138.たまには父親だって羽を伸ばしたい

 私は息子を自慢に思っている。


 俊成は自分の息子とは思えないほどよくできた子だ。

 それは今現在だけの話ではない。まだ幼かった頃から今に至るまで、私は俊成を叱ったことがないのだから。

 仕事で俊成の相手を充分してやれたかと聞かれれば、簡単に頷けはしない。しかし妻でさえ「手のかからない子」という評価なのだ。私の印象とそうずれてはいないだろう。

 親としては喜ばしいことだ。「悪い子」よりも「良い子」の方が歓迎すべきことに決まっている。

 なのになぜだろうか? 今の俊成に対して、私は不安を覚えているのだ。



  ※ ※ ※



「すみません、お待たせしてしまいましたか?」


 駅近くの居酒屋。私が到着するとすでに宮坂さんと木之下さんが席に着いていた。


「そんなことないぞ。さあ座って座って」


 そう言ってくれる宮坂さんはもう顔が赤い。すでに何杯か飲んでいるようだ。


「僕は高木さんが来るまでは待てと言ったんだけどね」


 木之下さんは酒や料理に手をつけていなかったようだ。かえって申し訳なく感じる。


「私に気にせず始めてしまっていいですよ。こうして時間が合わせられるのはまたいつになるのかわからないですし」


 席に着く。今日は父親三人で飲み会だ。

 とりあえず生ビールを注文する。外が暑かったからキンキンに冷えたビールがとても美味い。


「たこわさあるぞたこわさ。高木さん好きだろ?」

「ははっ、どうも」


 宮坂さんがテーブルの上にあるたこわさをすすめてくれる。これまで何度も飲み会をしてきた仲だ。お互い好物を知っている。

 しばらく雑談に花を咲かせた。酒が入ったおかげか楽しい気分になっていく。


「そういえば」


 宮坂さんが改まって切り出した。


「葵が、今度俊成くんと瞳子ちゃんの三人で旅館に泊まると言っていたんだが……」


 私と木之下さんはピタリと箸を止めた。


「僕も、聞いたよ……」


 木之下さんの目が恐ろしい色を帯びる。私は曖昧に笑うことしかできなかった。


「……もしかしたら、俊成くん葵と瞳子ちゃんを同時に食っちゃうかもな」


 予想に反して、宮坂さんは明るく笑った。あまりの言葉に私はぎょっとし、木之下さんは口にしていた料理を噴いた。


「い、いや……二人ともだなんて、俊成はそんなことしないでしょう」

「そ、そうだっ。俊成くんはそこまで卑劣な行いはしないぞ!」


 卑劣……。少し胸が痛む……。

 小学校を卒業した日のことだ。二人の女の子と交際する。最初は面食らったものだった。

 しかしまだ子供。仲良しの三人組が、もっと仲良しになった。これまでの俊成達を見てそう思っていた。

 だから今回の旅行も微笑ましい思い出作りになるだろう。私は息子を信頼しているし、俊成も葵ちゃんと瞳子ちゃんの信頼を裏切ることはしないだろう。


「しかしなぁ、若い男女が泊まりの旅行だ。何もない方がおかしいだろ」

「それは……」

「と、瞳子に限ってそんな……」


 宮坂さんの言葉に私と木之下さんはうろたえる。

 木之下さんはとくに娘への愛情が強い。よほどのことでもない限り、男との旅行なんて認めなかっただろう。

 それでも認めたということは、口ではいろいろ言いつつも俊成を信頼してくれていたということを証明していた。


「い、いや僕は娘を信頼しているからね。それにまだ子供だよ」

「あれだけ大きくなったんだ。もう立派に大人扱いしてもいいんじゃないか? 親にとっては子供はいつまでも子供だがな、子供扱いをしすぎるってのは我が子にとってよくないことだと思うぜ」

「う……む……」


 木之下さんが頭を抱える。私も同じ思いだった。

 もし俊成が二人に手を出してしまったら? 私は申し訳が立たない……。


「そ、そこまで考えていて宮坂さんはいいのか? 自分の娘だってその旅行に行ってしまうんだぞ!」


 木之下さんはグラスをテーブルに叩きつけながら言った。酔いが回ってきたのか顔が赤い。

 いや、私も飲んでいなければ心配で気が動転してしまいそうだ。

 私だって俊成を信頼している。それに二人きりではないのなら、そういう空気にはならないのだろうと思い込んでいた。


「いいんじゃないか? もしそういう事態になったらなったで」

「んなっ!?」


 こともなげな宮坂さんの言葉に、木之下さんは絶句した。娘がいない私でさえ似たような反応をした。


「だだだ、だって……娘のことだぞ?」

「経験が多いに越したことはないだろう。問題が起こるなら若いうちの方がいいしよ」


 問題って……。むしろ問題が起こらないように導くのが親の役目ではないだろうか。


「……もしかしてよ、木之下さんはあまり女性経験がないのか?」

「は、はあっ!? 何を言っているんだ! 僕は妻一筋だ!!」

「わかったわかった。そんな大声出すなって。木之下さんが奥さんとしか恋愛しなかったってのはわかったからよ」


 木之下さんは肩で息をしながら「わかればいいんだ」と零す。本当に経験人数は奥さんだけらしい。


「高木さんは? どうなんだよ」

「わ、私ですか?」


 正直、胸を張れるだけの恋愛経験は私にはない。

 人数だけでいえば片手の指でも充分すぎる。それぞれの交際期間もそれほど長くは続かなかった。女性とは難しいものだと身に染みたものである。

 妻とはお見合いが出会いだった。しかし今まで出会った女性の中で一番の人だと思った。これは運命なのだと感じたほどだ。


「私もそれほど経験があるわけではありません。ですが、良い妻に巡り会ったとは思っていますよ」

「なるほど、高木さんも言う時は言うねぇ」


 ニヤリと笑う宮坂さん。さらに酒が進んだからか顔の赤さが増していた。


「そういう宮坂さんはどうなんですか? 実はたくさんの女性を泣かせてきたとか」


 冗談のつもりで言ったのだが、本人は苦笑いをして口ごもる。

 ……宮坂さんは若い頃からさぞモテていたのだろう。

 顔やスタイルといった外見には文句のつけどころはない。それに起業して成功して、とても活動的な人だ。女性に対して苦手意識もないだろう。

 経験……。それは自分の体験からくる意見なのだろうか。

 成功者としての意見といえばいいのか。だが、俊成には合わないと思うのは、父としての私の意見だ。

 傷つくのも確かに経験だ。若い頃の方が傷が浅く済むだろうというのも同意見だ。

 それでも、俊成にとって葵ちゃんと瞳子ちゃんはかけがえのない存在だ。片方、あるいは両方と別れて、はいおしまいとはならないだろう。

 いつかは誰かが傷つく結果が訪れる。そして、俊成だって傷つく結果となるだろう。俊成は優しく育ってしまったから。

 だからこそ、私達大人はしっかりしなければならない。

 三人の関係には口を出すのもためらわれる。手を差し伸べることすら躊躇してしまう。それでも我が子を支えてやりたい。その思いだけは心にあり続けていた。


「じゃあ宮坂さんと奥さんの馴れ初めを聞かせてもらおうか! よぉーし、今日は語ってもらうぞー!」


 木之下さんが宮坂さんと肩を組む。顔が真っ赤だ。完全に酔っていた。


「いいだろういいだろう。俺が大恋愛ってやつを教えてやろう!」


 宮坂さんも気分良く応じる。「ガハハ!」と笑いながら顔が真っ赤だ。完全に酔っていた。

 まあ、今子供達の心配をしても仕方がない。私も追加の注文をして話の輪に加わった。


 親として子供を心配してしまう。それは飄々としている宮坂さんもそうだろうし、木之下さんに至っては口にする必要すらない。

 私達はこうやって互いの不安を煽り合う。我が子を信頼している。しかしそれ以上に心配してしまう。それが親というものなのだろうね。

 将来どちらを選ぶにしても、きっと俊成は傷つくだろう。「良い子」だからこそ不安なのだ。二人の彼女のことを真面目すぎるほど考えてしまうだろうから。

 それでも「がんばれ!」と願う。

 充分がんばっている俊成にかけるべき言葉ではない。だからこそ心の中だけでも応援する。息子には幸せになってほしいからだ。

 俊成に不安を覚えている。しかし、同時に将来への期待もあった。それが親としての悩みであり、楽しみなのだろう。


 ……とはいえ、俊成が旅行から帰ってきたら様子を観察しよう。当分は不安の割合が多くなりそうだった。


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