31 新しい関係

 もう直に夏だなあと思いつつ、少し早目に約束のレストランへ入った。

 エントランスで顔馴染みのウェイターさんに、虹川様、と声をかけられた。


「あ、お久しぶりです」

「お久しぶりでございます、虹川様。お連れ様が随分お待ちですよ」

「え? 私、予約より早く来ましたよね?」


 不思議に思いつつ、個室へ案内してもらう。私も早目に来たはずなのに、本当に征士くんは既に席についていた。


「こんにちは、瀬戸くん。早いわね。急に誘ったのに、私の方が遅くてごめんなさい」

「こんにちは、月乃さん。僕が勝手に早く来ただけなので、大丈夫です」


 ウェイターさんが水とメニューを持ってきてくれた。


「ここはパスタのセットが美味しいのよ」

「いえ、僕は飲み物だけで……」

「あら、お腹空いていないの? じゃあ、私も軽食にするわ」


 オーダーを取りにきてくれたウェイターさんに注文する。


「私は、スコーンとサンドイッチのティーセット。紅茶はアッサムで」

「僕は、コーヒーでお願いします」


 やがて、注文したものが運ばれてきた。私はフルーツサンドを口にする。征士くんはコーヒーをブラックで飲んでいた。


「……それで、お話って」


 私が一つサンドイッチを食べ終わるのを見計らっていたのか、征士くんが話しかけてきた。私は顔を上げ、正面から征士くんを見つめた。


「昨日私の家に、あなたのクラスメイトの、深見くんと志野谷さんと山井さんが来たわ」

「深見と、志野谷と、山井……?」


 私は父も交えて五人で話した内容を、かいつまんで話した。


「今まで瀬戸くんの話を聞こうともせずにいたこと、本当にごめんなさい」


 私は頭を下げて謝った。


「いえ、誤解が解けたなら、それでいいです」

「でもちょっと訊くけど、本当に志野谷さんとキスしてないの? 婚約解消の後に笑い合っていたりとか」

「婚約解消された後、誰とも笑っている余裕なんてありませんでしたよ。それに本当に、志野谷とキスなんてしていません。僕は、月乃さんとしかキスしたことがないです」


 何だ、あの予知夢はハズレだったのね……。私は脱力した。

 それで、と征士くんは続けた。


「誤解が解けたところで、また婚約していただけるんですか?」

「いいえ。一回正式に婚約破棄してしまったから、そんなまたすぐなんて、厚かましいことは言えないわ。慰謝料もお渡ししたし、そちらのご両親にもご迷惑をおかけしていて、申し訳ないわ」

「じゃあ、両親は僕が月乃さんのことを好きなことを知っているし、慰謝料をお返しすれば、何の問題もないですね」


 征士くんは、にこにこして言った。


「……ねえ、本当に私のことが好きなの? 例えばどんなところが?」

「そんな、月乃さんの好きなところなんて、簡単に数え上げられません。可愛いし、綺麗だし、すごく優しいし、お料理もお菓子作りも上手だし、気配りやさんだし……言い足りません。今日もすごく素敵ですよ」


 今日の私は何の変哲もないワンピース姿で、化粧も薄めだ。顔立ちも十人並みだし、何か征士くんは勘違いしているのではないだろうか。


「……誰か、別人の話をしているんじゃないかしら。私はそんな、大層な人じゃないわ」

「いいえ、勿論月乃さん本人のお話です。ねね、またすぐ婚約してくれるんでしょう?」

「しないわよ」


 私があっさり答えると、彼はえー!? と肩を落とした。さらさら黒髪の美少年が悲愴な顔をしていると、うっかり慰めたくなる。


「どうしてです? 条件には合っているんでしょう?」

「そうね。『資質』は多分、瀬戸くんの右に出る人はいないと思うわ。ただね、了承もなく強引にキスしてきたり、女の子を引っぱたいて優しく出来なかったり、生活態度や授業態度が悪い人は願い下げだわ。それにね、私あなたのこと婚約者として好ましく思っていたけれど、婚約者じゃなくなったら、自分の気持ちがわからなくなっちゃったの」


 まくし立てると征士くんは絶句してしまった。しばらく沈黙が続く。私はスコーンにクロテッドクリームを塗って、かじりついた。


「……僕にもう望みはないんですか? 月乃さんのことは絶対諦められない……」


 あんまりがっくりしているので、つい優しい声になってしまった。


「望みがあるかないかとかの、話じゃなくて……。さっき言った悪く思っているところ以外は、瀬戸くんのことは好ましく思っているの。前に言ったように、格好良いし、優しいし、気遣ってくれるし、私の方が釣り合わないわ。お話していて楽しいし、良かったら、お友達になってもらえないかしら?」


 征士くんは顔を上げた。じっと私を見つめてくる。


「……お友達、ですか?」

「うん。出来たら私とお友達になってくれたら嬉しいわ」

「悪いところはすぐに全部直しますから……せめて彼氏、とか」


 私は紅茶をすすった。


「悪いところをすぐに全部直す、お友達が欲しいわ。そうね、私が自分の気持ちに気が付いたら……、お友達が、彼氏になるかも」

「月乃さん……ずるいです。そんな言い方されたら、お友達になってくださいって言うしかないじゃないですか」

「あら、他人でもいいのよ?」

「お友達になってください! お願いします!」


 うふふ、と私は笑った。


「こんな格好良いお友達が出来ちゃった。悪いところがなければ、きっとすぐに好きになってしまうわ。そうしたら『付き合ってください』って告白しちゃおう」

「じゃあすぐに付き合ってください、月乃さん!」

「ああ、私の方が先輩だから、虹川先輩って呼んでね。に・じ・か・わ先輩ね。勿論仲良しのお友達よ?」


 サーモンのサンドをぱくりと食べる。征士くんは、わなわな震えながら言った。


「是非、とーっても親密な仲になりましょうね、虹川先輩。お友達から結婚まで持ち込みますから、覚悟していてくださいね」

「まあ、こんな素敵なお婿さんが来てくれたら嬉しいわ。父も喜ぶわね」


 私達はお互い、ふふふふふ、と笑い合った。

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