105.球技大会で叶えたいこと(前編)

 球技大会前日、瞳子からこんな提案をされた。


「ねえ俊成。もしあたしが明日の球技大会で優勝したら……一日のキスの回数を増やしてくれる?」


 もじもじしながら頬を朱に染める瞳子は本当にかわいい。思わず抱きしめたくなるのを理性を総動員させて押しとどめる。


「キ、キスの回数ですか?」


 敬語になってしまったのは決してどもったのをごまかすためじゃない。ないったらない!


「う、うん……。ど、どうかしら?」


 キスの回数を増やす。そもそも恋人だというのにキスの回数を制限しているのがおかしいのだ。制限したのは俺なんだけども。

 素直なことを言えば、俺だってもっとキスしたい! そう望むほどに葵と瞳子とのキスは幸せで満たされるのだ。きっとセロトニンとか幸せホルモンが湯水のごとく溢れているのだろう。


 ……しかし、である。

 瞳子も葵も魅力的過ぎるのだ! 二人とあんまりにもキスを繰り返していたら理性なんて簡単にふっ飛んで欲望を抑えられなくなってしまうに決まっている。

 俺の欲望まみれの手で葵と瞳子に触れてしまうのに抵抗があった。もし二人を悲しませてしまう結果になったらと思うと、心の臓が絞めつけられるような感覚にとらわれてしまうのだ。

 イチャイチャするのはいいだろう。キスだってもっとしたいくらいだ。だけど、二人のどちらかを決められないでいる状態で責任を取れないことをしてはダメだと思うのだ。

 もし片方を選んでしまえばもう一人はどうなる? 俺に手を出されたことが嫌な思い出としてこびりついてしまうのではなかろうか。それにもしもその……ね? 準備をしていても万が一ということがあるかもしれないし……。

 頭の中でぐるぐると考えていると、瞳子の俺を呼ぶ声で現実に引き戻された。


「と、俊成……その、ダメかしら?」

「え、えっと……」


 ああ、綺麗な青い瞳が揺れている。不安になんかさせたくないのに。贅沢な悩みだとわかっていても口が重い。

 俺がまごついているのに不安を覚えたのか、瞳子は慌てるように言葉を重ねる。


「に、二回でいいの。一回から二回に増やすだけ……。そ、それならいいでしょ?」


 二回か……。一日一回で耐えられているのだからもう一回くらい増やしても大丈夫だろうか。

 うん……そうだな。もう一回くらいいいだろ。うん、たった一回増えるだけだし。


「そ、そうだね……。じゃあ瞳子が優勝したらってことで……」

「本当! 男に二言はないんだからね! 明日は絶対優勝するわ!!」


 瞳子の表情がぱぁっと輝いた。やる気に満ち溢れたようで拳をぎゅっと握っている。

 俺の理性が持ちますように。自分だって期待しているくせに、そんなことを願っていた。



  ※ ※ ※



 瞳子とそんな約束をした翌日、球技大会の日を迎えていた。

 生徒数が多いこともあり、球技大会は各種目に分かれて行われる。俺が選択したのはサッカーだ。というか無理やり下柳に選ばされていた。

 二、三年生は選べないのだが、一年生だけは所属する部活の競技への参加を認められていた。まあ上級生とも対戦するのだからそれくらいのハンデがないと一年が勝つのは難しいだろう。


「よっしゃーっ! 優勝して俺達のかっこ良いとこ見せてやろうぜ!!」


 下柳に同調するようにサッカーに出場するクラスメートの男子どもが雄たけびを上げた。みんなのやる気は充分そうだ。


「かっこ良いとこ見せて女子からの声援を勝ち取るぞーーっ!!」


 男子どもの雄たけびがさらに大きくなる。下柳は男子を乗せるのが上手いな。なんだかんだでクラスのムードメーカーである。

 俺と佐藤はそんな輪から外れてじっくりと準備体操をする。佐藤も下柳の付き合いでサッカーを選んでいた。


「高木くん、今日はがんばろうな」

「そうだな。下柳じゃないけど応援されてるしな」


 グラウンドには自分の競技がまだなのであろう生徒達が観戦していた。同じクラスの女子なんかもいて「がんばれー」と応援の声が聞こえてくる。


「あっ、宮坂さんがおるよ」


 知ってる。なんか緊張しちゃいそうだから意識しないようにしてたんだよ。


「隣には小川さんもいるな。応援してくれてんのかもよ」

「えっ!? で、でも違うクラスやし……」


 佐藤の方が緊張してしまいそうだ。もうちょっとって感じはするんだけどなぁ。

 佐藤の緊張をほぐすためにストレッチを手伝ってやる。リラ~ックスだぞ佐藤。

 そして球技大会が始まる。


「野郎ども準備はいいか! 必ず勝つぞーーっ!! 女子の声援はすべて俺達のもんだーーっ!!」


 一年A組男子の雄たけびがグラウンドに響いた。ここまで燃えているクラスはなかなかないだろうな。

 チラリと葵がいる方へと目を向ける。目だけで顔を向けたわけじゃないのに葵は気づいたようだ。手を振ってくれたおかげで力をもらえた。

 下柳はサッカー部に入っているのをアピールするだけあって上手かった。二年や三年の先輩方相手でも関係ないとばかりにシュートを決めていた。

 これには女子からの黄色い声が飛び交った。本日は下柳が高校生になってから一番輝いている日である。


「しもやん本当にすごかったんやね!」

「本当にってなんだよ! まっ、一郎もナイスアシストだったぜ」


 まさか下柳がここまで活躍するとはな。なんて意外に思うのは失礼か。

 我が一年A組が快進撃を続ける中、俺は何をしていたかといえば、ゴールキーパーをしていた。だって誰もやりたがらないんだもん。

 フォワードの下柳が攻めてばっかりだから出番がないんだよ。そんなわけだから午前中はすべての試合を無失点に抑えた。あまりボールがこなかっただけなんだけども。

 午後からは本格的に優勝争いだ。昼飯をしっかり食べて栄養取らないとな。


「トシくんお疲れ様。はいタオル。飲み物もあるよ」

「ありがとうな葵」


 試合が終わって昼休みになると葵が甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。


「ぐぬぬ……。活躍したのは俺なのにっ」

「まあまあしもやん。ほら、あっちに女子がたくさんおるで」

「おおっ、あれ俺に手を振ってくれてるんじゃね?」

「そやねー」


 下柳を送り出した佐藤が近づいてくる。葵といっしょにいた小川さんが声をかける。


「佐藤くんもお疲れ様っ。要所要所でいい動きしてたねー」

「そんなことあらへんて。しもやんがいっぱい動いてくれた分、僕のマークが緩かったから自由にできただけや」


 佐藤は謙遜するけど本当にいい働きをしてくれた。おかげで俺は暇だったけどな。


「葵と小川さんは出番はないの? 午前中ほとんどここにいたみたいだけど」

 葵は顔を逸らした。運動系のイベントは苦手だもんね。

 代わりに小川さんが苦笑いとともに教えてくれた。


「いやー、私とあおっちはバレーに出たんだけどさー。初戦敗退だったんだよね」


 バレー部の小川さんがいても負けてしまったのか。まあ団体競技だしそういうこともあるか。


「でも瞳子ちゃんは勝ち進んでいるんだよ」

「きのぴーがいっしょなら勝てたと思うんだけどねー」


 中学時代は瞳子と小川さんのコンビプレーが光っていたからね。この二人が揃えば球技大会くらいならもっと勝ってもおかしくないだろう。

 ちなみに瞳子が出ている競技はバレーではなくバスケである。小川さんが同じクラスじゃなかったからかバレーは選択しなかったらしい。


「瞳子はバスケだから体育館にいるのかな? 合流して昼飯いっしょに食べようか」


 俺がそう提案すると、葵が「んー……」と言葉を濁しながら言う。


「瞳子ちゃん、今は集中したいだろうし、トシくんの顔を見ちゃったら余計な力が入っちゃうと思うな」

「えっ、そうなのか?」

「私としても瞳子ちゃんには絶対に優勝してほしいし、お昼ご飯は瞳子ちゃんと二人で食べるよ。たぶんその方がいいと思うんだ」


 葵は「午後からもトシくんの応援に行くね」と言って瞳子のもとへと行ってしまった。え、俺にできることってないの?


「……高木くん、どんまい」

「気を遣わないでよ小川さん」


 そんなわけで昼食は佐藤と小川さん、それに後から合流してきた美穂ちゃんとクリスといっしょにさせてもらった。


「赤城さんも午後からの試合があるんやね」

「うん。クリスががんばったから」

「トシナリ達も見てくれたらよかったのに」

「見られなくて残念だけど、こっちも試合があったんだよ」


 美穂ちゃんとクリスが出場しているのは瞳子と同じくバスケだ。どうやら順調に勝ち残っているようだ。このままいけば決勝戦で瞳子と試合するかもしれない。

 ちなみに、望月さんもA組女子のバスケメンバーである。交流の多い彼女は午後からも出番のある人達を激励しに行っているそうだ。マメな子である。


「トシナリ達も勝ち残っているのよね? すごいわ!」

「まあね。って俺はほとんど何もしてないけどさ。佐藤と下柳は大活躍だったんだよ」

「高木くんがしっかりゴールを守ってくれたから攻めに集中できたんや。シュートされてもゴールされる気がせえへんかったわ」


 佐藤はそう言ってくれるが、俺のところまでボールがきた回数は片手の指で足りるほどである。数少ない出番くらいちゃんとこなさないとな。


「くっそー! 私だってもっと活躍したかったのにー! 佐藤くんずるいぞ! こうしてやるっ」

「わあっ!? せっかく取っておいた唐揚げ食べるなんてひどいやん!」

「もぐもぐ……、おいしー。佐藤くんのお母さんはいい仕事してますな」

「だ、だったら僕も反撃や!」

「あーっ! 春巻きは反則でしょ! 楽しみにしてたのにっ」


 佐藤と小川さんはイチャイチャとおかずの取り合いを始めてしまった。お前らもう付き合っちゃえよ。


「これが夫婦漫才……」


 クリスのぽつりとした呟きは騒いでいる二人の耳には届かなかった。意味が違っているようで合っている気がする。


「……」


 美穂ちゃんは黙ったままじーっと佐藤と小川さんを見つめながら食事を続けていた。無表情のままでいる彼女が何を考えているかは読み取れなかった。

 小川さんのおかげで午後からの佐藤も期待できるだろう。下柳も午前中に活躍したこともあって女子に囲まれながら昼食をとっているようだし、そのまま調子に乗ってがんばってもらいたいものだ。

 ……嬉しいことに、瞳子は俺とのキスの回数を増やすためにがんばっているのだ。

 彼女を応援しに行きたい。でも、瞳子のがんばりに釣り合うくらいには俺だってがんばらなきゃいけないだろう。そうじゃなければ格好がつかない。

 そう、格好の問題なのだ。葵と瞳子の彼氏ならいいとこを見せられる男じゃなきゃ格好がつかない。それが彼女達の彼氏である俺のプライドだった。胸を張って俺を彼氏だと堂々と口にしてもらえる男にならねばと強く思う。

 ここまできたら優勝したい。瞳子といっしょに球技大会を優勝して終えるのだ。

 葵の作ってくれた弁当を全部たいらげて活力を漲らせる。やる気に満ちたまま球技大会午後の部を迎えるのであった。


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