第11話 見えない謎
心地よい毛布の感触を肌で感じ取った。
身に覚えのある天井で意識を取り戻した加奈は「またか……」と少々の罪悪感に苛まれていた。ここはアメノマフィックスの居住スペース。もっと言えば沙希の部屋だ。ここに運ばれていたという事実は同時にまた自分が呪粒子を大幅に消費したのだと自覚した。
「……」
夢など見なかった。一瞬の間を置いて部屋の天井を見つめるパターンには慣れていた。
だが、気を失うことに慣れるのは怖い。慣れてしまっては佑香や沙希により大きな迷惑をかけてしまう。
加奈は多少のふらつきを感じながらも沙希の部屋を出ると、店舗スペースのカウンターに居座る沙希の姿を発見した。
「あ、起きた? 何ともなさそうで良かったよー」
「——申し訳ない事をした」
加奈は自分の不甲斐なさを嘆きつつ沙希に謝った。
「いいって。毎度のことなんだからさ」
小さな店ながら利用する守護士も多いのに自分ばかりが贔屓にされているようだ。そう加奈は沙希の気前の良さを不安視していた。
「何時間、私は寝ていた?」
頭を押さえながら受け入れがたい日常生活の現実へ前を向こうとしている。
「正確な時間はわからないけど、加奈のユニットがちょうど直った頃と一緒だね」
つまり、夜の八時までみっちり休んでしまったようだ。
「ああ……」
がっくりと膝をつきたくなるほどに落胆した。
修理までの空き時間を利用して買い物やら適当に公開中の映画でも観に行こうと頭の中で計画していたのに、呪粒子の消耗ですべてキャンセルとなった。現行の法律ではあらゆるウイルスの感染症対策の名残からか、ほんの一部を除いて夜八時以降の営業を行っていない。レイトショーなど過去の遺物だ。
しかし、落ち込んでいる場合ではなかった。麻依はどこへ行ったのだろう? 沙希に助けを求めに行った時から姿が見えない。
「髪を結った女の子はどこへ行った?」
「麻依ちゃんのこと? あの子なら現想界へ行ったよ。あの歳で旅しているんだねぇ」
「聞きたいことも山ほどあったんだが……」
正確には聞きたくても聞けない人権に配慮する繊細な境界線を踏みにじるようで、言葉で問い掛けるのは加奈には難しかった。我ながらこういったコミュニケーションは苦手だ。特に麻依のような素性の分からない存在に合った接し方ができているかどうか怪しい。子犬のように懐いているようだが確信が持てず、怪しい状態が続いている。
「加奈が守ってくれたあの子、今度わたしのお客さんで来てくれるらしいから楽しみにしているよ」
「あの子は銃型ユニットだが、簡単に直せるようなものなのか?」
「まぁ大抵のユニットは機材が揃っていればなんとでもなるよ。よっぽど古くなければさ」
沙希が修繕されたユニットを渡してきたので受け取った。 加奈はそれを受け取るとパーカーの大きなポケットにしまい込んだ。
「また来てね。できれば修理以外でも顔を出しなさいよ?」
「なるべく善処する」
加奈は曖昧に答えた。現想界に行って無事に帰って来る保証などどこにもない。それでも守護士の帰る場所の一つとして提供されるこの店は、加奈にとって心地よいと同時に非常に重宝している。
アメノマフィックスを後にした加奈はまっすぐに風雷へと電車を乗り継いで帰路についた。
すし詰め状態の満員電車は生きにくさと息苦しさを味わったような感覚に陥った。
▽
風来に帰宅すると仄かに明かりが灯っており、それがとうに絶滅したホタルの一種が飛び交っているような幻想的な風景に見えたが、気のせいだと思いながら居住スペースの玄関に歩を進めた。
ドアを開けて靴を脱ぎ、照明がつけられたリビングへ入ると、椅子に座りながらスマートペーパーに目を通す浩輔の姿があった。
「おお、おかえり」
加奈の帰宅に気づいた浩輔の顔は疲弊していて、激務の波に飲み込まれているようだった。
「ただいま戻りました。佑香さんは仕事ですか?」
「いや、さっきから書斎で個人的な調べ物をしている。仕事とは無関係だと言っていたよ」
佑香は好奇心が強いためなのか、時折自身の書斎に入っては専用の大型端末と様々な書籍を通して調べ物を行う機会が多く、過集中とも呼べるほど多くの時間を費やしている。それでいて普段の業務や私生活に一切の支障をもたらさないことが、加奈に取っては不思議でしょうがなかった。
「いつもの初期衝動でしょうか」
「突拍子もない思いつきをすることがあるから、きっとその類だろう」
「お風呂とご飯が終わったら訪ねてみます」
「そうしてくれ。佑香がその頃に終わっているといいが……」
浩輔がちらりと書斎の方向へ目を向けたが、雰囲気と表情を読み取るとどうも数時間は籠もっているらしい。
「きっとまだ続くと思います」
二人は思わず苦笑した。
▽
加奈は手早く入浴を終わらせ、キッチンの戸棚に入っていたインスタントの蕎麦で夕食を済ませた。自室から二部屋ほど離れた先に佑香の書斎が作られており、閉ざされたドアの向こう側からキーボードをタイピングする音がややうるさく聞こえるほど周囲は静寂の方向に天秤を傾けていた。
相変わらず何らかの調査をしている佑香の空気を敢えて読まずにドアをノックする。
コンコンと乾いた音が鳴った。だが連続でキーボードを打ち付ける音は止まらない。
今度はドンドンとやや強めにドアを叩くと、タイピングが途絶えた。
「もうちょっと待ってくれるー?」
作業を止められたはずなのに、陽気な声が聞こえてきた。
「佑香さん。私です。入ってもいいですか?」
「加奈なら大歓迎よー」
佑香の声がますます上機嫌になった。
「し、失礼します……」
言わずもがな、佑香は加奈を娘や妹のように愛情を注いでくれているのだと実感させられる。その愛を加奈はやや重たく受け止めていた。自分はそこまで愛されるほど愛嬌があるわけでもない、と。
加奈が中へ入ると、もちろん佑香が書斎に置かれていた椅子に座っていることは容易に想像できたが、複数のモニターを点灯させて複数の画面を処理するさまはさながらデイトレーダーのように異質だった。
部屋の照明は落ち着きを醸し出すために橙色を示していたが、真っ白に光る数々のモニターによってある意味雰囲気が台無しになっていた。机にはキーボードの他、十冊ほどの分厚い立派な背表紙の本が積み上げられている。
「おかえりなさい。休めたかしら?」
「色んな意味で休めました……」
無駄というわけではなかったが、友人に迷惑をかけてしまい、一日でも早く元の日常に戻りたい一心で言葉を絞り出した。
「幻覚機を使ったのね?」
加奈の言葉を聞いた佑香はなんとなく察したようだった。
「はい。ただ倒れた場所がアメノマフィックスの中だったので大事には至らなかったです」
「わかったわ。今日は薬を一錠ずつ増やしなさい」
佑香の返答は加奈の想定する範囲内のものだった。
幻覚機による呪粒子の消耗から回復させるため、内服薬が多めになることは予想できていた。
「それから、秋野麻依との接触が毎日のようにあります」
報告を受けた佑香は少し考える素振りをしながらモニターの一つとチラリと見た。
「わたしもちょうどその子について調べていたところよ」
「何か分かったんですか?」
現想界を旅する、極めて謎の多い舞依。少しでも情報があれば、自分の立ち位置が大きく変わってくるだろう。加奈は僅かな希望を瞳に滲ませていた。
しかし、佑香は期待を裏切るように首を横に降った。
「全くの逆よ。有力な情報は何一つとして出てこなかったわ――」
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