第6話 後宮に入れたはずの娘が脳筋になって帰ってきた実家の話~マリエル編~ 後
後宮なのか軍なのか、マリエルがいた場所がどこなのかさっぱり分からない――ケインゼムはそう溜息を吐きながら、改めて愛娘を見やった。
確かに腕の太さなど、後宮に入る前より鍛えられている感じはする。それに加えて、玄関先で暴れて兵士を何人も伸すなど、その力量は間違いなく上がっているのだろう。武力が上がったから何になるのかと問われると、返す言葉に困るが。
「それで、マリー」
「ええ、お父様」
「今回の帰省は、ただお前が帰ってきたというだけではない。私は、帰ってくるお前と共に今後の身の振り方を決めるよう、皇帝陛下より命じられている」
「ええ、承知しておりますわ」
ケインゼムの言葉に、マリエルはまっすぐな視線を送ってくる。
その瞳に、迷いはなさそうに思えた。
ケインゼムは机の上に置いてある資料――数枚の紙を、そのままマリエルへと提示する。
「今のところ、受け取っている条件だ」
「ええ」
「ナターシュ伯爵家への嫁入り、軍幹部への嫁入り、この二つが提示されている」
後宮に入った者は、基本的に皇帝のお手つきになったものと判断される。
だが貴族家は純潔を重んじるため、後宮に入った者は貴族家へ嫁ぐ道を絶たれるのが通常だ。
そのため、皇帝ファルマス自らが、側室全てに対して縁談をあてがった。
この縁談を受けるか否か――それが、この帰省の意味である。
親だけが決めるわけでなく、娘だけが決めるわけでなく、話し合う機会が必要だろう、と。
「ナターシュ伯爵家は、当主ヒュージ・ナターシュ伯爵との婚姻だ。ナターシュ伯爵家は、今勢いのある新興貴族家でもある。ナターシュ伯爵自身も、現在二十七歳と若い」
「ええ」
「ただし、伯爵は先妻を流行病で亡くしている。そして、先妻との間に産まれた男子が一人いる。ナターシュ伯爵側の条件は、こちらの男子を伯爵位の第一継承者とすることだ」
「ええ」
ケインゼムの言葉に対して、微笑を浮かべながら頷くマリエル。
そして、ケインゼムは二枚目の紙を指さし。
「軍幹部は、現在の赤虎騎士団の副官、リチャード・ロウファル氏だ。現在副官ということは、将来的に八大将軍になる可能性もある。こちらは三十二歳と若干年かさだが、初婚だ」
「ああ……」
「だが、現在の八大将軍に高齢の者はいないし、戦争も今後は落ち着いてくるだろう。私としては、彼が八大将軍になるのは難しいと睨んでいる」
「……あの方ですか」
「知っているのか?」
「会合で、何度かお会いしたことがあるだけです」
「……?」
相変わらず意味の分からない、マリエルの言葉。
何故、後宮に入っていて男が参加する会合に参加しているのだろう。しかし、正直これ以上尋ねるのも面倒になってきたのが本音だ。
そんな紙二枚を、マリエルの前に差し出し。
「それで、どちらがいい?」
「どちらもお断りですわ」
「だろうな」
愛娘のそんな答えに、ケインゼムは笑みを浮かべ。
そして、その紙二つを、あっさりと破り捨てた。最初から、選ぶつもりもなかっただろうとは睨んでいた。
ならば、今度はマリエルの今後の身の振り方だ。
「では、どうする?」
「お父様……あたくしに、アン・マロウ商会の一部を任せてくださいませんか?」
「ほう……どういうことだ? 小遣いならば、不足なく与えているはずだが」
「いいえ……あたくしに、投資してくださいませ」
その言葉は、まるで父親から金をそのまま貰い受けるだけの、怠惰な要求と思われるかもしれない。
だけれど、今まで事業に務め、商売のために何もかも犠牲にしてきたケインゼムにならば、その覚悟の程が分かる。
可愛らしく、蝶よ花よと愛でていた娘――マリエルが。
これほど、商人の目になってくれるとは。
「今後の計画はあるのか?」
「計画と呼べるほど細かく決まっているものではありませんが、腹案くらいならば」
「では、それを聞かせてみろ。投資する価値があるかを決めるのは、それからだ」
ここで対面しているのは、父と娘。
そして同時に、商人と商人。
マリエルのその眼差しが商人としての覚悟であるならば、ケインゼムもまた商人としての目でマリエルを値踏みするだけである。
「まず、あたくしは……現状では口約束ではありますが、皇帝陛下より事業の一部を任されることになっております」
「ほう……皇帝陛下の寵愛を受けたか?」
「いえ、毎朝会うだけの関係ですわ。そのついでに、幾ばくかの情報収集を行いました」
「……ふむ」
皇帝に対する敬意が、なんとなく見られないのは何故だろう――そうケインゼムは疑問に思うけれど、後宮にいるとまた考えも変わるのかもしれない。
ケインゼムは知らないが、マリエルにとって皇帝――ファルマスという男は、毎朝訓練を共にする男だ。現在の後宮においては、三期生ですらファルマスに対して、「よくいる人」くらいの認識でしかない。
「皇帝陛下は、新たに学院を作る予定ですわ」
「――っ!? 何だと!?」
「現在の貴族学院ではなく、門戸を広く募る学院となります。そして、ヘレナ皇后陛下が学院長として就任することも決定しております」
「なんと……!」
思わぬマリエルの言葉に、ケインゼムは目を見開く。
学院を作る――そこで動く金は、それこそ桁違いだ。
まず学院を作るだけの土地を手に入れる必要があるし、土地を手に入れたら今度は建設だ。そして建設が終われば、学院の指導者としての人材が必要になる。学習内容によっては、教材関連の事業もまた潤うことだろう。
「あたくしは新たな学院における、教材の担当を任されました」
「――っ!!」
「勿論、まだ口約束の段階ではあります。ですが、あたくしの方から皇帝陛下に、色々と助言をさせていただいております。授業内容の教材は、その時々によって変わるもの。そこで先に競合をさせて安いところを選ぶよりも、学院長であるヘレナ皇后陛下の近しい人物に任せ、連携を取っていく方が良いのではないか、と」
「なるほどな……それは、素晴らしい」
ケインゼムは、笑みを浮かべる。
学院の教材ということは、学院に通う者が全て購入するものだ。つまり、必ず毎年、一定数の売り上げが見込める。
少なくともこの事業の担当になっているというだけで、赤字は免れるだろう。
「ふ……マリエル、成長したな」
「ありがとうございます、お父様」
「今度、書面で約束しておけ。口約束を反故にするような陛下でないことは知っているが、それでも念のためだ」
「分かりましたわ」
「アン・マロウ商会、帝都第五支店の支店長に任ずる。部下は好きに使え」
「承知いたしました」
新たな儲け話と、その儲け話を持ってきた愛娘。
ケインゼムが見せ続けた、商人としての背中――それを追って、立派な商人として成長してくれたマリエルに。
今夜は、ちょっと良い酒を開けるとしよう――そう、ケインゼムは笑みを浮かべた。
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