4 公式戦初試合

「え、吉野先輩が、足に違和感?」


 深見くんが心配そうに征士くんに尋ねた。吉野という先輩は、テニス部の副部長らしい。


「さっき皆でストレッチしてるときに、右の足首が痛いって……。でもこれからシングルス2の試合だし、どうしようかって部長が悩んでた」

「そっか……。無理してもな。でも次の相手って、確か強豪校だったんじゃ……」


 二人が小声で話していると、大柄な男子生徒が近づいてきた。

 彼はまず、私に向かって頭を下げた。


「虹川先輩、初めまして。先程は差し入れありがとうございました。俺はテニス部部長の藤原です」

「藤原くんね。初めまして、虹川月乃です」


 私もお辞儀をする。藤原くんは、改めて私達に向かい合った。


「吉野の足首が腫れている。捻ったのかもしれない。次のシングルスには、瀬戸、お前が出てくれ」

「ええっ?! 僕ですか?」


 藤原くんの言葉に、征士くんを始めとして、私も深見くんも驚いた。


「控えの中で、今一番調子がいいのがお前だ。部長として、誰にも文句は言わせない」


 部長らしい威厳で言い放つ。征士くんはしばらく私達や空、地面と忙しなく視線を動かせ、最後には覚悟を決めたようにぎゅっと拳を握りしめた。


「わかりました。出ます。ラケットの調子を見てきます」

「ああ、お前なら大丈夫だ。頑張れ」


 藤原くんの激励に力強く頷き、征士くんは歩き出そうとする。私は慌てて呼び止めた。


「あの……。頑張って! 応援しているから」


 征士くんはにっこり笑った。


「ありがとうございます。もし勝てたら今度お弁当のリクエスト聞いてください」

「勿論に決まってるじゃない」


 約束ですよ、と彼はコートへ向かって行った。藤原くんも頭を下げて、この場を後にする。

 私と深見くんだけが残った。


「こんな急に、大丈夫かしら」

「大丈夫ですよ、瀬戸は見かけによらず度胸があるから。試合が見える所まで、案内しますね」


 私は深見くんに連れられて、コート脇のフェンスまでやってきた。


 ♦ ♦ ♦


「1セットマッチです。6ゲーム取った方が勝ちです。ゲームは4ポイント先取です」

「ああ、1ポイント目は15とか、2ポイント目は30とか数えるんだっけ」

「そうです。3ポイント目の40の後、ポイントが取れれば、そのゲームに勝ちますね」


 これまで征士くんとお話した内容を踏まえて、深見くんの説明を聞く。

 やがて征士くんと相手校の男子が出てきた。

 ラケットを回してサービスの順番を決めているようだ。決まったらしく、お互いネット越しに向かい合って構える。征士くんのサービスで試合は始まった。


「すごいわね……目が追いつかない」


 サービスの球が速い。相手が打ち損ねて球を高く上げると、狙っていたかのようにスマッシュを決める。


「瀬戸はサービスをいやらしいくらい、ラインぎりぎりに決めてきますからね。相手はあまりサーブが上手くないようだ……ダブルフォルトばっかり。瀬戸に挑発されているな」

「試合は瀬戸くんが押してるのよね?」

「そうですよ。もう5─1ですもん。次で決まりますよ」


 それでも私は手に汗を握って応援する。どうか、予知が当たっていますように。


「ほら、瀬戸が勝ちましたよ。圧勝だったなあ。あ、こっちに手を振ってる!」


 ああ、と私は思った。たった一度の予知夢が的中した。ラケットを掲げて、こちらに向かって手を振っている。


「ほらほらー。虹川先輩、手を振り返さないと。あいつ、待っていますよ」


 私は慌てて小さく手を振った。汗が顔を伝う征士くんは満足そうにベンチへ帰っていった。

 ばんばん、とベンチで同輩や先輩に身体を叩かれている。嬉しそうだ。私は深見くんを振り返った。


「私、すっかり深見くんのお世話になっちゃったわね。どうもありがとう。もう帰るから皆さんによろしくね」

「瀬戸に会っていかないんですか? 公式戦初勝利ですよ」

「お邪魔そうだし、後でメールするわ。深見くんもテニス部の方へどうぞ」


 じゃあ、と告げると私はコートに背を向けた。征士くんは汗で髪が乱れてしまっても、なお一層綺麗だった。勝利の瞬間は、光り輝いているようだった。私には征士くんが少し眩しすぎて見ていられなかった。



 家に帰ってから、公式戦初勝利おめでとう、とメールをした。

 メールはすぐに返ってきた。お弁当で大きなエビフライが食べたいと書いてあった。後、おめでとうは直接言って欲しかったとも書いてあった。

 いやいや、あの集団を割って入る勇気はない。エビは夏休み明け、車エビにしようかなー、と考えた。

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