第104話 暴走の顛末

「がはっ!」


 ディアンナの体当たりで吹き飛ばされたシャルロッテが、ただでさえ狭い後宮の壁へと激突する。

 恐らく、その壁の向こうにはどこかのご令嬢がいるのだろうけれど、中から出てくるような様子はみられなかった。多分、外で何か起こっていると察しているのだろう。

 出てきた場合、それはそれで面倒くさいことになるため、ディアンナにしてみれば大助かりだ。


「こほっ、ごふっ……」


「お嬢様、大丈夫ですか?」


「……この程度、問題……ありませんの」


 割と本気で放った一撃だったが、恐らく体当たりを喰らう直前で後ろに飛んだのだろう。

 その分、派手に吹き飛びはしたものの、ディアンナの体が感じた衝撃は極めて僅かなものだった。もしもこれが、荒野や平原といった遮蔽物のない場所であったならば、倒れることすらなかっただろう。

 ダメージを喰らう直前に、本能的に回避を行う――確かに、それは恐るべき才だ。


「おやおや……立ち上がるんだったら、続きをやらせてもらうよ」


「望むところ、ですの……!」


「さっきも言ったけど、軍人舐めんな。あんたらとは、鍛え方が違うんだよ」


「何を……」


 ディアンナの言葉に、シャルロッテが眉を寄せる。

 何度となく、ディアンナも後宮の中庭で行われている鍛錬を見たことがある。彼女らの目の前で、ヘレナとの立会いも見せた。後宮の見回りを行っている中で、何度も「ご令嬢がよくやるわー」と思ったものだ。それくらいに、厳しい鍛錬だった。

 腕立て伏せ、腹筋、背筋、屈伸といった基礎体力作り、正拳突きなどの実戦をイメージした動き、そして組手。これを彼女らは朝から昼まで、午前中いっぱい行っている。

 貴族令嬢の手遊びにしては、かなりの激しい鍛錬だと言っていい。


 だが、それはあくまで『ご令嬢ならば』だ。


 同じ訓練を銀狼騎士団の者に行わせたならば、普段より楽だと感じるだろう。

 午前中だけでいいなんて天国ではないかと、そう思う者もいるだろう。

 そのくらい、軍人は弛まぬ訓練を繰り返している。それも全ては、戦場で十全の動きを行うために。


「一つ、教えておいてやるよ」


「……何、ですの」


「あんたが、今日倒した騎士……名前はマリカ、ステファニー、ユーリって三人だ。こん中で一番新人なのは、ユーリだ。まだ十九歳でね、軍に入隊して四年目になる」


「それが……」


「あんたの実力は、まぁ高く見積もってもユーリと同等ってとこだ。たかだか数ヶ月でそのレベルに達するのは才能だろうけど、所詮その程度ってことだよ」


「戯言を……わたくし、全員無傷で倒しましたの」


 はぁ、と小さくディアンナは溜息を吐く。

 全く分かっちゃいない。自分の立場も、自分と銀狼騎士団の関係性も。


「うちの騎士が、あんたを相手に本気で戦えるもんか。その程度、分かっとけ。クソガキ」


「――っ!」


「どうせ、うちの騎士からはほとんど攻撃もなかっただろうよ。できるわけがないさ。相手は自分の警護する対象だ。怪我でもさせりゃ責任問題。死なせりゃ自分の首どころか、実家の存亡すら危うい。そんな相手と戦えって言われても、無理な話さ」


「な、ならば……」


「ああ、そうさ……あんたはな」


 ぎろり、と強くディアンナはシャルロッテを睨みつける。

 自分の実力を試したい――その気持ちは、分からないでもない。

 だけれど、このご令嬢は、そのやり方を間違えた。


「抵抗もしない相手を、ただ痛めつけただけだ」


 ディアンナは、その現場を見ていない。

 だけれど、自分の部下だ。シャルロッテが挑んできたとき、どうするか――その程度は予想できる。

 恐らく三人とも、最初は説得をしようとしただろう。それでも止まらないシャルロッテを相手に、恐らく防戦一方だったと思われる。下手に手を出すわけにいかない以上、それは最善の選択肢と言っていい。


「それが武者修行だっつーなら、赤ん坊を虐める奴も武者修行ってなっちまうよ」


「……」


「それとも、『わたくしの攻撃に何もできておりませんの!』なーんて愉快な妄想でもしてたのかい? んなこたぁないよ。ユーリとは同等かもしれないけど、マリカやステファニーを相手なら、あんた今頃床に沈んでるよ」


「……」


 ぷるぷると、シャルロッテが震える。

 同様に、侍従であろう女性も小さく溜息を吐いた。恐らく勘違いしていたのはシャルロッテだけで、こちらの女性には分かっていたのだろう。

 それでも止めなかったことは業腹だが、仕方ないか。貴族令嬢に仕える侍従である以上、主人の命令は絶対であるだろうし。


「ってわけだ。自分の実力は分かったかい?」


「……」


「それでもやるってんなら、相手になるよ。ただし、あたしゃマリカやステファニーみたいに優しくない」


「……」


「骨の一本や二本、覚悟してもらおうか」


 ぽきぽきっ、と指の骨を鳴らして。

 それと共に、シャルロッテがディアンナをぎっ、と睨みつけた。

 この程度の挑発に乗るようでは、戦士としてもまだ二流だ。

 一流の戦士であるならば、もっとクレバーでなければならないというのに。


「う、ああああああっ!!」


 シャルロッテが地を蹴って。

 それと共に繰り出されたディアンナの掌打が、強くシャルロッテの頬を打った。














「……なるほど」


「お咎めは、覚悟しています」


 その日の夜。

 ディアンナは、その日の報告書を持って直属の上司――『銀狼将』ティファニー・リードの執務室を訪れていた。

 当然、その報告書に書かれていることは、今日起こったことの顛末全てだ。

 その内容を見て、ティファニーが苦い顔をするのも当然のことである。


「『月天姫』シャルロッテ嬢が、騎士三人を……ですか」


「後宮における傷害事件と判断しました。貴族令嬢であれ、事件は事件です」


「いえ、判断は正しいと思います。幸い、三人とも今後の業務に支障が出るような状態ではなさそうですし、事をあまり大きくしない方がいいでしょう。ただ、シャルロッテ嬢に対しては……」


「多少、やりすぎたと反省しています」


 結局、ディアンナとシャルロッテの戦いは、宣言通りにシャルロッテの骨を貰った。

 壁に激突させての、全体重を乗せた体当たりには、さすがのシャルロッテであっても防御も回避もできなかったのだ。少なくとも、アバラの数本は折れただろう感触は伝わった。

 それでシャルロッテは気絶して、宮医のもとに連れていったわけだが。

 宮医が関わる以上、その話は皇帝にも伝わるだろう。


「いえ、甘すぎます」


「……へ?」


「シャルロッテ嬢は、これで目的を一つ達成したようなものですよ。まったく、やるなら徹底的にやりなさい。下手に優しさを見せれば、つけあがるだけですよ」


「……どういう、ことですか?」


「今後、シャルロッテ嬢はどうすると思いますか?」


「それは……」


 はっ――とディアンナは目を見開く。

 まさかと、そう思ってしまうが。


「ディアンナ……あなた今後、出会うたびにシャルロッテ嬢に挑まれますよ」


「……」


 強い者と戦いたい。ただそれだけのために、後宮で暴れたご令嬢は。

 自分と本気で相手をしてくれる強い者――ディアンナへと、これからも挑んでくるということ。

 ははっ、と思わずディアンナは乾いた笑いを漏らした。


「いいですよ。百回挑んでくるなら、百回撃退してやりましょう」


 この日から。

 シャルロッテにとって超えるべき目標の一つとして、銀狼騎士団補佐官ディアンナ・キールの名前が刻まれた。

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