第37話 即席ドレス

 館に戻ると、裂かれたドレスを見たメロディとライラがオロオロするので、アンジェラは余計に申し訳ない気持ちになった。

(本当に不注意だったわ)

 怪我がなくてもまわりにこんなふうに心配されるなんて、思ってもみなかったのだ。


「大丈夫よ。針と糸は持ってますから、ササッと直してしまうわ」

 二人を安心させようと明るく言うアンジェラの後ろでコンラッドが、

「貴女は裁縫が苦手でしょう。ライラに任せなさい」

 と言うので首をすくめる。

「アンジェラママは、お裁縫が苦手なの?」

 まだママと呼んでくるメロディに、アンジェラはバツが悪い思いをしながら「実はそうなの」と認めた。大抵のことは人並みにこなせるアンジェラだが、針仕事だけは本当に下手くそなのだ。


 どうして彼にバレてるの? と考えたアンジェラは、昔暁の狼のシャツにできたかぎ裂きを直したとき、その出来になんとも言えない曖昧な笑顔を浮かべた彼の顔を思い出した。

(だって、あの時は他にできる人がいなかったから!)

 しかもかぎ裂きを縫うのは大変なのだと、恥ずかしい思い出に顔から火が出そうな思いでいると、メロディはなぜか嬉しそうに「へへっ」と笑った。

「メロディは何か嬉しい?」

「だって、アンジェラママが可愛いんですもの。ますます大好きになってしまったわ」

「まあ!」


(すごい。最上級の殺し文句だわ)


 またもやメロディの笑顔に心臓を撃ち抜かれる。さっきだって怖かっただろうに、この子が気にかけているのはアンジェラのことなのだと気づき、アンジェラは柔らかく微笑んだ。

「わたくしもメロディのことが大好きよ。さっきはよく頑張ったわね。あんな場面で悲鳴も上げないなんて、そうそうできることではないわ。本当に偉かった」

 逃げるために父親に抱きかかえられる間叫ばないことも、ましてや大人しくジッとしていることも子どもには辛抱だっただろう。


 期待するように少し首をかしげるメロディの額に軽く口づける。

(本当に可愛い子)

 甘えるように抱き着くメロディの髪を撫で、アンジェラはしみじみとそう思いながら、彼女にかけていた幻視の魔法を解いた。



 結局服のお直しはライラに任せることになったものの、今は夕食の支度などがあるので夜中、もしくは明日になってしまうと謝られてしまった。

 仕事を増やして申し訳ない気持ちでいっぱいなアンジェラに、文句はまったくない。むしろ夕飯は自分が作ろうかと申し出たものの、今日はライラの得意料理なので任せてほしいと断られてしまった。


「でも、お直しができるまでのお召し物に困ってしまいますね」

 ライラの言うとおり、今のアンジェラは着替えの類を持っていない。それはメロディ以外の全員がそうだ。

 このままシャツを借りたままでいたとしても、丈はアンジェラの臀部でんぶがギリギリ隠れるくらい。このまま一枚で過ごすことは不可能だし、さすがにコンラッドを半裸にしておく気もないアンジェラは、予備のシーツを貸してほしいとコンラッドに頼んだ。


「シーツですか? 構いませんが、まさかそれを巻いてその辺を歩き回るなんてことは……」

 訝しげなコンラッドに、「大丈夫です」とアンジェラは笑った。

「巻いて歩き回るつもりですが、けっして見苦しくしないとお約束します」

「まあ、それでしたら」


 コンラッドの耳が少し赤いような気がしたし、なぜかシドニーやエドガーまでが微妙に視線をそらしている気がするものの、アンジェラは気にせずニッコリ笑って部屋に戻った。

 自分の荷物から安全ピンに似た自作ピンをいくつか取り出していると、ライラがシーツを持って来てくれる。こちらのシーツはかなり大きいので問題なしだ。

「エドガー様がお風呂の支度をしてますので、先に入浴をしたらとのことです」

「あなたやメロディは?」

「お疲れでしょうから、今日はお一人でどうぞ。護衛はエドガー様がついてくださいます」

「わかりました、ありがとう」


 露天風呂までは防御壁があるものの、入浴するときには誰かが囲いの外で見張りをすることにしている。今はエドガーが風呂の準備のついでにしてくれるらしい。

 アンジェラは皆の好意に甘えて、一人ゆっくりと湯の中で体を伸ばした。エドガーがいい香りのする花を浮かべてくれたので、かなり優雅な気分だ。

 風呂から上がるとシーツを体に巻いていく。考えなくても手慣れた感じでひだを折り、ピンでとめることが出来るあたり、自分では覚えていないはるか前の人生ではこんな格好をしていたのかもしれない。

(日本人だった頃なら、古代ギリシャローマ風だと思うかしらね)

 シーツの色が白だけど、厚みがあるので透けてはいない。

 髪は編むのではなく高い位置でポニーテールにした。


「エドガー、お待たせ」

 外に出ると、エドガーが何度か目を瞬いたあとアンジェラを上から下までじっくりと眺め、楽しそうにニヤリとした。

「これはこれは。月の女神風ですね、先生。高い位置で髪を結ってるせいか、普段よりもさらに若く見えますよ」

 その言葉に噴き出しつつ、聞きなれた感じのお世辞に「お褒め頂き光栄」と笑った。



 戻るとちょうど夕食だということで、先にシャツを返した後、ドレスをいったん部屋に置いてからダイニングに入ると、アンジェラは様変わりした空間に目をしばたたかせた。

 森で摘んだらしい花があちらこちらに活けられ、さりげない飾りが部屋をより美しく彩っている。何より全員がこちらに注目しているので、アンジェラはコテンと首を傾げた。


「お誕生日、おめでとうございます!」

 一斉に言われたことで、かあっと頬に熱が上る。

「え、あの、これは」

「今日は先生の誕生日でしょう。お祝いですよ」

「アンジェラ様に内緒で準備させていただきました」

「さあ、お席についてください」

「アンジェラママ、きれい! それシーツなの? すごく素敵! ねっ、パパ」

「あ、ああ」


 椅子を引いてくれたコンラッドに礼を言い、おとなしく腰掛ける。まさかみんなが誕生日を祝ってくれるとは夢にも思わなかったアンジェラは、皆の温かいまなざしにじんわりと涙が浮かんだ。

「ありがとうございます。驚きましたけど、すごく嬉しいわ」

 どうやら意図的に隔離されていたらしいことに今更気付く。

 夕食は今日買った野菜なども使われたうえ、最大限美しく盛り付けられていた。

 風呂に花が浮かべられていたのも、きっと祝いの意味だったのだろう。


(どうしよう。泣き出してしまいそう。最近涙もろすぎるわ)


 アンジェラの心は温かく満たされていて、どうしようもなく幸せだと思った。

 今日は隣に座るコンラッドが、テーブルの陰でアンジェラの片方の手の甲を軽く叩いたので、空いているほうの手でその手を挟み込んだ。


「アンジェラママ、神話の本から出てきたみたいだわ」

 食事の間、メロディとライラが興奮したように即席のドレスを褒めてくれる。

「学生時代に、仮装パーティーでこんな感じの恰好をしたことがあるわ」

「仮装パーティー?」

 首をかしげるメロディとエドガーに、どんなパーティーだったか説明する。

「すごい、私も入学したらそんなパーティーをするかしら?」

「確かに面白そうだね。そんな行事があるなんて考えてもみなかった」

「エドガーも在学中に帰れば機会はあるだろう」

「そうですね。なんだか早く戻ろうって目標が出来ました」

 ニカッと笑うエドガーに、アンジェラは「ぜひ学生時代は経験してほしい」と言った。同世代だけが集まる独特の空間を一度は経験してほしいと、心から思う。


 果物を使った繊細なデザートまで堪能した後、メロディたちが交代で風呂に向かう。

 その様子を見ながらアンジェラはふと、夜空を眺めたくなった。コンラッドに少しだけ外にいる旨を伝えようと思っていると、ちょうど風呂からシドニーと二人で戻ってくるのが見える。


「星ですか?」

「ええ。ちょっと眺めたくなって。ほんの短い時間ですわ」

「それなら屋上に行きませんか? 私が使っている部屋から屋上に上がれるんです。きっとこの辺で一番空に近い場所だ」

 一番空に近い場所だという言いまわしが気に入り、アンジェラは頷いた。窓から見た空は晴れていたから、屋上なら遮るものがなくて気持ちがいいだろう。


「私も一緒に見てもいいですか?」

 エスコートするように差し出された手を取り、アンジェラは

「ええ、もちろん」

 と、微笑んだ。

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