56.本郷永人は忘れられない

 あれは小学三年生の頃のことだった。

 同じクラスに木之下瞳子という女子がいた。銀色の髪に青色の瞳をしていて、みんなとは違ってて目立っていた。


「先に言っとくけど、あたしに触ったらぶっ飛ばすわよ」


 クラスの男子に向かってギロリと睨みつけながらそんなことを言っていた。女子のくせに、とは言えない空気だった。それほどの迫力があったのだ。

 そのおかげなのか、木之下に群がろうとする男子はいなかった。それでも遠くから木之下を見つめる男子はいた。確かにあの見た目は珍しいからな。俺だって初めて見た時は二度見どころか三度見くらいしてた。

 反対に俺にはたくさんの女子が群がってきた。よくわからないけどきゃーきゃーとうるさい。木之下みたいに「ぶっ飛ばす」とでも言ってみようか。そんなことを言ったのがばれたら母さんにボコボコにされるな。やっぱやめとこう。

 俺にとって学校は勉強しなきゃいけないからできれば行きたくない場所だった。体育ではクラスメートの男子に負ける気がしない。それよりもサッカーチームで練習している方が何倍も楽しかった。


「あんた、手を抜いてるんじゃないわよ」

「あ」


 体育でサッカーをしている時だった。通っているサッカーチームに比べて楽勝過ぎてあくびが出そうになっていると、俺が持っていたボールを取られた。

 取ったのは木之下だった。男子よりも鋭い動きでそのままゴールを決めていた。体育のサッカーで自分がやられるなんて思っていなかっただけに、間抜けにも口を開けてただ見ているだけしかできなかった。

 たぶん、俺が木之下を意識したのはこの時からだったと思う。

 本気を出せば俺の方が上だ。それは間違いない。それでも俺が本気を出せるのは木之下だけだったのだ。それが面白くて、体育が楽しいと初めて思ったんだ。


「なあなあ木之下。これからサッカーやるんだけどいっしょにやらね?」

「やらないわよ。あたしこれから俊成のところに行くんだから」

「俊成?」


 木之下はあまり俺とは遊んでくれなかった。それがつまらなくてたまらなかった。

 木之下以外の女子は俺が話しかければ嬉しそうに応えてくれる。というか聞いてないことまでしゃべっていてうざいくらいだった。

 でも木之下はわざわざ俺に話しかけてこないし、俺が話しかけても素っ気ない。いつしか木之下にどうやったら反応してもらえるかと、そればかり考えるようになっていた。

 木之下を見ていると数人仲良くしている女子がいるのに気づいた。木之下みたいに目立っているわけじゃない。地味な女子ばかりだ。

 俺はそいつらに話しかけてみた。情報収集ってやつだ。


「なあお前、木之下と仲良いのか?」

「えっ!? ほ、本郷くん?」

「俺、聞いてんだけど」

「あ、う、うん……木之下さんとはと、友達だけど……」

「ふうん」


 俺が話しかけたのは御子柴という女子だった。同じクラスの女子で木之下としゃべっているのを見たことがあったのだ。

 そいつはとても地味な奴だった。それになんか着ている制服が汚い。ちゃんと洗濯してんのかって思った。


「お前、なんか臭いな」


 思ったことをそのまま口にしていた。その時は何も考えてなかったけど、それを聞いていたクラスの奴等が御子柴を「臭い」と言うようになった。

 俺は何も感じてはいなかった。御子柴がどんな気持ちになっていたかなんて一つも考えてなかったんだ。


「本郷! あんた女の子にひどいこと言ったんですってね!!」


 俺は何もわからないまま木之下に張り倒されていた。

 話を聞いていると木之下は御子柴がクラスのみんなから「臭い」とからかわれているのに気づいて問いただしたらしい。それで一番に言いだしたのが俺だと聞いて怒っているようだった。もちろん他にからかっていた奴らも怒られていた。

 木之下に言われて俺は御子柴をいじめていたんだってやっと気づいた。いじめはよくないって母さんに言われてたのに、気づかずに俺はそれをやってたんだ。


「御子柴さんに謝るまで、あたしあんたを許さないから」


 そう言われて、悪いことをしたんだっていうのが心に刺さった気がした。それなのに、わかってても謝るなんてかっこ悪くてできなかった。謝らない俺に対して、木之下はただでさえ素っ気なかった態度が余計に悪くなった。近づけば睨みつけられるようにもなった。

 木之下にそんな態度を取られる度にいじめをしてしまったという気持ちが大きくなる。時間が経つにつれて段々と謝るのが難しくなってくる。

 このまま時間が経てば、みんな俺が御子柴に言ってしまったことを忘れてくれないだろうか? いつしかそう思うようになっていった。

 そうして何も言えないまま、俺は五年生になった。



  ※ ※ ※



 高木に四年生のいじめを止めるために協力してくれと言われた。それを俺は咄嗟に断っていた。

 俺は自分でも何を言うかわからない。男子ならいいけど、できるだけ女子を相手にはしたくなかった。

 誰かをいじめたことのある俺が、いじめを止めるために協力するなんてできるわけがない。せっかく木之下と違うクラスになれて三年生の時のことを忘れられると思ったのにっ。

 高木は余計なことをしようとしているんじゃないか? そう思うことによって高木から離れようと思った。いじめについて考えたくなかったから。俺はまた自分がやってしまったことから逃げようとしていたんだ。


「本郷。ちょっとこっちに来なさいよ」


 休み時間になって話しかけられてまたかと思った。俺は協力なんてしないと断ろうとして、顔を上げてぎょっとした。

 目の前には木之下がいた。腕を組んで席に座っている俺を見下ろしていた。

 木之下には逆らえない。俺はついて行くしかなかった。


「俊成から聞いてるんでしょ? あんた、協力しなさい」


 あんまり人のいない廊下にくると、木之下はそんなことを言った。

 なんだか木之下に怒られた時のことを思い出してしまう。苦い記憶に顔が硬くなる。


「お、俺にはできないって……」


 いじめに関わりたくない。そればかりが頭の中でいっぱいになる。

 知らず誰かをいじめてまた怒られたくない。俺は失敗したくなかったんだ。

 バン! と俺の顔の横を通過した木之下の手が壁を叩く。いきなりでびっくりしてしまった。ちょっとだけだけど殴られるかと思ってしまった。


「できないとかやりたくないとかそんなの聞きたくないのよ。あたしは協力しろって言ってんの」


 ものすごく強引だった。木之下が俺を睨み上げている。強気な彼女に俺はびびっていた。木之下の青色の瞳に映っている俺の顔を見ているとそれがわかる。

 息がかかりそうな距離で、木之下がはーと息を吐いた。


「……本郷あんた、ちゃんと後悔してるんでしょ」

「な、何が……?」

「御子柴さんのことよ」


 木之下は忘れていなかった。俺への態度を考えればわかっていたけどショックだった。

 木之下の顔が見れなくて横を向く。それなのに木之下はやめてはくれない。


「……ごめん。あたしもあんたに対して態度が悪かったわ。それは謝る」


 頭を下げる木之下を見て信じられない気持ちになる。知らず目を見開いていた。なんで俺が彼女に謝られているのかわからなかった。悪いことをしたのは俺のはずなのに。

「でも」と言いながら木之下は頭を上げる。その目はやっぱり鋭かった。


「あんたが御子柴さんに謝らないなら許さないのは変わらないから。ちゃんと後悔してるんだったらあたし達に協力して、それから御子柴さんにも謝って。そうしないとあんただってずっと後悔したままじゃないの?」

「……」


 何も言い返せなくて、その通りかもしれないと思ってしまった。いや違う。かもしれないじゃなくてその通りなんだ。

 あの時言ってしまったことをずっと忘れられないでいる。いくら時間が経ったとしても、俺は御子柴を傷つけたことを後悔し続けるのかもしれない。

 だからこれはチャンスなのだろう。

 木之下はずっと俺を見つめ続けている。それがなんだか嬉しかった。俺はまだ彼女に忘れられていないんだ。


「……わかったよ。俺は木之下に協力するよ」


 自分でも力のない笑顔になったのがわかる。いろんな気持ちがごちゃまぜになったような笑いが漏れた。

 木之下がわずかにだけど口元を緩ませてくれた。それが初めて俺に向けられた彼女の笑顔なのかもしれなかった。


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