第一話 私、トラブルなんてごめんです

 柴咲蒼衣。しばさきあおい。

 それが、私の名前です。


 ごく普通の女子高生。ごく普通の公立高校に通って、今年の春から二年生になったばかり。いまは六月。二年の授業にもだいぶ慣れてきた。

 成績は、中の上かな。顔はまあそれなり。スタイルは、もう少し出るところが出てくれるといいとは思うけど、これは今後の成長に伸びしろありってことにしておこう。

 あ、残念ながらカレシなし。男子と付き合ったこともなし。でもそれはまだいーかなー。

 共学だけど、今のところクラスにこれっ!と思う男子もいない。あ、自分のことを棚に上げて、上から目線になりました。スマソ。


 でも私のような子はどこにでもいるだろうし、別にそれを何とも思ってない。誰かと比べてもらおうとも思わない。


 私は私。

 高望みもしないし夢のような体験も期待しない。ハプニングなんてまっぴら。仲の良い女子同士、このままいつも通りの楽しい日々が続いて、どこかの大学に進学して、将来なんてまだ考えていないけど、市役所にでも勤められたらいいよね。公務員は安定してるし、今どき理想的な職場じゃない。


 で、その私が今何をしているかというと、バイト先からの帰り道。

 週三日、駅前のスーパーで、今日は夕方四時から八時まで。時給はそこそこだけど、それほど忙しくもない。レジ打ちにも慣れたし、従業員のおばさんたちにも嫌な人はいないし、まあまあ気に入ってます。

 休憩がないから、夕方からのシフトだとお腹が空くのが唯一の悩みかな。早く帰って晩ご飯にしよう。

 今日は水希ちゃんが夕食当番の日。何を作ってくれてるかな。


 三月から、お父さんが地方に転勤することになった。でも、お母さんは心配でしようがない。だって、今まで身の回りのことは全部お母さんに任せっきりで、掃除や洗濯はおろか、一人じゃ目玉焼きだって作れない人なんだから。

 お母さんが付いていくとなったら、当然私も一緒。転校ってことになる。でもそんなの冗談じゃない。友達と別れるのなんて絶対イヤ。断固反対を宣言した。

 でもお母さんは困ってるし、お父さんも意固地になって単身赴任するって言い張るし、どうしようかと悩んでいたところに、名案を思い付いたんだよね。


 自宅から一時間ほどのところに、従姉で大学二年生の水希ちゃんが去年から独りで住んでる。でもって水希ちゃんもカレシなし。

 ひとりでさびしーよー、アオイー泊りに来てー、何だったら一緒に住んでーってずっと言ってた。でもワンルームで二人分のスペースはもちろんない。

 水希ちゃんの通う大学は私の家からも通えて、しかもうちのほうが近い。水希ちゃんが一緒に住んでくれれば、私はこのままでOK。


 さっそく連絡して事情を話すと彼女も大喜び。水希ちゃんのお母さん、つまり叔母さんも女の子独りじゃ心配だったということで、後は私が押しの一手で両親をどうにか納得させた。お父さんとお母さんは二人で引っ越し。

 私は今、水希ちゃんと一戸建て4LDKでルームシェアってわけ。


 いやー、憧れてたんだよね。気の合う女の子と、誰にも束縛されない生活なんてちょー楽しいじゃん。


 口うるさいのが居なくてせいせいなんだけど、でも羽目を外しすぎるとこの悠々自適な生活も強制終了させられる心配はある。

 お母さんたちの代わりに叔母さんが一応お目付け役になっていて、月に2回くらいは電話がくるし、私たちだってバカじゃないから、きちんと暮らしてますよーって体裁は取らなきゃならない。

 学校にはちゃんと行く。夜遊びは控える。家に上げる友達も選ぶ。男の子なんてもってのほか。その他こまごました制約を課せられて、私たちは二人暮らしを始めた。


 いざやってみると、意外とできるもんですよ、これが。


 水希ちゃんはさすがに独り暮らしをしていただけあって結構頼りになるし、ご飯や掃除の当番も決めて今のところは万事順調。

 私がバイトの日は水希ちゃんが晩御飯を作ってくれる。お腹いっぱい食べてのんびりお風呂に浸かって、大好きなヴェル・フレアの曲を聞きながらのんびりするか、友達とスマホで女子トーク。

 あ、ヴェル・フレアは今大人気の男性二人組ユニットです。

 名前はアンクとザッド。二人ともちょークール。


 夜道を歩くのはちょっと心細いけど、スマホでヴェル・フレアの曲を聞きながら歩いていれば気にならない。

 Bメロからサビにかかる一番好きなところで、後ろから響くような車の音が聞こえた。


 ちぇっ、せっかくの気分が台無し、って顔を向けた私の脇を黒塗りの大きな車がすり抜けるように走っていく。SUVっていうのかな。なんだか慌ててるような、そんな感じ。


 なんとなく変な気がした。早く帰ろう。この先の角を曲がると大きな自然公園がある。その中の遊歩道を通るのがうちまでの近道。公園自体は大きな森もあって、こんな時間はちょっと嫌だけど、遊歩道には街灯もあるから大丈夫かな。


 そんなことを思いながら自然公園の遊歩道に入ると、後ろでブレーキの音がした。


 振り向くと柵の向こうの駐車場にさっきの黒い車が止まったところ。ライトが消えると中から男の人たちがわらわらと降りてくる。

 みんな車と同じ黒い恰好であたりをきょろきょろ見回している。なんだろう。まだ私には気づいてない。でも何か気になった。イヤホンを外すと足早に進む。

 あの人たち、後から付いてこなければいいけど。


 遊歩道をこのまま進むのが危険な気がした。灯りで私の姿が丸見えじゃない。人に追いかけられる心当たりはないけど、何か危ない感じの人たちだった。だから途中から曲がって遊歩道の脇を通る小径に入ってみた。

 こっちは藪の陰になっていて、遊歩道の灯りがほんの少し届くだけ。


 自宅目指して歩いていると、茂みの切れ目からも遊歩道を歩くさっきの男の人たちが見えた。キョロキョロして何か探しているみたい。

 やだなあ。

 自然公園の周りにも民家はあるから、何かあれば大声を出せばいいんだけど、そもそもそういうこと自体がイヤでしょ。自分が何かの事件の当事者になるってことがもう普通とは違うことで、そんな面倒には巻き込まれたくない。

 これって誰でも思う普通の心情だよね。


 それでついあの人たちをやり過ごそうと思って、私はとうとう脇の茂みの陰に隠れてみた。じっとうずくまって耳をすませる。でも、もしあの人たちが付けてきていたらどうしよう。水希ちゃんに助けを求めようかとも思ったけど、スマホのライトで居場所がばれて、あの男の人たちががさがさと茂みに入ってきて、私は囲まれて、捕まえられて、拉致されて。


 そんな妄想が膨らんで、でも消えた。 そりゃそうだよ、バカバカしい。


 しばらく経ったけど、特に何も聞こえてこない。ふぅっと息をつく。道を覗き込み誰もいないことが分かると、どっと疲れが出た。やだなぁ、変な思い過ごしをしてたみたい。自意識過剰だよ、まったく。

 そう思って立ち上がろうとしたとき、後ろから肩を掴まれた。


「×@Д※▲○!!」


 人間、心の底から驚くと悲鳴なんて出ないんだってことを身を持って知る。尻もちをついたまま身体が震えて動けない。腰が抜けたって、こういうことをいうのかと思った。

 一目散に逃げようとした後ろから、忍び声がした。


「ま……待ってくれ」


 苦しげな声に動きを止める。恐る恐る振り向いた後ろに、青白い人の顔がぼぅっと浮かんでいる


「……ひぃぃ!」

 咽喉がつぶれたような悲鳴を挙げた。伸ばされたままの手を振り払おうと、無我夢中で身体をよじる。でも思ったよりもあっさりと、その手は地に堕ちた。

 後ずさって少し冷静になってくると、やっと苦しげな息づかいが聞き取れた。男の人。おじいさんだ。それが目の前に身体を横たえている。

 浮浪者が病気にでもなったのかな。


 やばいよ。すごく苦しそうにしてる。救急車を呼ぼうか。でも浮浪者の面倒を見るなんて嫌だし、知り合いだと思われるのもイヤ。

 さっき掴まれた肩は、ゴミでも擦り付けられたかのような何とも言えない嫌悪感がある。


 だけど、もしこのまま放っておいて何かあったらどうしよう。

 何より、見捨てて逃げて明日の新聞に死亡記事なんか載っちゃったら…… そんなことを考えているうちに、そのおじいさんのうわ言みたいなのが聞こえた。


「あの……あの……」

 恐る恐る近づく。


 ずいぶん苦しそう。とにかく何かしなきゃ。

 茂みを出ると、あたりに目をやる。何かが気になった。そう、さっきのあの男の人たち。何か探していたみたいだけれど、もしかしたらこの人なんじゃない。

 小径の途中にある水飲み場まで走った。ハンカチを出したけど、どうするかちょっと迷ったのは事実。

 だってこれお気に入りだし……


 でも他にないから、水でぬらして戻る。思い切っておじいさんの額に当てた。病気なのか熱があるのかも分からないけど、他にできることが思い当たらない。


 少ししたら、おじいさんもちょっと落ち着いてきたみたいだった。

 眼が暗闇に慣れてくると、着ているものも普通で浮浪者じゃないみたい。年寄りってほどでもなくて、どこか近所のおじさんかと思ったら大分安心してきた。


「大丈夫ですか……」

 怖かったけど、とにかく声を掛ける。おじさんは口をパクパクさせている。ずっと何かうわごとを言ってる。


「……うぶかざ……こふん」

 え、なに。


「うぶかざ、こふん……りょうい……さんびき」

 何度も同じようなことを繰り返している。


「ちょ、ちょっと待ってて」

 そう言って茂みを出る。誰かを呼ぼうと思ったけど、考えてみたらあの男の人たちがまだ近くにいるかもしれない。警察官には見えなかったし、なにか胡散臭い。

 嫌な予感がして、水希ちゃんに助けを求めようとして気づいた。スマホを入れたスクールバッグをさっきの場所に置いたままだ。慌てて戻る。


 這うようにしてあの薮に入ったら、おじさんはもう居なかった。

「あ、あれ? どこ」

 そっと声をかける。

「ねえ……おじさん、どこ?」 


 でも結局、そのおじさんとは二度と会えなかった。

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