第56話 シャルロッテvsエカテリーナ&タニア 1
「さー、タニアいきますよー」
一回戦、第四試合。
その出場者であるタニア・ランドワースはパートナーであるエカテリーナ・スネイクからそう声をかけられた。。
普段通りの、どこか気の抜けたような声音のエカテリーナである。これほどの大観衆を前にして、少しも緊張していないのは芯が図太いのか、そもそも緊張しない性質であるのか。
「は、は、はひ……」
「おやー。緊張していますねー」
「そ、そりゃ、あ……」
逆に、そんな風に声をかけられたタニアは、緊張の糸が張りっぱなしである。何か外部からの要因でもあれば、すぐに切れてしまうのではないかと思うほどに。
少しでも緊張しないようにと、色々と策は講じたのだが、そのあたりは全く役立っていないという現状がある。
「そーいうときはー、観客などジャガイモだと思えばいいのですよー」
「無理ですエカテリーナさん……ジャガイモは声を出しません……」
「声の出るジャガイモだと思えばいいのですよー」
「その購買意欲を失う品種は何なんですか……」
うぅっ、と震える膝を叩いて、大きく深呼吸をする。
そもそも、彼女らは後宮の娘だ。普段の訓練もたまに通りがかる令嬢が見るくらいのもので、これほどの観衆の前で戦ったことなど一度もないのである。その緊張が極限に達するのも当たり前だ。
元より、緊張に弱いタニアにしてみれば、もうこのまま踵を返して逃げ出したい気持ちでいっぱいである。
「まー、相手はロッテさんですしー。なんとかなりますよー」
「ロッテさん、めちゃくちゃ強いんですけど……」
「一期生ですからー、データは全部ありますよー。情報を制する者が戦いを制するのですー」
「私、覚えていないんですけど……」
エカテリーナの部屋で見た、一期生たちのデータを記したノートの数々。
そこには当然ながら、今回の試合相手であるシャルロッテの情報も網羅されている。だが、さすがにそのノートを持ち込んではいないのだ。あの情報は、エカテリーナにとってはトップシークレットに値するものなのだから。
一応タニアも全部を見たけれど、全部を全部覚えている自信は全くない。むしろ、あの膨大なデータの数々を覚えられるはずがない。
「大丈夫ですよー。わたしが全部覚えていますからねー」
「……」
「タニアには都度指示を出しますのでー。ちゃんと動いてくださいねー」
「は、はい……」
その得意な武器は特になく、逆に苦手とする武器もない。得意な相手もいなければ、苦手な相手もいない。あらゆる相手に対して、あらゆる手段で戦うことができる――それがエカテリーナという戦士の唯一無二の特性である。
さすがに、その練度は各武器の
「データ上だとー、ロッテさんは中距離の間合いくらいが苦手なんですよねー」
「……そうなんですか?」
「そうなんですよー。ですからー、マリエルさんとの戦いでは黒星が多いんですよねー。あとはー、ちょっと集中力が強すぎることが欠点ですねー」
「集中するのは、良いことだと思いますが……」
「ロッテさんは集中力が高い分ー、目の前の相手に全力を尽くすんですよー。ですからー、二対二の戦いだとー、遠距離攻撃要員にあっさり抜かれることもあったりするんですよー」
「……それで、この装備ですか」
「そーゆーことですー」
タニアが握らされているのは、長い棒である。マリエルのものよりも、さらに五割増しくらいで長いものだ。ちなみに、後宮の洗濯番に譲ってもらった物干し竿である。
決してタニアが長槍の扱いに優れているわけではないのだが、それでもエカテリーナは、この武器を扱うようにタニアに命じたのである。恐らくそれは、距離の相性を優先したということだろう。
そしてエカテリーナが持つのは、弓。
「マリエルさんは激怒していましたけどー、わたしはアリだと思うんですよねー、アレ」
「アレ……ですか」
「時間を稼ぐ、って意味合いではこれ以上ない策ですよー。わたしも予定していたことですしー」
「……がんばり、ます」
「タニアがどれだけ時間を稼げるかでー、この戦いは決まりますよー」
ぎぃっ、とゆっくり、目の前の扉が開く。
既に前の選手たちは退場しており、誰もいない広大な闘技場が目の前に姿を現した。逆側の扉も同じく開いているけれど、そちらにはまだ人影はない。
ふーっ、と大きく息を吐き、タニアは先導するエカテリーナの僅か後ろから追随する。
ここまで来たら、もう逃げることなどできない。
「まずー、タニアが一気に距離を詰めて攻め込んでくださいー。勿論ながらー、向こうの射程で戦ってはいけませんよー」
「槍の届く、ギリギリの場所で戦います……」
「それでいいのですー。どうにか気を逸らしてくれたらー、わたしが一気に矢を放ちますからー」
「は、はい……!」
自分が主とならない――それが、タニアにとって一つ安心できる要素でもある。
あくまでこの戦いは、エカテリーナを
そしてそれは、ある種エカテリーナに対しての全幅の信頼でもあった。この、あらゆる情報をものにしているエカテリーナならば、シャルロッテが相手であろうと怖くない、と。
そんなエカテリーナとタニアが、闘技場のリングへと上がって、出番を待ち。
その間、逆側の扉には何の動きもなかった。
「おやー? 出てこないですねー?」
「棄権、とかじゃ……」
「まず間違いなくありえないですよー」
「ですよね……」
そんな風に、タニアの希望的観測に対してエカテリーナが苦笑した、その瞬間に。
唐突に、ファンファーレのようなラッパの音が鳴り響いた。
「え……?」
「おやー……?」
そんなラッパを鳴り響かせているのは、シャルロッテの侍女であるエステル。
そして、どこに隠れていたのか同じくシャルロッテの侍女である数人が、誰もいない扉へ向けて何故か煙幕のようなものを焚き始めた。一体何を使っているのかは分からないが、突然に発生した白煙が、視界を白く染めてゆく。
煙は扉全体を包み、タニアの視界から扉と、そこにいるであろう人物の姿を消してから。
ファンファーレと共に。
待ち侘びていたかのように、そんな煙の中から何かが飛び出す。
「――っ!」
「お待たせいたしましたの! わたくしこそ……んごほっ、んげふっ! ちょっと! 煙が強すぎますの! げほっ! ごほっ!」
恐らく自分が指示して持ち込んだのであろう煙幕――それに文句を言いながら現れたのは。
普段は左右に下ろしている巻き髪を左側だけで束ね、蝶を模したかのような仮面でその目元を隠し、まるで水着のような露出度の高い服を纏った――シャルロッテ。
一体、何がしたいのか。それが、タニアにはさっぱり分からない。
「あのー、シャルロッテさんー?」
「ふふっ、違いますの!」
「へー?」
「今のわたくしはシャルロッテに非ず、ですの! わたくしはっ!」
シャルロッテのそんな宣言と共に。
再び、甲高いラッパのファンファーレが鳴り響き。
「拳闘士ロッテですの!」
「……」
威風堂々、そう名乗りを上げた彼女に対して、タニアは思った。
何が違うのだろう。
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