117.まだ大人にはなれない
後日、森田から品川ちゃんとの交際を始めたとの連絡があった。
わざわざ俺に報告してくるとは律儀な奴め。もちろん祝福の言葉をこれでもかと浴びせてやった。森田は恥ずかしがりながらも嬉しそうにしていた。
品川ちゃんもこれで良かったのだろうか。とか思っていたら後ほど彼女からもノロケ話を聞かされた。物語を作ることをやっているためか、いちいち表現が生々しい……。男の先輩に言うことじゃないだろという話までされてしまった。
なんだろうな。今までじれったい関係を続けていたというのに、いざくっついてみれば砂糖をどれだけ入れたんだってほどのこの甘さ。あまりの多さにおすそ分けをお断りしたいほどだ。もうお腹いっぱいですってば。
「それを高木くんが言うたらあかんやろ」
ということを佐藤につらつらと話してみれば、真顔でそんな返答をされてしまった。
まあ……そうだな。自分のことながら、美少女二人と同時に付き合っていながら、後輩相手に惚気やがってだなんて言えないか。
そうやって少なからずの羨望を向けてしまうのは、後輩カップルの一途な想いがあるからなのだろう。
いくら好きとはいえ、二つの矢印がある俺に一途なんて言葉は当てはまらない。だからこそ俺に向けられている葵と瞳子の一途な気持ちが眩しすぎるのだが。
純真で綺麗なものには触れることすらいけないことなのだと考えてしまう。もしも汚してしまったらと考えると伸ばした手だって引っ込めてしまうのだ。
結局のところ、森田の罪の意識は過去のことばかりではなく、現在の品川ちゃんに対しても存在しているものだったのだろう。夢を目指す姿ってのは人を輝かせるものだ。その輝きを鈍らせてしまったらと考えてしまっても不思議じゃない。
それを感じていながらも踏み出した森田。後輩のそんな姿を見せられると、先輩である俺が足踏みしているわけにはいかないと思った。
なんだかんだと言いながら、俺は恋人になってなお、葵と瞳子を遠くの存在だと考えていたのかもしれない。だから自分のもとへと引き寄せるのに申し訳なさというか、何か後ろめたいものを感じてしまっていたのだ。
二人は身近な存在だ。それを忘れてはいけない。いつまでも前世のような気持ちでいてどうするというのだ。
前世で瞳子とは出会った記憶はないけれど、葵は憧れの存在だった。とても綺麗で遠くて、まさに高嶺の花だったのだ。きっと瞳子も同じような目を男子達から向けられていたはずだ。
だからと言って今はちゃんと手の届くところにいてくれている。それどころかこっちに手を伸ばしてくれてもいる。前世の俺が見たら絶対に信じられないだろうな。
いつまでも手を出せないのは、俺が葵と瞳子を神聖視しているからだ。あれだけいっしょにいて、あれだけたくさんの思い出を作っておきながら、同じ世界の住人と思っていなかったのだろうか。そこまでではないにしても、悪い意味で特別扱いしていたのかもしれない。
森田は自分の認識を変えたのだろう。おそらく森田にとって品川ちゃんは良い意味でも悪い意味でも特別だったはずだ。
今までの認識を変えるというのは簡単にできるものじゃない。実際に俺は今でも前世に引っ張られているところがあるんじゃないかって思うことがある。変えたいと思って、変えようと行動してきたにも拘わらず、だ。
たぶん、それは森田も同じで、今回変えたことというのは俺が考える以上に大変だったのかもしれない。
でも、その結果は品川ちゃんといっしょに幸せそうにしている姿だった。当初、俺が追い求めていた光景そのものだ。
もちろん後輩二人は互いにこれが初の男女交際だ。このままうまくいって円満に結婚へとゴールイン。という保証なんてどこにもない。
あくまで学生のうちでの恋人。いや、だからっていつか別れると口にするつもりもないが。それこそこれからの二人のがんばり次第だろう。先輩である俺はどんな結果でも受け入れてやることしかできない。
なんか頭の中でぐるぐる考えているが、結論を言えば、俺も踏み出す勇気ってやつが必要だろうってことだ。
そうやって、勝手ながら後輩に背中を押されている自分がいた。後輩カップルは幸せすぎてそんなこと考えもしないんだろうけどな。今度会ったらまた祝福してやるっ。
※ ※ ※
「お帰り葵。あら、俊成くんいらっしゃい」
「お母さんただいまー」
「おばさんお邪魔します」
学校が終わり、帰宅前に葵の家へと上がらせてもらった。
今日は瞳子は用事で先に帰っていた。まあそういう日もある。二人が俺と二人きりになる日を決めているだなんて、たぶん知らなくてもいいことだ。
葵のお母さんは高校生の娘がいるとは思えないほどの若々しさがあった。それは瞳子のお母さんにも言えることなのだが、本当に歳いくつだっけ? と思ってしまう。俺の母親と同じくらいのはずなんだけどなぁ。
「後でお菓子とジュース持って行ってあげるわね」
「別にいいよー。それくらい私がやるってば」
「いいからいいから。葵は俊成くんをおもてなししてあげないとね」
なんてほのぼのした母と娘の会話を聞きつつ、葵の部屋へと入らせてもらう。当たり前のようにしているけど、高校生の女の子の部屋にあっさり入るのってすごいことなのかも。なんて考えるのはちょっと前世に思いを巡らせたからだろうか。
「……」
俺は座ってくつろがせてもらう。葵も鞄を置くと、俺のすぐ横にぺたんと座った。
互いに気兼ねなくリラックスしている。幼馴染だからこその緩い空気感。けれど、その空気の中にはわずかな甘さを感じ取れた。
「トシくん……」
葵が顔を近づけてくる。彼女の美貌は順調に成長していた。前世の時よりも美しく見えるのは俺のひいき目のせいだろうか。それだけじゃない気がした。
ちゅっと触れ合うだけのキス。そんな軽い接触だというのに胸に広がる幸福感はとてつもなく大きかった。
朝にも一度しているからこれが今日二度目のキスだった。
ゆっくりと顔を離す。葵の顔は赤くなっていた。照れながらはにかむ彼女がかわいくて、愛しくてたまらない。
キスはもう何度もしているというのに、いつも変わらない幸福感を与えてくれる。このドキドキした気持ちが収まる日が来るのか、まるで想像できなかった。
「葵ー、俊成くん。お菓子とジュース持ってきたわよー」
「はーい。今開けるね」
ドアの向こう側からおばさんの声が聞こえる。さっきキスしただなんて思わせないようないつもの調子の声で葵は返事した。
葵がドアを開けると、お菓子とジュースが乗ったお盆を持ったおばさんの姿。部屋に入るとお盆をテーブルの上に置いてくれる。
「いつもすみません」
「うふふ、遠慮しなくてもいいのよ。俊成くんは大きくなっても礼儀正しいままね」
その含み笑い気になるんですけど。おばさんの目が面白そうなものを見るようなものになっているのは俺の考えすぎだろうか。
というか、じっと見つめられている? おばさんの視線は俺を捉えたまま動かない。
「おっと、あまり葵と俊成くんの邪魔をしちゃ悪いわね。お邪魔虫は退散させてもらうわ」
「もうっ! お母さん!」
「うふふ。二人ともがんばってね」
おばさんは含み笑いをしたまま部屋を後にした。声を荒らげた葵の顔は上気している。
それに何をがんばれというのか。しょっちゅう会っているわけでもないのに何かに感づいているような態度が俺を怯ませる。
「……」
「……」
おばさんがいなくなったのに、俺と葵は黙り込んでしまった。
再び二人きりになった葵の部屋。ふわりと漂う彼女のにおいが嗅覚を甘く刺激する。
せっかく持ってきてくれたお菓子とジュースに手をつけようとは思えなかった。
静寂に支配され、聞こえるのは自分の心臓の音ばかり。葵に聞こえやしないかと、あり得ないことを心配しているほどに余裕がなかった。
「あ」
だからだろう。俺は緊張のまま、焦ったように行動に移った。
葵の手を掴む。そのまま引っ張ると、彼女は何の抵抗もないまま俺の胸の中へと収まった。
葵の体温を感じていると緊張はしたままなのに、心が穏やかになっていく。それはきっと相反する感情ではないのだろう。
「葵……」
「ト、トシくん? な、なんだか珍しく積極的だね」
固い笑いを零す葵。彼女の唇を指でなぞるとその笑いはピタリと止まった。
緊張しているのだろう。葵を支えている手から体をこわばらせているのが伝わってくる。
まあ、緊張しているのは俺も同じなのだが。
意を決して葵の顔に、自分の顔を近づける。少しだけ彼女が目を見張る。
俺自身がキスの回数制限なんて言い出しておきながら、それを破ってしまうのは勝手すぎるだろうか。
でも、もう止まれない。止まるつもりもない。俺は目をつむった。
「ん……」
葵と本日三度目のキス。初めて決められた回数制限を破った。
何もしないことは誠実でもなんでもない。俺が思いやりだと思っていたことは、彼女達にとってはただその場から動かなくなってしまったことと同義だ。だからこそ、球技大会で瞳子は俺を動かそうとがんばったんだ。
ただ今の関係を維持するために俺達は付き合い始めたんじゃない。むしろ深い関係になって、その上で俺が選べるようにと二人からもらったチャンスのはずだった。
前世含めて初めて女の子と付き合うことだったり、大切な幼馴染を傷つけたくなかったりと、俺はそれっぽい理由を並べて何も進展させようとはしてこなかった。
結局、葵と瞳子の二人といっしょにいるのが幸せすぎて、その関係を壊すのが怖かっただけ。やる後悔よりもやらない後悔の方が嫌なんだって、前世で思い知ったはずなのにな。
「んっ……ちゅ……」
いつもよりも少しだけ深く。数値として出せば数センチも前進してないだろうが、それでもこの甘くしびれる感覚は段違いだ。
もっと……、もっと深く繋がりたい。葵を抱きしめて密着する。
気持ちが高ぶっていく。葵の感触すべてに溺れそうだ。
もし、これが瞳子相手だったら? また違った気持ちになるのだろうか。
「んふぅ……、はぁ……はぁ……」
頭の中で瞳子の顔を思い浮かべた瞬間、俺は葵から唇を離した。
いくら二人ともが恋人とはいえ、キスしている最中に他の女の子のことを考えるなんて失礼だろ。葵に気づかれないように心の中だけで反省する。
唇を離したといっても僅かな距離しかない。葵の熱い吐息が俺を興奮させる。
「トシくん……」
葵の声のなんと甘いことか。鼓膜を通じて脳を溶かそうとしているみたいだ。
「……ごめんな葵。自分からキスの回数を決めたくせに、自分で破るなんて勝手すぎるよな。でも、俺が二人と付き合ってるのは自分の気持ちに正直になるためだもんな。だから、自分から枷をはめるだなんてバカな真似はもうしない。……いいか?」
葵は顔を赤く染めたまま、小さく笑った。
「そうだね。本当に、トシくんをどうしてやろうかと思っていたよ」
葵は優しく目元を緩める。けれど、その目の光は厳しく俺を見据えていた。
「瞳子ちゃんも同じ気持ちだから、もう一度伝えるね」
そう言ってから、葵は一拍置いて、再び口を開いた。
「私も、瞳子ちゃんも、トシくんに傷つけられる覚悟はしているよ。したくないのは後悔だけ。それは私だけじゃなくてトシくんにも瞳子ちゃんにも同じように後悔してほしくないって思っているの」
葵にとって瞳子はただのライバルじゃない。彼女にとっても特別な人なのだ。だからこその正々堂々な言葉だった。
「だからね、トシくんがこれからどうするのかっていうのを、瞳子ちゃんにもちゃんと言ってあげて」
葵の体が離れていく。そうしてようやく息を止めていたことに気づく。俺は大きく深呼吸しながら「ね?」と微笑む彼女に頷きで返した。
人はいつの間にか大人になっていくものだ。だけど、俺が大人になるまでにはまだ時間が必要らしい。
※ ※ ※
時間も遅くなってきたので帰宅することにした。
「お? 俊成くん来てたんだな」
「お邪魔してますおじさん。って言っても今帰るところですけども」
宮坂家を後にしようと階段を下りた時、ちょうど葵のお父さんと鉢合わせた。どうやらちょうど帰ってきたところのようだ。
今やおじさんは何百人という社員をかかえる社長だ。かなり忙しいこともあって会うのは久しぶりだった。
おじさんは俺と葵を交互に見やる。なぜかふっとダンディに笑い、俺の肩をバン! と叩いた。というか力強いって。
「俊成くん、いつか機会があったらいっしょに酒を飲み交わそうぜ」
「いや、俺まだ未成年なんですけど」
「わっはっはっ! 細かいことは気にするな」
豪快に笑うおじさんだった。そんな父親に構わず葵は俺の手を引いて玄関へと歩く。
「お父さんったら……」
葵の呟きに気づくことなく、俺は大人になるのはまだ遠いなぁと立派な父親に魅せられるのであった。
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