8.自分のスキルについて

 葵ちゃんルートに入ったとはいえ、浮かれてばかりもいられない。

 幼稚園の年長組に上がってから、そろそろ考えなければならないと思っていることがある。

 それは将来どんな職業に就くか、ということだ。

 前世では高校を卒業してすぐにとある会社に就職した。早く自立したかったってのが理由の一つではあるのだが、今思えば早まったのかもしれなかった。

 高卒でも簡単に入社できる程度だったのだ。正直そこまで業績の良い会社ではなかった。いや、俺を雇ってくれたのはもちろん感謝している。それにそこでは俺自身そこそこの社員でしかなかったのだ。あまり悪いことは言えない。

 ただ、できることなら今世ではもっと良い職場にいたいものだ。結婚を考えるのならやはり収入が多いのに越したことはない。

 学歴が絶対的に偉いとも思ってはいないのだが、何か自分なりの武器が必要なのも確かだ。

 勉強をがんばるってのはどうだろうか。小学校レベルなら楽勝だろうが、高校レベルだとちょっと怪しい。俺がそこまで優秀な生徒でなかったというのはお察しだろう。

 ならばその分を努力で補うのか。それもできれば遠慮したいな。なんか本当にやっている人なんかは一日の半分以上は勉強時間に充てていると聞いた。勉強ばっかりだと葵ちゃんと遊べないではないか。

 次にスポーツをがんばるってのはどうだろうか。今からやれば何かしらのスポーツ選手になれるかもしれない。

 などと考えてすぐに却下する。だって俺の運動能力はそこそこ程度なのだ。それにこれも努力時間が長過ぎる。しかもプロになれるかなんて保証はないし、仮にプロになれたとしてもそこは競争社会だ。実力がなければすぐに転落してしまうだろう。中途半端に再就職先を探すだなんてリスキー過ぎる。

 下手をすれば勉強して良い学校、会社に入るよりも荊の道だ。俺にそこまでの覚悟はなかった。

 だったら何か特技を身につけるか。手に職をつける的な。


「うーむ……」


 俺はクレヨンを掴んでは画用紙へとぶつけるように描いていく。

 今は幼稚園でお絵描きの時間だ。みんな思い思いの絵を描いている。

 園児らしく、下手だけど一所懸命さが滲み出ている絵ばかりだ。微笑ましくなるね。

 だけど、俺まで同じような絵ではいけない。見た目は子供でも中身はおっさん。人を感動の渦に飲み込むくらいの作品にしなければ。

 集中し、思いの丈を手に乗せる。俺の魂を描くのだ!


「わあ、高木くんお絵描きが上手だねー。すごいすごい」

「……」


 先生が俺の出来上がった絵を見て褒めてくれた。パチパチと手を叩いての絶賛である。

 ……褒めてくれたけど、その褒め方って子供に「えらいえらい」って言うのと変わらないよね。つまりはそういうことである。

 よくよく考えたら学生時代での俺の美術の成績はそんなによくなかったな。厳密に言えば5段階評価で2くらいだったか。切ない。

 なぜ俺がお絵描きに力を入れたのか? それは将来を見据えた理由があるのだ。

 ぶっちゃけて言えば漫画家なんてどうだろうか、とか考えてしまったのだ。ネタなら未来知識がある。あとは絵さえなんとかなればいけると思ったのだ。正直に言えば前世での漫画とか映画をパクる気満々である。

 だけどこれじゃあなぁ……。いやいや、これから絵の練習をがんばればいけるんじゃないか? でも大変そうだったら努力を続ける自信がないかも。

 くそー。弱気な自分が憎い。夢に向かってまっしぐらなんてできないよ。だって確実に成功するだなんて保証はないしさ。

 あー、これだったら宝くじや競馬でも憶えておけばなー。ギャンブルなんて当たりっこないと思って見ようともしなかった自分が恨めしい。憶えてたら働くまでもなく億万長者だったよ。

 というか、そもそも趣味っていう趣味がなかった。社会人になってからなんて休日はぼけーっとテレビを眺めるか漫画雑誌を立ち読みするくらいだったし。それほとんど無趣味ってことだよね。

 頭を抱えて思い悩む五歳児がいた。ていうか俺だった。子供なのに悩み過ぎてハゲそう……。


「俊成、頭痛いの?」


 俺の奇行に瞳子ちゃんが心配してくれた。


「頭は大丈夫だよ。自分の絵が下手だなーって思ってたとこ」

「ふうん。見せてくれる?」

「いいよ」


 俺は自分の描いた絵を差し出した。子供らしいと言えばらしい絵なので、全体的に下手というわけではないだろう。ただそれを中身おっさんが描いたというのが問題なのだ。

 瞳子ちゃんはふんふんと頷きながらじっくりと鑑賞していた。若干口元が綻んでいるのは気のせいか。


「上手いじゃない。で、これは何の絵なの?」

「わからないのに褒めないでくれるかな。これはここにいるみんなの顔だよ」


 室内では年長組のみんながお絵描きを続けていた。描き終わったり飽きてしまった子はきゃいきゃいと遊んでいるけども。そんな子供らしいみんなの絵だ。


「そう……、お団子が並んでいるのかと思ったわ」

「顔のついた団子になっちゃうんだけど」


 それにだんご三兄弟はまだ早い。たいやきくんの方で我慢しておくれ。


「これはあたしね」


 瞳子ちゃんは一点を見つめて言った。銀髪ツインテールに猫目のブルーアイズ。他の子と比べて特徴がはっきりしているからね。そりゃあわかりやすいだろう。

 しばらく彼女は目を動かしていた。ふと顔を上げて尋ねてくる。


「この中、俊成はどれなの?」

「俺? そういえば自分は入れてなかったな」

「ちゃんと入れなさいよ。みんなっていうのは俊成も入れてなんだからね」

「じゃあ端っこにでも付け足しておくよ」

「何言ってるの。あたしの隣に描きなさいよ」

「いや、瞳子ちゃんの両隣りはもう埋まっているんだけど」


 目立つ彼女を端っこに描くはずもなく、俺は瞳子ちゃんを真ん中に描いていた。

 だというのに、瞳子ちゃんはすーっと目を細めて不機嫌オーラを放出し始めた。


「じゃあ描き直しね」

「え」

「まだ時間はあるんだから大丈夫よ。ほら、新しい画用紙はあたしが持ってきてあげるから」


 そう言って本当に先生から画用紙をもらってきてしまった。やり直しは決定事項のようだ。

 これも絵の練習になると思えばいいか。すでに漫画家も無理かなと心折れかけているけども。

 絵が完成するとすぐに取り上げられた。瞳子ちゃんは納得したように頷く。どうやら合格のようだ。


「瞳子ちゃんは何描いたの?」

「これよ」


 瞳子ちゃんが描いたのはカマキリだった。クレヨンで描いたとは思えないほど立体感がある。というか幼稚園児の絵じゃない。


「ものすごく上手だ。将来は画家になれるよ」

「そんなのに興味はないわ」


 そんなの、か。五歳児に才能の差を思い知らされてしまった。


「ていうか瞳子ちゃんって虫さんが本当に好きだよね。ほら、ダンゴムシとか」


 ダンゴムシは瞳子ちゃんと仲良くなったきっかけだったしね。虫から始まる女の子との出会いってのもおかしな感じだけれども。

 あの時俺が言ったダンゴムシの迷路を彼女は作ったのである。ちゃんとダンゴムシをその迷路に招待していた。夢中になって笑っていた彼女がほんのちょっとだけ怖かったってのは内緒だったりする。


「女の子が虫さんを好きなのって、変かな?」


 おずおずと上目遣いで尋ねる瞳子ちゃん。恐々とした感情が伝わってくる。たまにこういうしおらしい態度を見せられるとギャップで頭がくらくらしそうになる。


「別に変じゃないよ。この絵もかっこいいしね」

「そう。じゃあその絵、俊成にあげるわ」

「え、いいの?」

「うん。……その代わりに俊成の絵をちょうだい」


 思わぬ提案に目を瞬かせてしまう。


「これ? 瞳子ちゃんに比べるとそんなに上手じゃないよ」

「いいから。交換……いいでしょ?」

「瞳子ちゃんがいいならいいんだけど」


 そんなわけで絵を交換することとなった。クオリティを考えると等価交換にはなっていないと思うんだけど。まあ彼女がいいのなら俺からは文句なんてない。

 俺の絵を受け取って瞳子ちゃんはニコニコだ。喜んでくれているようで何よりです。

 とってもかわいい瞳子ちゃん。それでも彼女との別れは近づいてきている。

 前世を考えれば、瞳子ちゃんとは小学校で別々になってしまう。だから彼女といっしょにいられるのは長くてもこの幼稚園を卒業するまでだ。

 せっかく仲良くなれたのに寂しいな……。でも、瞳子ちゃんとお別れする時がきたとしても泣いたりなんかしないぞ。それはおっさんの意地であり、瞳子ちゃんを笑って送り出してあげたいという大人としての想いだ。

 頭を振って未来の寂しさを振り払う。今は自分ができることを一つずつこなしていこう。

 将来葵ちゃんと幸せな家庭を築くために。その目標に向かって突き進めばいい。

 そのためにもスキルアップを考えないとな。得意分野を作って将来立派な大人になって家庭を支える大黒柱になるのだ。


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