12.手応え
これまで球出しやラリーなどの基礎的なメニューが大半を占めていた練習も、夏が過ぎるとより実践的な練習にシフトしてきた。
「次、ダブルスのポーチ練習!」
『はい!』
ポーチとは後衛同士のラリーに前衛が割って入りボレーで打ち返すことだ。ダブルスでポイントを取る上では重要なプレーになる。
「後衛はラリーでいかに相手の後衛を崩していくか、前衛は相手の後衛が体勢を崩した瞬間を見逃さずにポーチへ出ることを意識しろ!」
『はい!』
順番にコートへ四人ずつ入りダブルスの陣形――雁行陣――を取る。そこから片方の後衛が球出しをして練習を開始する。
最初にコートへ入ったのはハル・川口ペアと、堂上・堀内先輩ペアの四人だ。早速後衛の川口と堂上がラリーを始める。やはり相手が堂上なだけあって川口は分が悪そうだ。必死に粘ってはいるけど徐々に押され始めている。堀内先輩も今か今かとポーチのタイミングを伺っている様子だ。でも、それまでなりを潜めていたハルがいきなり忍者の如く颯爽とポーチへ飛び出し、堂上のショットを鮮やかにボレーで決めた。
「ナイスポーチ瀬尾!」
ハルは「よっしゃ!」と堂上に向かってガッツポーズをするも、それは華麗にスルーされてしまった。ハルは堂上の態度が気に食わなかったのか眉間にシワを寄せて不機嫌そうな顔で帰ってきた。
「すごいねハル! あの劣勢な状況をポーチ一つでひっくり返すなんて」
「そうだろ! でも堂上のヤツにはスカされたけどな。もっと悔しがれってんだよ」
ハルの堂上に対するライバル心の方がすごかった。
「今は川口のボールが一球だけ深く入って、堂上の体勢が一瞬崩れたからね。そこを狙ったんだ。川口も堂上相手によく粘ったよ」
監督も言っていたけど、ポーチに出るタイミングとしては相手の後衛が体勢を崩した瞬間だ。でもその見極めが俺にはまだ難しい。
「正直俺から見ればさっきの堂上は体勢を崩しているようには見えなかったよ。やっぱりそこは経験の差なのかな」
「うーん、どうかな。でもポーチには度胸も必要だからね。ストレート抜かれるのは怖いけど、一度出るって決めたらドーンとね」
度胸ねぇ。どっちかというとハルには恐怖心がないように思えるけど。
「テニスはボールを持って考えることができないスポーツだ。だからこそ一瞬で判断を下してプレーに移さなきゃいけない。そのためには打つ前にいかに情報収集して準備できるかが大切だ。特に前衛の時は後衛にいる時と比べて、相手の返球からボールに触るまでの時間が早い。だから周りの状況は常に把握しておく必要があるんだ。相手の立ち位置だったり、目線だったり、体の向きだったりね。そんで、一瞬を制す!」
ハルは決まった! とばかりに渾身の決めポーズを見せる。
「次、桜庭入れ」
「は、はい!」
俺は監督に呼ばれてしまったから仕方なくハルのことはスルーしてコートへ入った。せっかくアドバイスしてくれたのにゴメンよ。
「お願いします!」
俺が前衛に入ると後衛同士のラリーが開始された。俺は相手の後衛が体勢を崩すのを見逃さないようにじっと観察する。……違う。……これも違う。……ここか?
恐る恐るポーチに出てはみたものの、相手が打ったボールには届かなかった。かろうじて後ろの南がつないでくれたからまたラリーの展開に戻る。
「出るのが遅い!」
監督に怒鳴られてしまった。クソッ、出るタイミングが難しい。もう一回だ。……違う。……違う。……ここだ!
「ナイスポーチ!」
よしっ! 今度はタイミングよく決まった。勢いで出てしまったところはあったけど、なんとか決まってよかった。ハルが言っていた度胸の意味もなんとなく分かった気がする。
でも次の順番の時にはポーチに出るタイミングが早すぎて、相手をしていたキャプテンにきれいにストレートを抜かれてしまった。
「桜庭ぁー、出ようとしてるのバレバレだぞー。気持ちが体に出すぎ」
「すいません!」
やっぱり難しい……
学園祭が終わってから一週間後、二回目の定例戦がやってきた。前回はシングルスもダブルスも初戦で負けてしまったから、今回は一回戦を勝ち上がることが目標だ。
「シングルスのトーナメント表貼るぞー」
キャプテンがでっかい模造紙をフェンスにガムテープで貼りつける。俺の相手は……
「来た来た。俺の初戦の相手は山田先輩か。瞬は誰だ?」
横で見ていたハルが俺に問いかける。
「俺は川口が相手だね」
「おっ、いきなり山場が来たな」
「山場?」
「あぁ。瞬は着実に上手くなってるから、俺が思うにだけど川口とか山之辺あたりなら食えそうな気がするぜ」
「あの二人を俺が? でも前にハル、あの二人は上手いって言ってたじゃん」
チッチッチと舌を鳴らしながら立てた人差し指を小さく左右に振る。
「それはダブルスだったらの話な」
「シングルスは別って言いたいの?」
うん、と大きく頷く。
「ダブルスが強くたってシングルスが強いとは限らないぜ。俺がいい見本だ」
ハルは自信満々に自虐したけど、俺からしてみればハルはシングルスも十分上手い。
「瞬にも勝つチャンスは十分あるよ」
「ホントに?」
あぁ、と時折見せる真剣な表情でハルは頷いた。その真っすぐなまなざしに見つめられたら疑う余地なんてないと思わされる。
「だから絶対最後まで諦めんな。いつもみたいに粘りのテニスで拾って拾って拾いまくれ。瞬なら勝てるさ」
ハルに言われたら本当にできる気しかしなくなるから不思議だ。最後はグッドラックと言うように親指を立てて、ニコッといつものように笑ってくれた。俺も同じように親指を立てて笑った。少し緊張がほぐれた気がする。俺たちは互いに戦場となるコートへ向かった。
コートには先に川口がいて、水を飲んだりストレッチをしていた。アップは完了しているから俺はすぐにコートへ入った。川口も入ってくる。
「よろしく」
穏やかで優しい声だ。川口はいつも落ち着いていて物静かなヤツだ。周りにうるさいヤツがいるから相対的にそう感じてしまうだけかもしれないけど。テニスはもちろん上手いし、俺にも優しく教えてくれる。でも今日は敵同士。やるからには相手が誰だろうと負けたくない。
最初のサーブは俺からだ。深呼吸を一つして、自分のリズムをつくるように地面にボールを三回つく。それから相手コートのサービスエリアを見る。よしっ、今日はセンターから攻めるぞ。
頭上に高くトスを上げ、センターめがけてラケットを振り抜いた。ボールはサービスエリアに決まったけど少し左にずれた。狙ったところへ完璧に打ち込むのはまだ難しい。でもいいんだ。今は狙うことに意味がある。これを続けていればいつかきっと狙ったところにボールがいくようになる。ハルもそう言っていた。
川口は見た目通りのプレーをするっていうか、穏やかなテニスをする。打球のスピードは速くないけどコースをしっかり突いてくる感じ。テニスは人柄が出るって言われるけど、川口の場合はまさにその通りだ。でもコースを突いてくる分簡単には返せないし、コートの中を右、左と何度も大きく振られる。まるで試合中にラインタッチをさせられているみたいだ。……上等だ。体力勝負なら絶対負けねぇ。拾って拾って拾いまくってやる。
川口はボレーも上手い。ラリーで中々ポイントが決まらないと見るや、ネットまで出てきてボレーで決めてくる。ダブルスが上手い人ってボレーも上手いんだよな。使う機会が多いからなのかな。
ネット前に出られてしまっては普通に返しているだけだと簡単にボレーで決められてしまう。対抗策として考えられるのはパッシングショット(ネット際に出てきている相手の脇を抜くショット)かロブだ。でも狙ったコースへまだ完璧に打てない俺にとってパッシングショットは難しい。だから今の俺にできる最大の対抗策はロブだ。でもこのロブだって簡単に打てるものじゃない。浅いとスマッシュを打ち込まれるし、強すぎると今度はアウトになってしまう。浅くもなくかつアウトもせずに、相手の頭上を抜いてベースラインの内側に収まる繊細なタッチが要求される。
当の俺はというと、意外とロブが得意みたいでネット前まで出てきた川口の頭上を何本も抜いてやった。それと同じくらいスマッシュも決められたけど。親水公園でハルと練習する時はいつもストローク、ボレー、スマッシュ、ロブってまんべんなくやっているから、自然とロブの感覚も掴めていたのかもしれない。ハルってば練習に関しては意外と頑固で、俺が「今日はストロークを重点的にやりたい」って言っても、「ダメだ。いつも通りまんべんなくやる」って聞いてくれないんだよな。でもそのお陰で今日はロブの練習が活きたから感謝しないとな。
川口が前に出てきてはロブで抜き、はたまたスマッシュを叩き込まれ、一進一退を繰り返す。3―3。4―4。5―5。気づいたらそのままタイブレークまでもつれ込んでいた。ここまで来たらあとは「勝ちたい!」という気持ちが強い方に勝利の女神は微笑む。俺は勝ちたい! 負けたくない!
俺も左右に振られまくっているから結構体力を消耗しているけど、川口も前後に動いている分消耗しているのか動きが鈍くなっている。それでも依然前に出てくる姿勢を崩さないのには脱帽だ。ただ試合の序盤と比べれば明らかに反応が遅い。ここは思いきって、ロブじゃなくてパッシングショットを打ってみてもいいかもしれない。
川口がアプローチショットを打ってきて前へ詰めてきた。よしっ――
俺は右サイドへ振られながらも右足でしっかりと踏ん張り、上体を捻って力を溜める。終盤に来て疲れているはずなのに不思議と体はリラックスできていた。頭も冴えていて打つべきコースもちゃんと見えている。うん、いける!
俺はそこからダウン・ザ・ライン目がけて、溜めた力を一気に解放するようにラケットを振り抜いた。打ったボールの感触がラケットを伝って、腕、そして体へと振動してくる。今までにない感覚だった。なんというか、ラケットからの振動は少ないけど、確かにど真ん中でボールを捉えた感触が手に残って気持ちいい。放ったボールは川口が伸ばしたラケットの横を通り過ぎていき、ベースラインの内側にストンと落ちた。打ったボールの軌道が一閃の残像となって俺の目に焼きついた。
かぶっていた帽子を脱いで川口はネット前まで歩み寄ってくる。ボレーをするためではなく、握手をするために。
――勝ったんだ。
俺も急いで駆け寄り、差し出された手を力強く握った。
「負けたよ。強くなったね」
川口はそう言うと疲れた顔で笑った。
「ありがとう」
俺も疲れていたから上手く笑えなかった。でも楽しい試合だった。川口も楽しかったんじゃないかなって、握った手を通してそう感じた。
「やったな、瞬」
コートを出るとハルが立っていた。ハルの方も試合は終わったみたいで、その表情からすると勝ったようだ。
「うん。でもまさかホントに勝てるとは思わなかったよ」
「そうか? 俺は勝てるって思ってたけどね」
ハルの表情や声色から嘘を言っているわけじゃないことは伝わってきた。ハルが本心から俺が勝つと思ってくれていたことが素直に嬉しかった。
続く二回戦は堂上が相手で、これはもうボコボコにされた。俺が試合を通して取れたポイントはわずか3ポイントのみ。堂上のショットはその全てが正確で、ラインの内側ギリギリを突いてくるもんだから追いつくのに必死だった。川口とはラリーになる展開が多かったけど、堂上にはラリーなんてさせてもらえず一方的に打ち込まれる展開だった。手も足も出ないとはこのことで、俺はなにもできずに終わってしまった。これが全国レベル。堂上と相対してみて初めてそのすごさが分かった気がした。
でもその堂上をダブルスではキャプテンとハルのペア――堂上は遠坂先輩と組んでいた――が圧倒していたのには驚いた。シングルスでは右に出る者はいない堂上のストローク力も、ハルたちとの試合ではその脅威を全く感じなかった。
「それはな、アイツに好き勝手にストロークを打たせないように俺たちが試合運びをしたからなんだぜ」
ハルは俺にそう説明した。なんでもダブルスでは相手がたとえ強くても戦略次第で勝つことができるんだとか。ハルは堂上を抑えた戦略を俺に説明してくれたけど、正直よく理解できなかった。でも常に考えながらプレーをしているということだけは分かった。普段のハルを見ていれば本能のままプレーしそうに思えるけど。
「どんなにすごいヤツが相手でも、ダブルスではペアの相性と戦略次第で優劣が逆転する。そこがダブルスのおもしろいところなんだよ。まぁ単純に堂上のヤツが性格的にダブルスに向いていないっていうこともあるんだけどね」
ハルは半ばやるせない表情を浮かべていた。
俺のダブルスはというと、今回もまた太一と組んで出場した。ペアは自由に決めていいみたいだったけど太一とは前回も一緒に組んだし、それに一緒に高校からテニスを始めたこともあって、「一緒に強くなっていこう」という気持ちがお互い強いから自然とペアを組んでいた。
結果はというと、こっちは残念ながら初戦負け。相手は山之辺と川口のペアで、川口にはシングルスでのリベンジをされてしまった。4―6と食い下がりはしたんだけど。特にパワーショットでガンガン攻めてくる山之辺のボールに押されて、甘くなったところを前衛の川口にポーチで決められる展開が多かった。山之辺はミスも結構多かったけど、俺たちがそれを活かしきれなかったことが敗因だ。
でもダブルスも一歩ずつだけど手応えを感じ始めている。ハルたちみたいなかっこいいダブルスはまだ全然できていないけど、ボレーやスマッシュで決めたポイントもいくつかあったし、あとダブルスでは意外とロブが効果的だってことが分かった。前衛の頭上を抜くストレート方向へのロブは相手の後衛を走らせることができるし、後衛同士でクロスラリーをしている時よりも相手の体勢を崩せるし、なにより意表を突けるからチャンスボールも結構来た。俺がロブを打って、甘く返ってきたボールを太一が前で決める。この形で結構ポイントを取ることができた。自分が決めたわけじゃないけど、太一がポイントを決めた時は自分のことのように嬉しかった。二人で協力してポイントを取った時は喜びが倍になる気がする。
それからロブは守りの時にも使えて、こっちの体勢が悪い時の時間稼ぎとしても使えるからいろんな場面で役に立った。浅くなったらスマッシュを打たれてしまうけど、抜けたらチャンスになる確率が高い。今はギャンブルみたいなところがあるけど、これから練習して、ロブの成功率を上げていけばゆくゆくは俺の武器にできるかもしれない。あとは前衛の時のポーチの回数をもっと増やしていければいいな。今日は度胸が足りなかった。
優勝ペアは今回もキャプテンとハルのペアだった。準決勝、決勝と見たけど敵なしって感じだった。動き方が他のペアとは全然違うんだよな。前後左右の動きが細かくて、でも時にはコートの端から端までダッシュしてポーチを決める大胆さもあったり、とにかくよく動いていた。あと互いに声もよくかけ合っていた。ペアを見なくても互いがどういう動きをするのか分かっているように見えて、ペアのこと信頼しているんだな、って見ている俺にも伝わってきた。
シングルスの方も前回同様堂上が優勝していた。試合は見れなかったけど、アイツもきっと敵なしってところだろうな。ただ南が3位に入る健闘を見せていたのには驚いた。準決勝で遠坂先輩に惜敗していたけど3位はすごい。南は自分でも「シングルスには自信があるんだ」って言っていたし、きっと得意なんだろう。これからレギュラー争いも熾烈になってくるだろうな。
そんなわけで二回目の定例戦は幕を下ろした。毎日の素振りやコースを狙う練習の成果を発揮できたことや、それで川口に勝ったことは今後の自信につながった。でも堂上にコテンパンに負けたことや、ダブルスで一勝もできなかったことを考えるとやっぱりまだまだなんだなって思う。そこは練習を積み重ねていくしかないな。
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