラッと勢いよく開き、俺の名前を呼びながらドタドタと駆け寄って来るのが一人。堤だ。

「なんだよ堤。俺日直の仕事あって忙しい――」

「お前やるじゃねーか!」

 肘でツンツンとつつかれた。

「えっ、なに? 俺なにもしてないんだけど」

 はぁ? と驚いた顔を見せつけられる。こっちこそなにがなんだか分からないから、はぁ? って顔したいよ。

「ちょっと耳貸せ」

 堤の顔に耳を寄せる。

「お前、光野とつき合ったんだろ?」

「なんだそのことか」

 コソコソ話をするくらいだから、なんか俺やばいことでもしたのかと内心ビクビクしていたけど拍子抜けした。

「『なんだ』ってなんだよ! 学年で、いや学校で一、二を争う美女をお前が射止めたって聞いてこっちは慌てて来たんだぞ! 俺はB組の木村か松本あたりが射止めるだろうと思ってたんだけどなぁ」

 光野が学校で一、二を争う美女かだなんて俺は全然知らないけど――そもそも他クラスの女子のことすら俺はまともに知らない――堤は「何組の誰々がかわいい」とか去年よく言ってたな。それにしても噂ってこんなに早く広まるんだな。まぁ元凶は大体予想つくんだけど。あー、また一から説明しなきゃいけないのか。堤とか絶対信じてくれないよなぁ。面倒だなぁ。

「――で、どうやって射止めたんだよ?」

「桜庭。手伝い頼むなー」

「はーい! 今行きまーす!」

 本田先生ナイスタイミング! これで煩わしい問題から抜け出せる口実ができた。堤には悪いけど。

「わりぃ堤。俺先生に呼び出されてるから行かなくちゃ。でもこれだけは言わせてくれ。実は俺たちつき合ってはいないんだ。じゃあまたね」

「えっ? つき合ってないってどういうことだよ? おい待てよ! しゅーん!」

 ダッシュでその場から逃げ去った。ふぅ、なんとか事なきを得た。

「先生、お待たせしました」

「おぉ悪いな、手伝わせちまって」

 申し訳なさそうに言う本田先生は近くから見ると肩幅も広くて背も高いからめちゃくちゃ圧倒される。担任の先生じゃなかったら近づこうとは思わないだろうな。

 先生は体育の教員で部活はバレー部の顧問をしている。昔はこの体格を目いっぱい活かして相手コートにスパイクを叩き込んでいたんだろうなって容易に想像がつく。

「大丈夫ですよ」

「さっき堤となにやら話していたみたいだったけど、よかったのか?」

「はい! むしろ先生があのタイミングで俺のこと呼んでくれて助かりました」

「そうか」

 先生は不思議そうに首を傾げたけどそれ以上はなにも聞いてこなかった。

「でも先生、教材運ぶって一体なにを運ぶんですか?」

「二学期から保健の授業で新しく使う教科書が玄関に届いたんだよ。それを職員室まで運んでほしくてな。要は荷物持ちだ」

 なるほど、そういうことか。でも玄関から職員室って結構距離あるぞ。あまり荷物多くないといいけど。

 D組の前を通り過ぎようとした時、ちょうどハルが教室から飛び出してきた。

「おう、瞬! ――げっ、本田先生」

「げっ、とはなんだ」

「コラー! 瀬尾君! 待ちなさーい!」

 ハルの後ろから甲高いおばちゃんの叫び声がした。またハルのヤツなにかやらかしたな。

「じゃあな、瞬」

 ハルは慌てて俺に別れを告げると荷物を担いで一目散に駆けていった。そういえば昨夜に全米オープンの決勝があったな。多分ハルは録画したそれを早く見たくて急いでいたに違いない。俺も録っておいたから帰ったら見よう。

「廊下は走るな!」

 本田先生が注意した時にはハルはもう廊下の角を曲がっていて、姿は見えなくなっていた。

「まったくアイツは」

 先生が怒るのも無理はない。

 玄関に着くとそこには巨大な段ボールが二つあった。中を見てみるとビニールのひもで結ばれた教科書の山が十個近くもあった。

「うわー、こんなにいっぱい。こりゃ大変そうですね」

「まぁそう言わずに手伝ってくれよ。この量なら俺たち二人で二、三往復ってとこだな」

 その計算だと毎回両手で運ぶのは必至か。よーし!

「先生、こんなのちゃっちゃと運んじゃいましょう!」

「その意気だ!」

 早速第一陣を運ぼうと両手で持ち上げた。――おっも! 教科書って束ねたらこんなにも重いのか。先生は軽々と持ち上げているように見えるけど、俺はバランスを崩して少しフラついてしまった。

「おぉ、大丈夫か?」

 先生に笑われてしまった。

「大丈夫です。想像以上に重かったので少しバランスを崩しました。……ヨイショっと。もう大丈夫です」

「よし、それじゃあ行くか。無理はするなよ」

「はい!」

 職員室は階段を上がった二階の一番奥にある。玄関からだと結構遠い方だ。もうちょっと近ければなぁ。

「聞いたぞ桜庭。男子テニス部のキャプテンになったんだってな?」

「はい。もう毎日大変ですよ。合宿だっていろんな意味で疲れましたし。でも先生、俺がキャプテンになったってよく知ってますね」

「当たり前だろう。俺はお前の担任だぞ。……っていうのは嘘で、夏休みの終わりに久しぶりに小田原と飲みに行ったんだが、そこでお前がキャプテンになったことを聞かされたんだ」

「へぇ」

 本田先生と監督が飲みにねぇ。

「なんだその反応は。別に俺たちが二人で飲みに行ったっていいだろう」

「もちろんです、もちろん。ただ前から不思議に思ってたんですけど、先生と監督って妙に仲いいですよね」

 全校集会や行事の時に二人が仲よさそうに話しているところは何度か見たことがある。二人とも見た目がゴツいから、はたから見ればヤクザのそれにしか見えないけど。

「妙にってなんだよ。実は俺たち大学時代の同期なんだよ。アイツはその頃プロを目指していたから毎日練習で忙しそうにしていたがな。でもまさか同じ職場で働くことになるとは思わなかった」

 先生は「ハッハッハ」と腹から声を出すようにして笑った。それがびっくりするくらい廊下の隅々まで響き渡る。

 大学時代の同期だったのか。どうりで飲みに行ったりするほど仲がいいわけだ。でも監督が誰かと楽しくしゃべっている姿なんて想像もつかないけど。

 一往路目の職員室に着いた。両手の束を先生の机の脇に置き、すぐにまた玄関へと向かった。

 両手の荷物がなくなると一気に体が軽くなったように感じる。同時に足取りも軽くなる。歩きながら腕をグルグル回してストレッチをした。

「監督ってその……しゃべるんですか? 本田先生の前だと」

 先生の笑い声がまた廊下に響いた。

「あぁ、もちろんしゃべるぞ。よくって程じゃないが、それなりにな。だが桜庭の疑問はもっともだと思うぞ。アイツ、生徒の前じゃ怖い顔ばっかりして無口そうだもんな」

 怖い顔は先生だって同じじゃん、ってつい言いそうになったけどなんとか押し殺した。でも同じ怖い顔でも本田先生の方がまだ話しやすい。去年も俺の担任をしてくれたからだけど。

「でもな、俺の前だと決まってお前のことを褒めてくるんだぜ」

「えっ? 俺のことをですか?」

「キャプテンとしてチームをまとめていることもそうだが、努力を怠らず日々成長し続けているって。おっと、これは内緒な。本人には言うなって口止めされているんだ」

 再び玄関に着いた。両手に合計10キロの重りを持っていざ二往路目へ。

「監督がそんなことを……。でも俺、まだ自信ないです。自分のことで精いっぱいなのに部のことまでまとめないといけないなんて」

「最初は誰だってそうだぞ。慣れるまでに時間はかかるかもしれないが、がんばってみな。きっとその先には最高の眺めが待っているはずだ」

「はい!」

 階段を一段一段上がり歩みを進めていく。

「そういえば先生。合宿中に監督の過去の話を聞いたんです。その……暴力事件のこと。先生は知っていたんですか?」

 本田先生の顔が少し強張ったように見えた。やっぱり聞いたらまずかったかな。

「でも俺、監督は全然悪くないと思ってますよ! その生徒の態度が悪かっただけで」

 俺は慌ててはぐらかすように言ったけど、先生は毅然とした態度だった。

「確かに俺もそう思う。でも殴ってしまったらダメだ。小田原が全て悪くなる」

「でも――」

 シーッ、と先生に合図された。二往路目の職員室に着いていた。両手にある束をさっき置いた横に同じように並べて職員室を出る。

「実はな――」

 先生はさっきと調子を変えて楽しそうに話し始めた。

「事件後、小田原をうちの学校に誘ったのは俺なんだ」

「えっ!」

 先生はいかつい顔をくしゃくしゃに丸めて笑った。

「アイツがいいヤツだってことは俺が身をもって分かっているし、事情を聞いたら俺もかわいそうに思ってな。確かにアイツが暴力を振るったと聞いた時は驚いたけど、もし自分がアイツと同じ立場だったら俺もそうしていたかもしれないから、他人事には思えなくてな」

 監督を吹野崎に呼んだのがまさか本田先生だったとは。……待てよ。ということは今のテニス部が、ひいては今の俺があるのはこの人のお陰?

「ただ学校側としてはそこはシビアな問題でな。一度暴力を振るった者を受け入れるのには強く反対されたんだ。でもアイツのよさを知っているのは俺だけだったから、何日も何日もいろんな先生に頭下げてお願いしたり、校長にも何度も直訴してようやく了承してもらえたってわけ」

 三度玄関に戻った。教科書の束はあと五つ。さっきまでのように二人とも両手で運ぶだけでは持ちきれない。

「よし、じゃあ桜庭はこれまで通り二つ頼む。あとの三つは俺が持つ」

 そう言って先生は三つの束を胸に抱えるようにして持ち上げた。「ヨイショッ」と喉から漏れた声が三束の重量を物語っている。俺は思わず「すげぇ」と声を漏らしてしまった。

「俺もまだまだ現役よ。さぁ行こうか」

 最後の往路に就く。さすがに俺も握力の限界が近かったけど、先生の姿を見たら弱音なんて吐いていられない。

「監督は先生に救われたんですね」

「救うだなんて、そんな大層なことはしていないさ。俺はただ友のためにできることをしただけさ」

 本田先生は1年の時から俺の担任だけど、今初めてかっこいいと思った。それを本人に伝えたら、「今までは思わなかったのかよ」って痛いところを突かれてしまったから俺は苦笑いでごまかした。でも監督と先生の間にある絆は確かに感じられた。

「ただ小田原のヤツ、まだ結果を出せていないことに焦りを感じているようにも見えたな。自分を救ってくれた学校にまだ恩返しができていないって」

 監督は吹野崎に来て今年で六年目になる。焦り、か。それはまだ全国へ行っていないということなのか?

「俺からしたら十分な結果を出していると思うがな。バレー部なんて一回戦に勝てればいいくらいだからな」

 ハッハッハ、とまた先生の笑い声が廊下に響いた。

 ゴールである職員室に着き、所定の場所に荷物を置いた。『終わったー』と先生と一緒に背伸びをした。

「お疲れ。これやるよ」

 先生は机の上にあった未開封のお茶をくれた。

「ありがとうございます」

「こちらこそ手伝ってくれてありがとう。助かったよ」

 ビニールのひもを握り続けていた手はまだジンジンしている。

「もうじき大会かなにかあるのか?」

「今月の中旬から新人戦があります」

「そりゃ俺たちと同じだな。お互いがんばろうや」

 肩をポンッと叩かれた。

「はい!」

 失礼します、と職員室を出てからもらったお茶を一気飲みした。うめぇ。

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