push3:本当は今すぐ会いたい
(少し暗いお話です)
この日は先約があったにもかかわらず、いつもより遅くまで残業してしまうことになった。
大切な大切な、先約。
一ヶ月ぶりに、彼と会う約束をした。
遠距離になってしまってからも変わらなかった私たちの距離は、数ヶ月後の結婚という形に繋がった。
大学で知り合って、彼の卒業と大手企業への就職。後を追うように私も中小企業のOLとして今は働いているから休みなんて限られている、結婚したら会社を辞めようか悩んではいるが彼は共働きでもいいと言ってくれた。
初めの頃は一緒に住んでいたけれど、彼は次第に会社で重要なポストにおかれる事になってより一層の活躍を見込まれて会社の系列に、よい意味で回されていた。人との交友を望んで居た彼が自分にとってチャンスだと喜んでいたから、しかたないと思うことにした。
私もなんだかんだと遊ばせて貰っているのだ。
けれどそれももうすぐ終わる。
今度からは彼と一緒に住むことが出来るのだ。もう、一人でご飯をつくって淋しく食べることも、ひと月に数回、仕事の予定を考慮しながら彼と会う約束をしなくてもいいのだ。
これからは、一緒なのだから。
早く終わらせるために今まで無視していた、着信を知らせるメロディーとランプ。
ようやく手に出来たのは九時半を過ぎていた。
「もしもし」
『おつかれ、もういいの?』
「うん、やっと終わったから」
『これからだと、居酒屋とかになるかな?』
「ふふ、そうだね。久々だからもっと良いところに行きたかったけど、私のせいだもんね」
『しかたないよ』
ぽつりぽつりと、他愛ない話をした。
それから、二人で行ったことのある店をいくつかあげて、その中でも私の家に近い場所にしようということになった。
「じゃあ、また」
後で、といいかけた所で彼が今までとは違う声で、私を呼んだ。
『葉月』
「ん、何?」
そのことをあまり深く考えずに軽い気持ちで聞き返した私。
そんな私に彼が言った言葉が、あまりに当たり前でけれどどこか切迫感を帯びていて、笑いで流してしまった。
その時私が彼に返した言葉に、彼は当たり前だよな、と言うように、『そうだよな』と少し苦笑いを含んだ声で言ったけれど、何か様子がおかしくて少しだけ気にかかりつつも電話をきった。
けれど、当たり前なんてなかった。
当たり前なんて、こなかった。
彼が待ち合わせ場所に現れることはなく、何度も掛けた電話が漸く繋がったとき、受話器越しに聞こえた声は彼とは違う男の声だった。
『このケータイの持ち主の知り合いの方ですか』
胸がざわざわとした。
『私は○○病院の――』
近くの、病院の、名前。
耳に押し付けたケータイから色んな状況を話されたけれどどれも現実味が起きずに右から左へと抜けていった。
彼は、病院に運ばれたらしい。
一番簡単にその答えが見えたとき、なんとなく数時間前の彼との電話の最後を思い出しながら、私の足はその病院へと向かっていた。
……
『本当は今すぐ会いたい』
絞り出されたその声に含まれた、貴方の愛は届いたけれど、届かない。
今はもう、届かない。
機械越しのその声に、私は貴方の夢をみる。
隣に貴方が居ない世界を、私は生きていく。
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