生きててよかった

ルノーラ帝国の入口は大きな関門で、はがねはしが鎖で吊られていた。ばしの下は大きなほりがあって、下を覗けば幾本も突き立った鉄の槍が目に入る。


「ロウシュ殿! 重大な任務、お疲れ様です!」


門番をしている鋼の重装備をした兵士がかぶと仮面かめんを外して、肩章のちょび髭ロウシュに敬礼。先頭のロウシュは一旦足を止めて門番に体を向ける。


「うむ。国は変わりないか?」

「はい! 魔物はもちろん魔族でさえ一匹足りとも通してはおりません!」

「そうか、では引き続き門の警備を怠らずにな」


言うとロウシュは体の向きを戻して再び歩き出す。関門を過ぎても門番はロウシュへと体を向けて、敬礼を続けていた。よほど慕われているのであろう。

帝国の街並みはハイシエンス王都とはさほど変わらず、違うと言えば外壁の重厚さが顕著になっており、鋼で覆われているくらいだ。帝国にも人々は生活している。ホヅミは今はなきハイシエンスの面影を現に見ているかのように錯覚してしまい心が痛む。

ロウシュ一行が往来を歩くと、気づいた人々は邪魔にはならない様に端に寄っていく。そこには子供もいて、服は質素なものだがハイシエンスで見た奴隷の子供と比べるに、治安の差が窺える。

リリィも王都の街を少なからず見ていた。今顔を上げればはっきりと目に映ってしまうだろう光景に怯え、自身のあやまちにさいなまれているのだろう。

しばらくすると、いかにもといった巨大な鋼鉄製の城が先に見えた。中世西洋風のノルマン建築の様だ。城の中央最上部には旗が立てられており、その旗にはロウシュの肩章にある絵柄が描かれていた。しかしロウシュはその城への道筋から少し逸れた方へと向かっていた。向かう場所は違うのだろうか。

もう少し歩くと先の巨大な城とは別のとりでの様な建物が見えた。とりでも鋼鉄製で、兵士達が出入りしているのが見受けられる。


「ロウシュ中隊長! お疲れ様です!」

「うむ」


砦の番人と思われる兵士がいた。背筋を伸ばして敬礼している。中に入ると、広場の片隅で数字をカウントする声が聞こえてきた。見ると、指揮官の様な者が腕を組み一人ふんぞり返っており、他はその前で一定間隔に並び腕立て伏せを揃えて行っている。また各々の背中には重りのような黒い箱がかつがれていた。


「ここにママがいるの?」

「ここは我々ルノーラ帝国直属の兵士の屯所、今から向かうのはこの屯所とんしょ地下にある牢だ。貴様の母親もそこにいる」


リリィはわずかな期待と大きな不安を抱えていた。自身に魔物の血が流れていると知った人間の豹変ひょうへんぶりは何度も見てきていた。母は人間ではあるが、もしかすれば自身の母である事をいいことに酷い目に合わされているのかもしれないと不安になるばかりであった。


「貴様と貴様、共に来い。それ以外は戻っていろ」


ロウシュが指示を出し、リリィとホヅミを含み合わせて五人となる。五人は砦の中には入らずに左の奥へと向かうと、地面には地下へと続く石の階段が先に見えた。ホヅミはその階段の下り始めに感じたよどんだ空気に肌をつんざかれる様に気味が悪い。リリィも同じ様に思ったのか、より一層に不安気な表情を強める。

階段を下りていくと、一本のくねった通路の両側に鉄格子がズラリと並んでいた。冷たく敷き詰められた石のタイル。生ゴミの様な臭いがホヅミやリリィの鼻を刺激する。一息吸う度に具合が悪くなっていく様だ。それぞれの鉄格子の向こうには憔悴しょうすいした者や眠っている者、こちらを見て怪しく笑う者までおり、皆が封魔錠スペルオフを胴前でかけられているようだったが、それでもホヅミはその危険や不気味に満ちた空気に圧迫されて慄いていた。

ガシャン!

ホヅミの心臓は跳ね上がる。鉄格子に誰かが体当たりした様だ。薄暗いランプの明かりがその者を照らした時、ホヅミは目を見張った。


「おい! ここから出せ!! おい!」


その者は毛深い体に犬耳、ホヅミよりも小さな体で牙を剥き出しにしこちらを睨んでいた。


「狼?」


ホヅミが零す。どうやら牢に閉じ込められているのは魔物の様だ。

ロウシュは気にも留めずに更に奥へ奥へと進んでいく。そしてようやく地下通路の突き当たりに着いた。そこには鉄格子があり、鉄格子の向こうにはぐったりと寝込んでいるブロンドロングの女の人がいた。あまり汚れている様な感じは見受けられないが、体の至る所に生傷が付いている。女の人には片方の腕にだけ封魔錠スペルオフの片割れの様なものがかけられており、更には首輪の様なものが嵌められている特別扱いをホヅミは疑問に思う。


「着いたぞ」


ロウシュが言う。するとリリィは鉄格子の向こうを見据えながらたどたどしく少しずつ鉄格子に歩み寄っていく。


「マ…………マ………」


鉄格子の向こうにいる女の人はよれよれと体を起こしてこちらを見る。やつれており、眠れていないのか目の下にはくまの様なものが出来ていた。


「ママ、ママ!!」

「リ……リィ? え? でも……え?」


女の人はリリィの母マリィだった。マリィはホヅミとリリィの顔を行き来している。それもそうだろうとホヅミはリリィに声をかけようとした。


「ママぁ!生きてて……生きててよかった……」


涙を流すリリィに女の人は戸惑いを見せていたが、ホヅミがリリィに声をかけるよりも先にリリィの様子に勘づいて確信を得た様に口を開く。


「リリィ、リリィなのね。そうだわ、私には分かる。姿が変わっていてびっくりしたけれど、間違いなくリリィだわ。ああリリィ、もっと顔をよく見せて」


マリィもリリィ同様涙を流して感動の再開が成立した。マリィは鉄格子の隙間からそっと出せるだけ左手を伸ばす。リリィはマリィの動きに少しだけ違和感を抱き、気がかりの先に目線をズラした。するとそこにはあるはずのものがなくなっておりリリィは震撼しんかんする。


「ママ……腕が……腕が! うあああああ!!」

「落ち着いてリリィ、大丈夫……大丈夫だから 」


気の動転するリリィを優しく宥めるように残っている片方の手でその頬そっと撫でる。

ガチャン。不意にリリィの首元にはマリィと同じ様な何かの首輪を嵌められた。リリィは驚いて振り向くと、ロウシュがゴミを見る様な冷たい目でリリィの事を見下ろしていた。


「喜べ。貴様らは今夜一晩同室だ」


ガチャン。そして油断していたホヅミの首元にも何かの首輪を別の兵士によって嵌められる。


「今貴様らに嵌めたその首輪、そしてその女に嵌めた首輪は我が国で開発した絞輪錠ストレンジオフと言うものでな、魔力形状記憶合金(まりょくけいじょうきおくごうきん)で作られたものだ。私の魔力が元になっている。もし私が少しでも魔法を使おうとすれば」


するとロウシュは掌に魔力を集中させる。


「「「うがっ!!」」」


ホヅミリリィマリィの三人の首が首輪によって強く締め付けられる。呼吸も出来ず、首が壊れてしまいそうになり、三人の脳裏には死への恐怖が浮かぶ。その様子を見て満足したロウシュは魔力の光を消すと、三人は荒い呼吸で咳き込んだ。


「その魔力の波長に呼応して、貴様らの絞輪錠ストレンジオフは縮む」


兵士は鉄格子の扉を開く。リリィを、そしてホヅミを鉄格子の向こうへと押し込んだ。そして鉄格子の扉には鍵をかけられる。


明日みょうにち、試験としてそこの魔物にはとある魔物を討伐してもらう。言っておくが、絞輪錠ストレンジオフは私の魔力以外には反応しない。隙を見て魔法で壊そうとしても、私の魔法でなければはじき返してしまう性質だ。ならばと私を攻撃すれば、私の体は反射的に無意識下で魔力を込めてしまうだろう。そうなれば、分かるな?」


兵士二人は後ろでニヤリとほくそ笑む。ロウシュは振り返るとそれに兵士二人も続く。


「ああそれから、その絞輪錠ストレンジオフに鍵は無い。せいぜい国のためにも働いてもらおう。ハッハッハッハッ」


にくたらしく高笑いをするロウシュの背中を三人は睨んでいた。





ひんやりとした硬い地面や壁に腰をかけるホヅミ。見渡せば使い古されあちこちがほつれたわら布団に、錆びたバケツくらいしか置いておらず殺風景な牢屋で、明かりは魔法のランプのみ。地上の光すら差し込まない。立ち込める臭いには鼻がれてしまったが、決して心地ここちい場所ではない。


「ママ、腕痛くない?」

「大丈夫よ。もう塞がっちゃってるし」


抱き合う二人は温かい親子愛に包まれていて、とても悲しいのだけどとても綺麗で優しい光景に見えていたホヅミは、自身が場違いでいたたまれずにいた。


「会いたかったよぉ……」

「私もよ、リリィ」


柔和にゅうわなマリィの眼差しは切なげでとても優しいものだった。それはホヅミの知らない母と子の在り方であり、ホヅミにとっての羨望せんぼうの形であった。幼少より以前の記憶がホヅミにはない。どれだけ可愛がられていたのか、どれだけ愛されていたかなどが分からない。鮮明に残っているのは物覚えがついてから。たった一つの、されど大きな一つを否定された事で、ホヅミは親への信頼を失ってしまった。ちょうどそんな頃からだ。だから今のホヅミにとっては目の前の素敵な光景も、見ているだけで胸を締め付けてしまう程にむなしさを感じさせられてしまうものだ。

そんなホヅミがふとリリィの目に入る。リリィには所在なさげにしている様に見え、マリィにホヅミの事とホヅミを紹介しようとする。そしてなぜホヅミが本来の自身の容姿をしているのかを説明しようとリリィは口を開いた。


「ママ、驚かないで聞いてね。実はねボク、とある子と」

「良いのよリリィ、何も言わなくても分かってるわ」

「ママ……」


マリィはリリィが何を言わんとしているのかをさとったらしい。頭を撫でるようにしてすっとリリィの髪の毛を指に優しく絡める。いつくしみに満ちた表情でなやましげにリリィの容姿へと視線を注ぐ。


「ああリリィ、可哀想に……ストレスでこんなに髪の毛が真っ白になっちゃって」


……………………


マリィのずれた発言に思わずリリィは心の均衡きんこうを崩してしまう。


「ママ……違うひゃっ!?」

「胸までこんなに小さくなっちゃって」


マリィはリリィの入ったホヅミの体の平らな胸を撫でて憐憫れんびんする。


「顔つきまでこんなに」

「もう! ママったら違うってば!」

「え? 違うの?」


マリィはきょとんと首を傾げる。ホヅミの方を見てリリィを見てしばらく考え込むと、再び口を開いた。


「もしかして、入れ替わってるの?」


ホヅミとリリィは揃って首を縦に振る。


「あら」


ほうけた様子のマリィ。リリィはそんな母に呆れる。



それからも二人の語らいは続いた。親子の話には第三者であるホヅミの介入かいにゅうの余地はなく時間は刻々こくこくと過ぎていく。


「ねぇママ、あのカラナってやつに一泡吹かせてやったよ」

「あら、そうなの?」

「うん、ホヅミんのおかげなんだけどね」


特に二人の中へ割って入ってまで話す事もないので、ホヅミは一人考えていた。ルノーラ帝国の地下牢に収容されている者は果たして本当に悪い者だけなのだろうか。ホヅミがこの世界に来て感じた事は、魔物が異常な程に嫌われているという事だ。魔物への差別意識が目の前にいる二人をここに閉じ込めているのであれば、先程ここへ来る途中に見た子供の狼の魔物だって悪い者でない可能性もある。そしてそれだけでなく、他の人達の中にもこの世界にいる血も涙もない輩によって陥れられた可能性だって有り得るのかもしれない。この世界はホヅミのいた世界の隠れた実態を明瞭化めいりょうかしている。ホヅミにはそう思えた。


「ホヅミさん、リリィのお世話をしてくださって本当にありがとう」

「えっ?! あ、いえこちらこそ……こちらの方がリリィにお世話になってると言うか……あはは」


思いふけっていたホヅミは慌てて返答する。


「くんくん…………ママの匂いだぁ……」

「こーら、はしたないわよ?」

「いいじゃーん」


自分一人だけが物騒な事を考えている。楽しそうにじゃれるリリィとマリィの二人を見ていたホヅミは、やがて疎外感そがいかんに似た様なものを抱き始める。だがちょうどそんな時に、リリィからのお呼びの声がかかった。


「ホヅミん! こっちこっち」

「え? 何?」


ホヅミはリリィに手招きされてマリィと肩を寄せ合う。リリィは立ち上がると、二人の後ろに回る。そして二人の頭をくっつけて、そこへ顔をうずめた。


「すぅーーーっ!……はぁーーこれこれ」


リリィの謎めいた行動にホヅミの余念は取り払われる。


「リリィ?」

「この匂い……やっぱりセットが一番だよねー。落ち着くー」

「ふふふっ」


リリィの行動をよく知るマリィはクスクスと笑っていた。


消灯時間が来るとリリィとマリィ、そして誘われたホヅミも入れて仲睦まじくリリィを挟んで体を寄せ合って地面に寝そべる。魔法のランプが消えれば真っ暗闇。ホヅミは一人ならば怖くて眠れなかったかもしれない。捕まっている身だけれど、不穏な場所だけれど、リリィといるとこんな所でも安心出来てしまう。ホヅミはリリィの手をぎゅっと握った。

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