第十六話 ゆうて いみや おうきむ だー!

 え? どうして? なんでここにあれがあるの?


「っどど、どうしたの? ね……こここれは、なっ何かな?」

 矢口がバッグを手にぶら下げたまま近づいてくる。私は思わず後ずさった。キッチンの外、廊下に出た私にアイツがにじり寄ってくる。

「そ……それは」

 どうしてここにあるのかわからない。水希ちゃんはいないはず。まさか、持って出ていないの?

 矢口が目の前に立った。

「あ……あの」


 口を開きかけたとき、いきなりバシッとほっぺたをぶたれた。

 衝撃で廊下の壁にぶつかって、そのまま這いつくばる。口の中に、ジワーっとぬるい鉄のにおいと味が広がっていく。

 ……どこがフェミニストだよ、こいつ。


「っここ、これ以上、うう噓つくと、ぼぼぼくも、ゆ、ゆるさないよ。れれれ、冷こくむむ無じょう」

 その声を聞きながら、手の甲で唇をぬぐう。紅い色がついて、口の痛みもそうだけど、その相手が見た目は矢口で、矢口の声でしゃべって、矢口の顔で笑いながら、矢口の手で私を殴ったことに、もっとショックを受けてた。


 矢口じゃない。ぜったい、絶対に矢口じゃない。矢口はこんな奴じゃない。


「っもも、もしかして、こ、これが、れれ霊ぎょく!」

 ニセ矢口の目が、ギラギラとイヤーな感じに光りだす。

 どうしよう。もしこいつもあれを食べたら、またあのメリベの人みたいに爆発? でも身体は矢口なんだから……ま、まさか矢口の身体が!


「そっ、それ……だめ!」

 慌てて取り返そうと手を伸ばした時、後ろからガッキと誰かに身体を掴まれた。

「チサトちゃん!」

 矢口の妹が、後ろから私の身体に両手を回して抑え込む。小一とは思えないほどの力。

「だっ、ダメだよっ、やめて!」

 お前のために言ってんだよ! 痛さと悲しみで、ついに涙が出てくる。


 その時、廊下の奥からカコーンっと、こもった音が聞こえた。

 私と矢口が思わずキョトンとする。二人の顔が廊下の奥に向く。あっちは……お風呂場?

 耳を澄ませた私たちに、くぐもった歌声がもれ聞こえてきた。


 ――女のぉ又に力でぇ、努力どりょくぅ。


 お風呂場のドアが開く音がした。


 ――つ女とぉ書いてぇ、めかけぇ。


 こ、この歌……


 ――鼻につくぅ女がぁ、かかぁ。


 人の気配にガサゴソという音。パタパタとスリッパの足音がして……


 ――家を欲しがるぅ女がぁ、よめぇ。


 水希ちゃんご贔屓、ペーソスの「女へん」だぁ!

(https://www.youtube.com/watch?v=DXHHOWHdDNE)


 鼻歌交じりで口ずさみながら、廊下の奥から水希ちゃんが現れた。Tシャツにジーンズの裾を折り返して、まさに風呂掃除が終わったばかりの恰好。


 全員が顔を合わせて一瞬無言。


「あれ? アオイ……てか、お友達も?」

「み、水希ちゃん! ちがうの」

「へっ? 違うって、……あ、このまえ図書館で会ったカレだよね」

 お客さんと勘違いした水希ちゃんが、照れ隠しもあってかにっこり笑う。


「ちがう! 矢口じゃない!」

 そう叫ぶ私に、水希ちゃんも何が何だかわからない顔。でも、ニセ矢口が手にぶら下げているバッグを見て、やっと表情が変わる。

「ちょっと、キミ……誰?」


「っどどっ、どうも。おおお邪魔、してます」

 挨拶なんか、どーでもいいっつーの!


「ねぇキミ、それに触っちゃダメよ。返してくれる?」

 水希ちゃんが手を伸ばしかけたところで、ニセ矢口がさっと身を引くと私の隣に立った。私を捕まえているチサトちゃんを見せつける。


「っそそ、そおいう、わわけにはいかない、です。ほほほら、いい一目りょうぜん、ですね」

 こいつ、何げに水希ちゃんには敬語使ってるな。まさか、多少なりとも矢口の感情が影響してたりして、と変な想像が頭をもたげる。


 私と、私を後ろから捕まえているチサトちゃん、矢口の顔つきに、水希ちゃんが事態をほほ飲み込んだような顔になった。

「アオイ、もしかして……?」

 わたしがうんうん頷く。

「……要するに、また招かれざるお客さんってわけね」

「泥水が、矢口と妹の身体を乗っ取ってるの!」

「っどど、泥みずと、ゆゆっ、言うな。しし失礼千万!」

 そこかよ、突っ込むのは!


「でもキミ、それは危険よ。うかつに手を出すとあなた自身が破滅するかも?」

 水希ちゃんが、いたって冷静に説得を始める。

「っはは、破めつ?」

「そうよ。それにはものすごい力のヌシが封印されているわ。それが解き放たれたりしたら、あなたもどうなるかわからない」

「っでででも、のの、のづちめは、のの飲んだって」

「のづちめ?」

「あのメリベの人だよ、水希ちゃん」


「っとととりあえず、たた確かめさせて、もも、もらう」

 手出しのできない私たちの前で、ニセ矢口がバッグを開けると革袋を取り出した、口を開いて三つの玉を自分の手のひらに乗せる。

 こっちはこれからの展開がどうなるのか気が気じゃない。水希ちゃんも、一見冷静に見えていても、内心ハラハラの様子だった。


「っわわっ……っすす、すごい、すごいぃ! っすす、すごすぎるぅぅぅ!」


 手の中の三つの玉を見たニセ矢口が、興奮して叫び出した。

「っここ、こんなの、はは、初めてだぁぁ! かか感謝かんげきぃぃ!」

 またこの反応だ。あのメリベの人といい、妖怪から見てそんなに凄いものなの?

 ショウは、妖怪に気づかれないようにパワーを抑えてるって言ってたけど、漏れすぎじゃない?

 私の後ろから、チサトちゃんも顔をのぞかせて、パァーッと笑顔になる。やっぱり矢口の中の者とこの子の中の者とは連動しているんだ。


 矢口が、手に乗せた玉を今にも飲み込みそうな顔つきで見ている。やばい!

 その時、チサトちゃんが首を伸ばして玉を見ようとして、腕の力が緩んだ。すかさず私が身をよじって振りほどく。

「ダメーっっっ!!!」

 猛ダッシュで矢口に掴みかかる。必死に腕を抑え込んだけど、空いていた片手で襟元を掴まれた。こっちもすごい力。どうする?

 ええい! 考えてる暇なんかないっ!


 私は、あんぐり口を開けると、矢口の手に嚙みついた。

「っい、いてっ!」

 指を開いた好きに載っていた玉を三つともかぷっと咥え込む。

「あ……」

 矢口の目が点になる。


 私はといえば、口いっぱいに三つの玉をほおばって。でもこの後どうするかまでは思いつかない。

 口の中でゴロゴロ、レロレロ、三つの玉が舌と一緒に動き回る。

 でもこれ、あの三人なんだよね。何か気色悪いというか、ちょっと見方を変えたら、アブナい行為なのかも。十七歳の女子高生がこんなことしてていいのか。


「っこここいつ!」

 矢口が掴みかかってきたそのとき、私の口の中で玉が振動し始めた。


 ゴゴゴゴゴゴォォォ!


 そのまま身体全体が、ぶるぶるグラグラ揺れ始める。矢口がその様子にひるんで手を放した。

 うーっ、息が詰まる。苦しいよお!

「あ、アオイ!」

 水希ちゃんが叫ぶ。


 わー! も、もう、だめだーっ!!!


「ぶえっ!」

 耐え切れずに三つの玉を吐き出した。三つとも床に転がったと同時に光り出す。赤と青と銀の閃光。まぶしくて目を瞑った。矢口たちも一緒。逃げようとしたその時、   

 またも

 ボーンッ!!!

 あの爆発音が響いた。眼と一緒に耳も塞ぐ。


 またあの靄だ。その中に人影が見える。ひとり、ふたり、三人。


 私の目の前に、赤と黒の足がズシンと踏み出される。

「ったく!」

 頭の上から、ジンの悪態がまた聞こえた。

「やれやれ……やっと出られたか」

 ショウだ。

「あー、やっぱりこっちはいいねぇ」

 相変わらずのハク。


 戻しちゃった。外に出しちゃった。

 でも、今はどうしてもこの三人の助けがいる!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る