第23話 雷光まといし赤雲

 赤茶けた平原が拡がっている。全周360°見渡す限り平坦な大地、広大なものだ。一方に巨大な山――〈オリンポス山〉と命名されていた山が見えていて、頂上は異様に輝いているが、それは目に刺さるほどに鋭い。オリンポス山は標高が約27000mの楯状火山で、かつての火星では頂上が大気層を突っ切って宇宙に達していたほどのものだ。テラフォーミングで分厚くなったこの時代の火星大気でもかなりの高層に達していて、山頂は低地より格段に強烈な太陽放射の影響を受ける。それが目を惹く輝きを見せているのだ。

 平原はその西方に広がっていた。緑の領域は殆ど見られず、赤茶けた荒涼とした風景だけが拡がっている。

 〈アマゾニス平原〉――中心の座標は北緯24.8度、東経196.0度。〈タルシス地域〉と〈エリジウム平原〉の中間、オリンポス山の西方に所在する火星で最もなだらかな平原だ。風景の荒涼さはかつての火星の環境を思わせる。テラフォーミングによって環境が造り替えられたこの時代のものには到底思えない。或いは磁気シールドの破壊による環境悪化がいち早く目に見えるようになったのかと疑わせもするが、空の青さは未だ大気が十分な厚さを維持しており、酸素濃度なども適正なものだと知らせる。

 この平原は組成年代が比較的若く、形成されてから1億年程度と考えられている。主に火山噴火による溶岩流で形成され、地表は硬化した分厚い溶岩層で覆われている。沈殿物層が少なく、植物などが根を張るのは容易ではなかったのだろう。これが緑の領域の少なさの原因であり、かつての火星と大して変化していない風景を維持したのだと推測される。

 平原を貫くように一本の長大な溝が刻まれていた。極めて長く、一方は火星平線の遥か彼方に消えており、何十キロも伸びていると知らせる。反対方向に目をやると、その先にサーフボードのような形をした人工物体があった。先端を地表に突き刺さるように埋もれさせていて、後端は浮き上がっている。

 強襲揚陸艇だ。輸送艦から脱出して降下したのだが、メリディアニ高原に存在していたMELE群体によるX線レーザー照射攻撃を受けて損傷、不時着したのだ。

 不時着と評したが、後端の浮き上がり具合からして殆ど墜落と言っていいくらいの勢いだったと思われる。


〈診断プログラム、スタート。対象・ウィンダム・ホーク連合宇宙軍大尉接続機械体メカニクス主骨格メインフレーム、歪曲・破損等の障害なし。主発電機構メインバッテリー、破損は見られず。給電体勢は万端。各種駆動機構アクチュエーター、正常稼働は可能。動力の伝達に齟齬はないと思われる。耐圧脳殻、破損・歪曲は皆無。生体脳に何ら障害は及ぼされていない。神経接続端末、信号伝達配線、破損なし。ハードウェア面での診断は終了。機械体メカニクス、正常駆動は可能と判断。これより接続対象者の覚醒フェイズに入る〉


 ポン――と信号音が意識に飛び込むや、ウィンダムは己の置かれた状況を即座に理解した。脳内極微電脳ナノブレインによる診断結果が表示されていて、確認できたのだ。

 ごく短時間、自分が意識不明状態に置かれていたことを認識。これは全身を強大な衝撃が襲ったことによる緊急保護処置の結果だということも理解できた。

 完全機械体フルメカニクスである彼のボディは重篤な衝撃を受けた場合、脳殻を保護すべく身体との接続を一時的にカットする機能がある。それが働いたと思われる。彼自身の脳はこの間、睡眠状態に置かれたのだ。


 ――どうやら不時着には成功したらしい。最もかなり激しいハードランディグだったみたいだ。だから意識をカットするほどの保護措置が取られたのか……


 ウィンダムは即座に思考を働かせ、外部へと意識を向けた。脳内極微電脳ナノブレインによる診断報告は閾値下で認識されており、自分のボディが問題なく機能している事実は認識できていた。その上で彼は搭乗している自身の戦闘甲殻コンバットシェルに意識を繋げ、自機の状況を確認する。


 ――問題はないか。さすがは戦闘甲殻コンバットシェル、航宙艦をも超える強度だ。緩衝機構のお蔭もあって俺の身体も保護されていたのだな……


 次いで特戦群の部下たちに呼びかけた。


『全員、無事か?』


 部下たちも身体改造を受けている強化体者ブーステッドだ。宇宙で戦闘を続ける戦殻シェルパイロットを勤め上げるには必須の処置だが、ウィンダムのように全身を完全に機械に置き換えたフルメカニクスというわけではない。体表や骨格、代謝系、神経系などを強化しているに過ぎない。これだけでも生身からはかなり離れたものだが、フルメカニクスには及ばない。そんな完全機械体フルメカニクスのウィンダムさえもが保護処置されたのだから、揚陸艇不時着時の衝撃はかなりのものだったと思われる。よって部下を襲った事態は更に深刻となった可能性があるのだ。

 だが――――


『ああ……まぁ何とかな……』


 掠れたダミ声が入ってきた。声の主はクロッカーのものだと確認、彼のIDと同時に生体状態情報バイタルサインが入力されている。どうやらウィンダムとほぼ同じ頃に覚醒していたらしい。重篤な障害は見られず、ストレス反応が見られるだけで取り立てて問題はないのが分かる。

 ウィンダムは他の者たちにも呼びかけた。


『他は? 問題の出ている者はいるか?』


 少しずつ応答が返って来た。概して消耗した様子が伺えたが大半は問題なく、あったとしても代謝・循環系の数値異常であり、体内装備の代謝調整機メタポライザーで処理できるレベルのものに留まっていた。しかしウィンダムは懸念を抱いた。

 

『ユアン、どうした? 返事しろ』


 ユアンだけは何も言ってきてないのだ。生体データは入ってきており、重篤な障害がないのは確認できている。だが彼女自身からの報告が入っていないのだ。


『おい、どうした? 意識は戻っているはずだぞ』


 脳波のデータも入っており、完全に覚醒しているのが分かる。そればかりか、かなり活発に活動しているのが確認できた。どうも自身の戦殻シェルを通して揚陸艇に神経接続ニューロコネクトしているのが信号伝達状況から判断できる。


『何だ? 返事もせずに何をしている?』


 すると突如として揚陸艇内に振動が走った。然程大きなものではないが、何かが飛び出す感触に思われた。隊内に動揺が走る。


『くそっ。ユアン、お前 何をやっている? 今のはお前の仕業だろ?』


 クロッカーが毒づいた。そのせいなのか、ようやくユアンからの応答が返ってきた。


『すみません、なるべく早く周囲の状況を知りたくて揚陸艇のシステムを調べていました。それでセンサー系が使えることが分かったので制御チャンネルを繋げたのです』


 その言葉と同時に全員の脳内視覚野に情報が入ってきた。その中に特に注意すべきものがあることに、皆は気づく。


『磁気反応があるな』


 南西方向に強力な磁気反応が現れていたのだ。この事実の意味するものは明白だった。クロッカーが口を開いた。


『MELEだな。群体活動が活発な時に特徴的に現れる磁気反応のパターンだ』


 ユアンは解説を付け加えた。


『これは艇の電磁センサーが捉えたもの。意味を理解したから直ぐに観測機を飛ばす必要があると判断しました』


 それが先ほどの衝撃の正体、小型の無人観測機を射出したのだ。


『そうか。だがユアン、せめて一言言っておいてほしかったぞ。何も応えないから障害が出ているかと思ったぞ。お前は真空曝露に遭っているから、後遺症の心配もあるんだ』


 ウィンダムの言い方は叱咤するものではなかったが、それでもユアンには響くものがあったらしく、彼女は謝った。


『ごめんなさい。MELEの接近の可能性が懸念されたので、一刻も早く確認すべきだと思って……』


 ウィンダムは僅かに口元を綻ばせる。


『まぁいいさ、生体情報バイタルサインは普通に入ってきていたし、健康状態に問題はないと解ってはいたからな。だが、今回限りだ。報告義務は絶対だぞ』

『ごめんなさい』


 一刻を争うと思われる状況下、時には報告の前に行動すべきと判断される場合もある。それがこの場合に該当すると思われるが、それでも軍に於いては報告義務は重視される。最低限、事後報告は必要で、なるべく早く行うべきだ。ユアンの場合は些か独断先行と見做される可能性がある。

 その時だった、注意喚起サインが現れるのに皆は気づいた。観測機から情報が入り始めたのだ。ユアンが伝える。


『速報値ですが、南西10キロほどに大規模磁気反応の移動をキャッチ。やはりMELEです。反応パターンはメリディアニ群体と同一と断定でききます。時速100キロほどで北上中』


 可視映像が同時に表示されたが、皆は息を呑んだ。

 赤黒い渦巻が雷光のような光をまといながら移動しているのが映ったからだ。これは移動によって巻き上げられた砂塵であり、MELEが放射する磁気の効果で渦巻き状になって群体を覆っているものなのだろう。光は発生する磁気の力で電気エネルギーに変換、砂塵に含まれる磁性体などが反応した結果と思われる。この渦巻の中に群体本体がいる。

 その効果は禍々しい様相を作り上げ、目の当たりにした皆は知らずに口元を歪めていた。人間の心理には堪える光景だったのだ。


『奴ら、俺たちの落下地点を把握しているな。まっしぐらにここを目指しているぞ。全く、一休みもさせてくれんのか? こちとら超ジェットコースターに揺られてヘトヘトなのによ』


 クロッカーの言葉、ドルジが反応して言い返す。


『連中はこっちの都合なんか考えねぇよ。今に始まったこっちゃない』

『そりゃそうだがよぉ。多少は配慮してほしいってモンだぜ』

『アメーバにそんな知性があるのかってぇの!』

『食い気はタップリなんだよな。俺たちを喰いたくて仕方ねぇんだぜ』


 最後の言葉はクロッカーのもの、その言いようは皆の気持ちを抉る効果があった。会話は隊内共用回線を通して全員に伝わっていたからだ。代表してドルジが文句を言った。


『気味の悪い言い方すんなよ、この野郎!』


 対してクロッカーは言い返す。


『事実だろぉが! あいつら、悪食なんだろ。有機、無機、構わずに食いつくだろう? 特に人間がいたら目の色変えて飛びかかってくるじゃねぇか!』

『ワザワザ強調しなくてもいいってんだ! ただでさえ消耗してるって時によぉ』

『けっ、ンなデリケートなヤツぁ、この部隊にいたかぁ?』

『てめぇなぁ……』


 喧嘩の様相を呈し始め、エスカレートしそうになっていたが、ここで割り込むようにウィンダムが口を開いた。よって喧嘩は中断。


『群体の反応は南西の1つだけだな? 他には現れていないのか? 確か俺たちを墜とす直前に2つに分かれていたはずだが……』


 言葉に含まれる意図を察したユアンは即座に応えた。


『ありません。恐らく連中は群れを再び1つにまとめたのだと思います。私たちの位置を直ぐに捉えたみたいだし、分かれて追撃する必要はないと判断したのでしょう』


 X線レーザー攻撃の直前、群体は2つに分かれていた。だが現在は1つの反応しか見られず、反応の規模も以前に観測したレベルと同等だった。合流したと考えるのが適当と思われる。


『なるほど』


 次いでクロッカーが口を開く。


『さて、やるしかないと思うが?』


 ウィンダムは頷く。


『その通りだな』


 そして全隊に指示を下す。


『一刻の猶予もないのは明白だ。今の進行速度だと6分ほどでここに来る。急いで迎撃態勢を整える必要がある。総員、戦闘起動!』


 ウィンダムの号令により特戦群11機の全戦闘甲殻コンバットシェルが起動を開始した。

 照明の落とされた強襲揚陸艇カーゴ内に幾つものシアングリーンの光輝が出現する。戦殻シェルの頭部メインカメラが発する輝きだ。


〈拘束アームのロックを解除します〉


 支援サポートAIの報告。それによりカーゴ壁面より伸ばされていた拘束アームが解除される。よって各機体は自由行動が可能となり、支持架台より素早く降り立つ。全高5mに及ぶ戦闘甲殻コンバットシェルが空間の限られるカーゴ内で11機も一斉に動き出すとなると、さすがに狭さを感じさせる。だが特に混乱することはなく、各機体は整然と移動を開始した。


『ドロップゲートは正常に稼働します。開放信号を送りました』


 ユアンの報告。自機より回線を接続しているので揚陸艇のシステムも思考制御できるのだ。彼女の言葉の直後より後部から光が差し込まれた、扉が開いたのだ。同時に乾いた風が内部に吹き込んで来る。


『へっ、いよいよだな。アメーバ退治と洒落込むか!』


 クロッカーだ。嬉しそうな顔を浮かべている。


『全く、何が楽しいんだか。この戦闘狂め』


 ドルジはというと、忌々しそうだ。


『本気で楽しんでいると思ってンのか? だったらてめぇは何も解っちゃねぇよ!』

『解りたくもねぇわ、この肉ダルマめ!』

『てめぇに言われたくねぇわ! この突貫小僧!』


 口喧嘩を続ける2人だが、それはどこか皆の心を解す効果があった。生体情報バイタルデータに現れるストレス反応が低減しているのが分かったからだ。ウィンダムは笑みを浮かべる。だが、即座に顔を引き締め――――


『総員、出撃るぞ!』


 巨人たちが駆け始めた。脚部走行輪ドライヴホイールを始動、皆が一律となってカーゴ内を駆け出して行く。すぐさま光の中――外へと彼らは突っ込んで行った。

 高く浮き上げられた後部ドロップゲートから次々と巨人たちが飛び出して来た。彼らは火星地表に着地するや股関節や膝関節を大きく曲げ、たわむように身を沈める。直ぐに跳ね起きるように姿勢を戻し、走り始めた。そうして全11機が揚陸艇周囲に展開した。


『クロッカー、ドルジ。お前らは2機ずつ率いて東西に移動しろ。だいたい1キロほど離れたところまで行って布陣するんだ。それとユアン、お前は残りの3機と共に北に1キロほど移動。俺はここに残る』


 了解との応答、彼らは指示通りに移動を開始する。揚陸艇を中心として砂塵が幾筋も現れた。上空から見れば赤いT字が大地に描かれたようなものに見えるだろう。

 ウィンダムはユアンに通信、個別回線を使用。


『ユアン、〈タヂカラオ〉には慣れてないだろうが、神経接続ニューロコネクト方式は共通しているから操縦自体は簡単なはずだ。後は機体のクセと地上戦ならではの〝戦い方〟だが、これは慣れるしかない。君は後方の砲撃に専念してもらうから、それほど困難ではないはずだ』


 ユアンからの返信。


『配慮に感謝します。地上戦はシミュレーションでしか経験ありませんが、全感型(視覚だけでなく五感全てを没入させた全感覚対応型仮想戦闘シミュレーション)だったので、多少は役立つかと思います。私のような行き場のない者を拾って下さった恩義には必ず報います』


 小惑星帯メインベルト防衛機構所属の機動兵だったユアンだが、所属部隊の全滅、ベルト防衛機構全体の崩壊により行き場を失っていた。第4特殊作戦群に助けられた彼女はそのまま群と行動を共にするようになり現在に至っている。

 彼女がベルトで使用していた機体・〈ワルキューレ〉は宙戦特化型なので地上戦には向かない。よって今回は特戦群の予備の機体・〈タヂカラオ〉の1機が貸与されている。


〈観測機より報告、敵群体内に磁気反応の増大を確認〉


 特戦群の動きに呼応したのか――明らかに反応をキャッチしたのだろう――MELE群体内に強大な磁気の集約が現れた。同時入力された可視映像にも発光が激しさを増しているのが分かる。ウィンダムは自機のメインカメラに意識を集中させた。すると火星平線の向こうに強大な雷雲のようなものが現れているのを捉えた。


『火星平線までは凡そ3キロくらいのはず。もう直ぐそこだ』


 敵は目の前だと言える。直ぐにでも攻撃を受ける可能性が考えられる。事実、彼らは直後に〝嵐〟に呑まれた。


〈爆発的磁気反応、生体コイルガンのものです!〉


 MELEが放つ電磁加速投射兵器の嵐、硬質砲弾の雨が一斉に降り注いだ。

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