第27話 一方その頃シャルロッテ
シャルロッテは四人と別の道程で、大きく迂回しながら目的地である一本杉を目指していた。
マリエルが先頭に立ち、そんなマリエルをクラリッサが追随、最後にフランソワとアンジェリカが続く形で、四人はチームを組んでいる。しかし、シャルロッテはそんな余人を囮にして単独で目的地へと向かう遊撃だ。
それはシャルロッテが、無手における戦闘能力に優れるからだ。単独でも敵地の制圧が可能である、という理由で選ばれただけである。
だからこそ、シャルロッテは獣道をかき分けながら周囲に注意を払いつつ、一人きりで歩いていた。
「……ふぅ」
何やら叫び声が聞こえてきたような気はしたが、自身に与えられた任務を優先することが大事だ。そして、単独で目的地へと到達することを課せられたシャルロッテは、全員からの信任を得ているものである。何があろうと、投げ出すわけにはいかない。
マリエルの作戦通りにヘレナを向こうに引きつけて、シャルロッテは思いもよらぬ場所から向かわねばならないのだから。
どことなく孤独感を覚えながらも、シャルロッテは進む。
「……おなかが減りましたの」
腰元には、つい昨夜に解体して干し肉とした犬肉がある。だが、これを食べようとは思わなかった。臭く、ろくな味のしないこれは、本当に極限状態でなければ食指が動かないものだ。
それなりに腹は減っているけれど、まだ耐えられる。きゅるきゅると腹の鳴る音を抑えつつ、枝を掻き分けて草を踏み荒らしながら、シャルロッテはとにかく前へ進んだ。
せめて食べられる肉を――そう思いながら、周囲を観察していると。
「……む」
どうやら水飲み場らしき、やや拓けた川べりがあった。
森の中に空いた空洞のようにある、小川である。どうやら動物たちの水飲み場らしく、そこで数匹の鹿が背を向けて水を飲んでいるのが分かった。
ごくり、と唾を飲み込む。
水は、もう持っている分は切れてしまった。ここで補充して、水筒に入れておくのが良いだろう。
だが、同時に。
そこにいる鹿――それは、シャルロッテの求める食料だった。
「……」
それなりに大きな鹿だ。
ここで捕まえて解体し、焼けば上等な肉を得ることができるだろう。こんな、臭くて不味い犬の肉ではない、淡白で臭みのない鹿の肉が。
アンジェリカから預かった、小さな
あまり切断力には期待できそうにない、丸みを帯びた先端のナイフである。だが、これがシャルロッテの持つ唯一の刃物だ。ヘレナは全体で一本しか刃物を与えてくれなかったので、仕方なく別行動をする前にアンジェリカから借りたのだ。もしも獲物が現れたら、これで解体をしよう、と。
「……」
慎重に、音を立てないようにゆっくりと近付く。
野生の獣というのは、音に敏感だ。例えこちらが音を立てないように動いても、それを敏感に聞き取る聴力がある。ゆえに、シャルロッテが一歩歩み寄っただけで、鹿の一匹が僅かに顔を上げた。
その瞬間に、動きを止める。
動かなければ音は立たない。鹿は周囲をきょろきょろと確認してから、再び水を飲み始めた。人間で言うならば、「……気のせいか?」とでも思っていることだろう。そして、大抵「気のせいか?」と言葉を出した場合、その言葉通りであることはほとんどない。
じりじりと、シャルロッテは近付く。
まだだ。まだ距離はある。
一瞬で襲いかかることができる距離まで、まだ――。
ぴくりと、鹿が顔を上げた。
それと共に、顔の向きを変える。それを察知し、シャルロッテもまた動いた。
気付かれた。
ならば、これ以上慎重に行動する必要はない。一気に大地を蹴り、標的とした鹿へ向けて跳ねた。
「はぁぁぁっ!!」
後宮で鍛えた体は、伊達ではない。常に毎日走り込みを行い、午後からはエステルとの組手を行っているシャルロッテは、その鍛錬の量は他の誰よりも多いだろう。
だからこそ、野生の獣であれど、その脚力は負けない。特に、こちらが完全に身構えており、向こうが少し混乱している状態ならば。
駆け出そうとした鹿の頭を、思い切り殴りつける。そしてそのまま全身の力を一気に込めて、その首を絞めた。
首を絞められて抵抗する鹿が体を振る。だが、その程度で振りほどかれるほど、シャルロッテは甘くない。
「く、ぅぅっ!」
鹿が暴れるが、シャルロッテの腕は鹿の首に食い込んでいる。
そして次第に鹿の力が弱まってきて、ゆっくりと倒れるのが分かった。
呼吸を止めたことによる窒息か、血管を止めたことによる一時的な酸欠であるのかは、分からない。とにかく無我夢中でやったのだから。
動かなくなった鹿へ向けて、思い切りナイフを突き立てる。それと共に、ぶしゅっ、と真紅の血が噴き出した。
「はぁ……はぁ……」
ははっ、と思わず自分に対して笑いがこみ上げた。
こんな風に、野生の獣を解体することにすら、忌避を感じなかった。弱肉強食の世界だと、心の底から思い知らされていたからだ。
むしろ、ただの獲物――自分の腹を満たすものだとしか、思えなかった。
こんな風に自分が変わるなんて、誰が思っただろう。
手早く皮を剥ぎ、解体を始める。
丁度いいことに、小川が流れているのだ。肉を洗うには丁度いい。加えて、血も小川が流してくれるはずだ。
もっとも、血の臭いで他の獣が集まってくる前に、手早く終わらせなければいけないけれど。
鋭さの足りない
内臓を取り出して川に流し、肉を切り分けたあたりで、腕はへとへとに疲れていた。
「……移動、しますの」
鹿の肉を抱えて、小川から離れる。ここは血臭が漂っているだろうし、大体の血はもう洗い流したはずだ。食べるのは他の場所でいい。
小川から少し離れた場所で、再び解体を開始する。
それと同時に、火を焚くことも忘れない。干し肉にして持ち運べば、ひとまずこの旅路は他に食料を求めなくても済むだろう。それなりに大きな鹿である。
「ふぅ……」
焚き火を熾し、適当な木の枝に肉を突き刺し、そのまま炙る。脂身の少ない鹿の肉が、ちりちりと焼けると共に良い香りがしてきた。
塩で味付けしただけの、ろくな出来でもない肉――それが出来上がる頃には、もう日が沈みかけていた。
熱々の鹿肉を、口に運ぶ。
「……おいしい」
空腹だから、そう思うのかもしれない。
だけれど、犬の肉に比べれば非常に淡白で臭みの少ない肉は、噛めば噛むほど味が増してくるような気がした。
さらに肉をやや薄切りにし、干し肉として持ち運べるようにしておく。それと共に、犬の肉は捨てた。これだけ肉があれば、今後数日間は飢えを凌ぐことができるだろうし。
「さて……」
と、そんな風に腹を満たして、水を飲んで喉を潤し。
シャルロッテは、暗くなってきた空を見上げた。
これがあと、何日続くのだろう――と。
「わたくし……」
目的地は、一本杉。
シャルロッテは大きく迂回してそこに至るために、獣道を進んできた。どこに繋がっているのかも分からない、鬱蒼とした茂みを越えて、ここまでやってきた。
結果――ここが、どこなのか分からない。
「道に迷いましたの」
マリエルは知らない。
多分、他の面々も気付いていない。
単独で目的地へと到着する任務を課せられたシャルロッテが、実は方向音痴だということを。
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