第31話 脳筋令嬢の脳筋な一日

 ファルマスを見送った後、ヘレナはひとまず日課の鍛錬を繰り返し行った。

 腕立て伏せ、腹筋、屈伸運動、背筋だ。途中からアレクシアが部屋へ訪れたために、アレクシアを背中に乗せて行うことにした。なんとなくアレクシアの目が死んでいる、ということに気付くけれど、その理由は分からない。何か悲しいことでもあったのだろうか。

 そして軽い鍛錬を終えて、毒味を経て冷め切った朝餉を食べる。せめてもの抵抗に、熱々の茶だけは用意した。


「ヘレナ様、本日は何をされるのですか?」


「……いや、特に何もないな。何か聞いているか?」


「特に先触れはございません。今宵は陛下もお渡りにならないとのことですので、一日自由ですね。何かやりたいことはございますか?」


「ふむ……」


 朝餉を咀嚼しながら、首を傾げる。

 基本的にヘレナは、無趣味だ。鍛錬や仲間との食事や飲酒は、仕事の延長である。一人で暇を潰し、楽しめるような時間の使い方は持ち合わせていない。

 ならば何をするのか。

 それは当然。


「よし、一日中鍛錬をしよう」


「……ですよね」


 何故か、諦めたようなアレクシアの顔。やっぱり目が死んでいる。

 どうしてそんなにも、悲しそうな顔でヘレナを見るのだろう。


「今日は、中庭は使えるのか?」


「どの側室も、茶会を開くとは聞いておりません。ですので、問題なく使えるかと思います」


「よし、午後からは剣を振ることにしよう」


 さすがに、ファルマスから贈られた剣を振るうのに、中庭以外の場所は難しい。

 ただ振るだけならば部屋の中でもできるが、剣を振るうならばそれなりに実戦を想定した訓練をしたいのだ。

 そして諜報員や潜入員であるならばまだしも、戦場における軍人であるヘレナにとって、狭い場所でいかに器用に立ち回るか、の訓練は必要ない。だからこそ、広い空間が必要となってくるのだ。


 朝餉を終え、アレクシアが空いた食器を下げてゆく。そして茶を一服してから、ヘレナの鍛錬はさらに続くのだ。

 今度は同じようにアレクシアを背中に乗せて、同じ運動を繰り返す。

 反復こそが力となり、弛まぬ努力こそが力を作る。

 ヘレナはそんな信条を盲目的に崇拝している。だからこそ、己の体に鞭を打つような訓練も、耐えることができるのだ。


 そんな風に、アレクシアを背中に乗せた状態でふん、ふん、と腕立て伏せを繰り返し。

 ふと、思った。


「そういえば、アレクシア」


「はい? おやめになられますか?」


「いや、続けるが……少し質問があってな」


「……はい」


 少しばかり嬉しそうな声色だったが、ヘレナの答えを聞いてから極端に落ちた。一体、どのような心境の変化があったのだろう。

 まぁふと気付いたのだが、本来ならばもっと以前に疑問を抱いてしかるべきだっただろう。自分の残念な頭に嘆息しながらも、ヘレナは続ける。


「アレクシアは、戦えないのか?」


「わたしが、ですか?」


「ああ。大陸屈指の英雄『青熊将』バルトロメイ様の、腹違いとはいえ妹だろう? ならば、戦闘能力にも期待できるのではないか、と思ったのだが」


 もしもアレクシアに戦う力があるならば、是非中庭での鍛錬のときに、共に行ってほしい。

 敵を想定した訓練も悪くはないが、やはり想定の中でしかない。実戦こそが己の力を磨き上げるのだ。

 だからこそ、そんな一縷の望みを抱いて、そう聞いたわけだが」


「……質問に対して答えるならば、戦うことは可能です」


「そうか! ならば……」


「ですが、不可能です」


「……?」


 意味の分からない言葉に、思わずヘレナは首を傾げる。腕立て伏せをしながら。

 戦えるのに、戦えないとは、どういうことなのだろう。

 アレクシアは、更に続ける。


「ただの女人を相手にするならば、わたしでも立ち回ることはできるでしょう。しかし、ヘレナ様と相対してまともに戦えるほどに、わたしの腕はありません」


「ならば、私と共に鍛錬をして磨いていけばいいじゃないか」


「無理です。少なくとも中庭での剣舞を見た限りでは、わたしがどのような得物を持ったところで、ヘレナ様に瞬殺される姿しか想像できませんから」


 アレクシアにも、武の心得はそれなりにある。

 だからこそ、武の高みに存在するヘレナに相対するには、己では力不足だと分かっているのだ。

 そんなアレクシアの答えに、ヘレナは唇を尖らせる。

 出来れば、一緒に模擬戦を行えるような相手がいれば、最高なのだが。


「むぅ……」


「ヘレナ様、ご理解ください」


「む?」


「ヘレナ様の強さは、既に人間をやめています」


 ……。

 物凄い罵倒のようにすら思えるけれど、しかし褒めてくれているのだろう。

 褒めてくれているのだ、と思わなければ、悲しすぎる。


 それ以上は会話をやめ、午前中はひたすらに反復運動を繰り返す。

 適度にいい汗が流れてきたところで休憩、といったかたちを繰り返しているうちに、昼食の時間になった。

 運動のおかげで腹も空いている。そのためか、冷めてしまっている昼餉ですら、ヘレナには美味しく感じた。


 その後は、湯浴みを経て動きやすい服に着替え、中庭へ。

 当然、右手にはファルマスより贈られた大剣を構えて。


 アレクシアは昨日と同じく、ヘレナの剣が届かない位置で見るだけだ。

 昨日のように仮想の相手を想定した剣舞ではなく、基本技の繰り返しを行う。

 剣での攻撃方法は、主に三つだ。


 突く、斬る、払う。


 鋭い剣先で、敵の体を突く。

 これは敵からすれば最も接敵面積が少なく、防御をされにくい。代わりに、接敵面積が少ないがゆえに、回避をされやすい。

 磨かれた刃で、縦に斬る。

 重力という一つの要素を追加し、己の膂力に加速をつけて一気に振り下ろす。当たり所が悪ければ、人間の体くらいは両断される一撃だろう。ただし、一度振り上げる、という動作が必要であるため、どうしても素早い攻撃はできない。

 遠心力と共に、横に払う。

 回転力も考えたそれは、飛ぶか蹲るか、もしくは後退しなければ回避することができず、制圧力を考えるならば最も範囲が広い、と考えて良いだろう。ただし、どうしても攻撃の位置関係上、防御をされやすい。


 そんな動きの一つ一つを把握しながら、繰り返し、繰り返し振ってゆく。

 腕は悲鳴を上げ、両掌は痛みを訴え、汗が滴る。

 そんな中で、己の体を苛め抜く――それは、あまりにも快感だ。


 動きの中で、ふと目を向けたそこに、他の側室がいることもある。『月天姫』シャルロッテなどはこちらを見下す眼差しを向け、『星天姫』マリエルからはよく分からない視線を感じる。だが、最早その程度で動じるようなヘレナではない。


 とっぷりと日が暮れるまで、休憩を挟みながらもヘレナは剣を振り続けた。


「お疲れ様です、ヘレナ様」


「ああ。今日は素晴らしい運動ができた」


 アレクシアに渡された手拭いで汗を拭き取り、ヘレナは自室へと戻る。

 そこからはやはり冷めた夕餉を食べ、湯浴み。

 全てが終われば、寝台に入る。


「おやすみなさいませ、ヘレナ様」


「ん、おやすみ」


 明かりを消され、ほんの僅かの時間と共に疲労感は睡魔と変わり、ヘレナを襲う。

 襲撃者には決して負けぬヘレナであれど、襲ってくる睡魔には勝てた覚えがない。だからこそ身を任せ、夢の世界へ旅立つ。


「んぁ……陛下ぁ……」


 すー、すー、と規則正しい寝息と、時折寝言が聞こえてくれば、ヘレナの一日は終わる。あとは、翌日の朝まで目覚めることはない。


 脳筋令嬢の脳筋な一日は、こうして終わりを告げる。

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