第二部

88.どこでもない世界の彼女達

木之下きのした課長、これいいですか?」

「うん、いいわよ」


 部下の男が席にやってきた。渡された書類に目を通す。


「……やり直しね」

「えぇっ!? マジっすか」

「真面目に言っているわ。ここが間違っているからおかしなことになっているのよ。これくらいあたしに見せる前に気づきなさい」


 部下の男に間違いを指摘すると渋々ながらも席に戻って行った。

 ふぅ、と息を漏らす。

 有名大学に進学して大企業に就職できた。順調にキャリアを積み重ねて、今では課長として働き部下だっている。

 でも、思ったより充実感はなかった。

 むしろ中途半端な地位になってしまったことでのしがらみがあった。上司から向けられる目は嫌悪を感じてしまうし、部下からは女だからと舐められている節がある。

 あたしはずっと変わっていない。他人からあたしに向けられる目、どうしたって他人の評価を気にしてしまう。

 銀髪に青い瞳。そんな日本人らしからない容姿が人の目を否応なく引きつけていた。

 みんなから違う者は排除される。子供の頃からそれを理解していたあたしは排除される前に他人を排除してきた。自分には親しくする人なんていらないんだって、そう思い込もうとしてきた。

 だけどそれじゃあダメなんだって、そう気づいて大学時代は変わろうってがんばってはみたけれど、幼少の頃から染みついてしまった意識というものはなかなかに頑固だった。

 人と仲良くしようとサークルに入って、合コンにも参加してみた。その度に向けられる好奇の視線が耐えられなくて、あたしにとっては全部がストレスを感じるものでしかなかった。

 社会人になっても何も変わらなかった。あたしにだけ向けられる好奇の目。それがどうしても嫌で堪らない。

 そのおかげと言ってはなんだけれど、他人からの視線を振り払おうとして学業や仕事に集中できた。傍から見れば素晴らしい人生を歩んできたのかもしれない。そういう結果を出してきたという自負だけはあったから。

 でも、あたしが本当に求めているものは――


「また木之下課長に怒られちゃったよ」


 はたと足を止める。部下の男の声だった。

 悪いとは思いながらも聞き耳を立ててしまう。


「お前さ、木之下課長に怒られたくてわざとやってんじゃないの?」

「ちげえよ。あの人ハーフの美人だからってお高くとまってんじゃないか。なーんか俺達に向ける目がきついんだよな」

「確かに。お前と違って彫が深いから余計にそう見えるな」


 男達は笑い合っていた。あたしは気づかれないようにその場から立ち去る。

 なぜだか嘲笑われているようで、耐えきれなかった。

 こんな気持ちになるのは初めてじゃないのに。なのにいつも心が痛くなる。いつになっても慣れてはくれなかった。

 仕事が終わってアパートへと帰宅する。誰もいないとわかっていても「ただいま」と口にしてしまう。

 電気をつけて姿見の自分と目が合った。鏡越しのあたしはひどく疲れた顔をしていた。

 ママと同じ色の髪と瞳。ママはとても美人で、とてもあたしに優しい。

 ママのことは好きだ。あたしのことを愛してくれている。それはパパだって同じで、目の前で口にするのは恥ずかしいけれど好きだ。


「ごめんねママ……。やっぱりあたし、自分の容姿が好きになれない……」


 こればっかりはパパに似てほしかったと思ってしまう。そうすればこんなにも他人を嫌わなくて済んだのかもしれない。

 あたしを見る人達はまずこの容姿に注目する。それから、ここにいてはいけない異物でも見たかのような感情をその目に浮かべる。

 それは幼少の頃から変わらなくて、嫌だという感情のまま行動に移してきた。さすがにそれではやっていけないと思って抑えてきたつもりだったけれど、どうやら態度までは隠しきれなかったようだ。

 こんなあたしをパパとママは心配してくれていた。し続けてくれていた。


瞳子とうこ、ゆっくりでいいんだ。パパは何があっても瞳子の味方だからな』


 パパはそうやって優しい言葉をかけてくれた。いつまでも友達の一人すら作れないあたしの味方になってくれていた。

 そんな風に、心配される自分が情けなかった。


『ごめんなさい瞳子……。ワタシが日本人だったら良かったのに……』


 一度だけ、あたしはママを泣かせてしまった。

 とても、とてもひどいことを言ってしまった。あたしの汚い泥のような心が、ママに言わせてはいけないことを口にさせてしまった。

 ママはずっとあたしに優しくしてくれていたのに……。そんな優しさに甘えて、あたしはママに自分のうっ憤をぶつけてしまったのだ。

 ママの涙混じりの謝罪を聞いて、自分がとんでもない過ちを犯してしまったのだと気づいた。気づいた時にはもう遅いというのに……。


「ごめんなさい……。ごめんなさいママ……」


 涙が零れる。頬につたう涙は自分で拭くことができず、そのまま床に落ちてシミを作った。

 パパとママのように誰かを愛することができない。そのイメージが湧かない。だってこんなにも人と違うあたしを誰が愛してくれるというのだろう。

 だから願ってしまうのだ。


「神様お願い……」


 あたしはもう無理だ。他人に対して不信感でいっぱいになってしまったから。それでも一人では生きられないと知ってしまったから。

 だから、もし次に生まれてくることがあればと願ってしまう。そうなってほしいと願望を口にしてしまう。


「――あたしのことをちゃんと見てくれる人に愛されたいです」



  ※ ※ ※



「同窓会?」

『そうそう、中学のね。あおっちのところに案内来てない?』


 久しぶりに真奈美まなみちゃんから電話がきた。その内容は中学の同窓会の誘いだった。

 正直あまり気乗りしない。当時の友達グループで集まるのならまだしも、男の人といっしょというのは歓迎することではなかった。

 でもせっかくのお誘いだ。断るわけにもいかないか。


「うんわかった。私も参加するね」


 電話を切ってからちょっと後悔。やっぱり嫌かも……。

 私は小さい頃に男の子からいじめられていた。真奈美ちゃんのグループにくっつくようになってからいじめがなくなって安心した憶えがある。

 またいじめられるのが嫌で、私は真奈美ちゃんのグループにいつもくっついていた。いっしょにいることで守ってもらえるようにしていたんだ。我ながら計算高い子供だったかな。

 そうしているうちに男子が苦手という意識が出来あがっていた。中学になると変な視線を向けられるようになって、その気持ちに拍車がかかった。

 ますます真奈美ちゃんのグループから離れられなくなっていった。寄生虫みたいな自分が嫌でちょっとだけ離れようとしたんだけど、たくさんの男の子に近づかれて怖くなったっけ。逃げ帰るように戻ってしまったのだから自分のことながら情けない。


「そんな私が今やホステスをしているだなんて、驚くだろうなぁ」


 お父さんの仕事が上手くいかなくて借金を作ってしまった。お母さんもがんばって働いていたけれど、返済するのは難しいようだった。

 中学を出たら私も働こうとした。だけど両親から高校には通いなさいと言われて進学をした。

 真奈美ちゃんとは別の学校に行ってしまったため、また男の子を遠ざけるために女の子のグループに入った。目立たないように話に相槌を打つだけが私の役割だった。

 そんなのが楽しいはずもなく、私にとって高校生活は灰色だったと言ってもいいのかもしれない。

 高校を卒業する時期になっても借金は返済できていなかった。さすがに大学に行きなさいという言葉はなかったので私は働くことにした。

 男の人が苦手だったにも拘わらず、ホステスとして働くこととなった。しかし高校時代の経験が生きたのだろう。相槌を打つことだけは得意になっていた。

 男の人が気持ち良く話をしてくれるように笑顔で相槌を打つ。それだけでお金がもらえた。もちろんそこに行きつくまでにママから厳しく教育されたものだけれど。

 人と接することは慣れなんだなぁと思ったものである。苦手意識は変わらず残っているけどね。


「あおっち久しぶりー。歳取ってるはずなのに綺麗なのは変わらないね」

「あはは、ありがとう真奈美ちゃん」


 真奈美ちゃん相手なら素直にお礼を言うのが正解だったはず。相手によってどう返答するのかを考えてしまうのは職業病なのかな。

 同窓会は某ホテルの会場で行われた。欠席者もいるとはいえ百人以上が集まっている。

 私は中学時代そのままに、目立たないように真奈美ちゃんについて行った。見られるのには慣れているとはいえ、男の人の視線には辟易させられる。少しは欲望を隠してよ。

 同窓会とはいえ友達とおしゃべりできるだけで満足だ。そこに男の人は含まれていない。仕事だけで充分だからね。


「真奈美ちゃんは結婚生活はどう?」


 真奈美ちゃんは結婚していた。すでに子供が二人もいるのだから驚きだ。私がホステスとして働いているのもすごく驚かれちゃったからお互い様かな。


「うーん……、まあ普通かな?」

「なんだか歯切れが悪いね」

「まあねー。元々お見合いだったから恋愛感情とかなかったのかも。私も子供の世話で忙しいからちゃんと働いてくれているんだったら文句なんてないよ」


 けっこう淡白……。でも結婚ってそんなものなのかもしれない。

 結婚か。この歳になるとそれなりに結婚して家庭を持っている人はいるけれど、未だに自分がそうなる想像ができない。


「はぁ~、結婚する前にちゃんとした恋愛したかったかも」

「高校や大学で彼氏いたじゃない。それはちゃんとした恋愛じゃなかったの?」

「そうだけどー……。なんだかんだでその時は本気のようで本気じゃなかったのよね」


 よくわからないけど相槌を打つ。これは一種の反射だね。


「あおっちはどうなの?」

「え?」


 急に振られて「何が?」と聞き返してしまいそうになる。


「あおっちの恋愛話。もういい歳なんだからさ。ホステスだってずっとは続けられないでしょ」


 真奈美ちゃんの言葉を受け流す。今の私にはそんな余裕はないし、そもそも男性に対する苦手意識は変わらず持っているのだ。

 恋することって本当に幸せなことなのかな。やっぱり私には想像できない。

 真奈美ちゃんの子供に話題の矛先を向ける。子供のこととなるとよく口を動かしてくれた。

 そういえば、と。私は会場を見まわした。

 いくつか男の人と視線がぶつかる。求める人ではないので頭を動かして次へ次へと向かう。


「どうしたのあおっち?」

「えっと……、男の人を探しちゃって」

「男の人ならたくさんいるじゃない」

「そうじゃなくてね。その……ある人を探していて」

「ある人? 名前は?」


 名前……。その人の名前が出てこない。あれ? 私は憶えていないような人を探しているの?


「でもあおっちが特定の男に興味持つところなんて初めて見た。どんな人なの?」

「それは……」


 名前を憶えていない。でも気にはなっていた。そんな人をどう説明すればいいかなんてわからない。

 なんで気になっていたんだっけ? ……そうだ。その男の子の目が私と似ていると思ったんだ。

 やる気がない。違う、何かを諦めてしまったかのような目をしていたから。みんながキラキラとしている中学時代で、彼が私に一番似ているって思ったんだ。

 男の子が苦手だった。家には借金があった。私はおかしいんじゃないかって思っていた。

 自分はちゃんとした幸せを手にできないのかなと漠然と考えてしまっていた。意志のない私は簡単に諦めてしまっていたのだ。

 話したこともないけれど、彼だってそういう目をしていたのだ。私は勝手に親近感を抱いていた。そんな気持ちだったからか、男の人が苦手な私なのに言葉を交わしてみたいと思っていた。

 けれど、今日だけじゃなく、きっと彼にはもう二度と会えないのだろうと思った。それは確信めいていて、それは確かな事実だった。

 だから、ほんのちょっとの後悔から誰にも聞こえることのない呟きを漏らした。


「一言だけでもいい。話してみたかったな……」


 彼に何かを求めていたわけじゃない。きっと会話したとしても大した言葉はなかっただろう。私と似ているのだとしたらなおさら。

 ――だからこれは、こんな私の、ただのわがままでしかなかった。


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