第35話 40歳の誕生日
この世界に来て四日目。アンジェラは四十歳の誕生日を迎えた。
四十歳になった自分の顔は鏡をのぞいて見ても何も変わらない。むしろここ二日ばかり半ば強制的に寝室に追いやられていたためか、今朝は肌がつやつやなことに気づいた。
「今日は化粧のノリがよさそう」
露天風呂効果もあるのかしらと、アンジェラは窓の外を見てにっこりする。
一昨日うっかり昼寝をして目が覚めると、外の光景がガラリと変わっていて驚いた。エドガーが森をひらき、露天風呂を完成させていたのだ。
木々がなくなったことで泉まですぐ辿り着くし、囲いのおかげで空は見えてもメロディたちが周囲を気にせずに済んだ。
一緒に風呂に入ることには驚かれたけれど、尻込みするライラも巻き込んで楽しく入浴したおかけで、驚くほどリラックスできた。エドガー様々である。
「力の加減を試すのにちょうどよかったんですよ。メロディとシドニーさんも手伝ってくれましたし」
大したことしてないとでも言うような態度のエドガーが、ひたすら可愛い。
私も手伝ったと、どのようなアイディアを出したか訴えてくるメロディも可愛くて仕方がない。
とんでもない状況のはずなのに、アンジェラの心は幸せで満ち足りていた。
気力も魔力も十分。今なら何でも出来そうな気がする。
昨日の午前中は、コンラッドは仕事でずっと自室にこもっていたけれど、午後はエドガーとシドニーを連れて街の様子を少し見てきた。
「明後日あたりに迎えが来るみたいですね」
ふふんと笑うエドガーは、地味な格好であちこちで色々な話を集めたと楽しそうだ。アンジェラに相談をしながら、夕方からは召喚の練習などをして過ごした。
一方、ドランベルの当主は今日、無事グレンに譲られた。
タブレットで誕生日を祝うメッセージが息子たちから届き、代わりにアンジェラからは当主就任を祝うメッセージを送った。
(これで本当に終わったんだわ)
大きく息をつき、今後のことを考えようとして首を傾げる。
ここ数日のことを思い返して、やはり思い違いではない? と思った。
アンジェラの三つ分の前世、すべての記憶が薄いのだ。覚えていないわけではない。けれど遠い。
それは自分の体験というよりも誰か違う人の人生を見聞きしたような、伝記や小説を読んだような、そんな遠い感覚だった。今日本人だったなら、つい最近印象深い3D映画を三本見てきたような――、というのが一番近い感じだろうか。
三日前にこの世界での記憶に苦しんだ時、コンラッドに抱きしめられて落ち着きを取り戻した。だからこそ街に行っても普通に振る舞うことができ、(おや?)と思ったのだ。
一緒に散歩して抱き寄せられたあともそうだった。
アンジェラの年齢のせいだろうか。それともコンラッドのおかげなのだろうか。
(確認したいから抱きしめてほしいとは、流石に言えないけれど)
せっかく彼が友好的な距離を保ってくれているのに、余計なことは言えない。
その時ヴィクトリアから【誕生日おめでとう、アンジェラ】と優美な文字でメッセージが入った。彼女とは、エドガーのことで迷惑をかけたわね、などの謝罪の後は話していない。このタブレットはエドガーに渡すつもりなので、慣れてもらうために昨日までは彼の元にあったのだ。
彼が街に行くというときは、こちらで作った二枚のタブレットを予備のチップで繋ぎ、エドガーには自分の分のタブレットをもって行かせた。館にはコンラッドの分を置いていってもらい、途中で何度かメッセージのやり取りをしたけれど、問題なく使えたので安心した。
今日は午前中だけアンジェラ専用になっているだけだ。
「ありがとう。はじめて四十歳になったわ」
子どもの頃のようにおどけた笑顔の絵を末尾に足してメッセージを送ると、
【誰だってそうよ】
と返ってくる。猫のように目を細めて、面白そうに微笑むヴィクトリアの顔が見えるようだ。
誰でもそう。それが当たり前。前の人生を覚えているほうがおかしいのだから。
タブレットをエドガー専用にしていた理由の一つは、自分が使うと余計なことを言ってしまいそうな予感がしたからだ。
アンジェラの子どもたちには普段通り、むこうの様子を聞いて、こちらの現状を簡潔に教える程度で済む。心配はしているだろうけれど、ナタリーからの
ナタリーの体調は安定しているようで、昨日の午後はずっとメロディとメッセージのやり取りをしていたくらいだ。楽しそうで何よりである。
でもヴィクトリアが相手だと、例え文章だけでも隠し事が難しい。
昔から彼女には
『何でも話してくれるようでいて、アンジェラは基本秘密主義よね?』
と言われていた。
秘密――たしかに誰にも言えないことはたくさんある。親友にでさえ、強烈な出来事程打ち明けることが出来なかった。はじめての、そして唯一無二の親友なのに。
【コンラッドは親切にしてくれる?】
どう返事を書こうかと思いあぐねていると、続けてヴィクトリアからメッセージが入ったので、アンジェラは柔らかく微笑んだ。
「ええ、とても親切よ」
コンラッドがわたくしのことを覚えていてとても驚いたの。
彼が学生の頃からわたくしを好きだったなんて信じられる?
しかもヒィズルで、あなたにも話せなかったキスの相手が彼だったのよ。
頭の中でだけ女子学生のように華やいだ言葉が溢れてきて、なのにアンジェラの頬には涙が伝った。
いま、コンラッドを勝手に意識しているのはアンジェラのほうだ。
昨日もおとといも、彼は結婚を匂わせるようなことは言っていない。
ただただ、アンジェラが大事な家族であるかのようにさりげなく気遣ってくれるし、まるで崇拝しているかのような態度で接してくる。
昨夜もさり気なくアンジェラの首の後ろを揉み、「まだ疲れが取れてませんね」と、ゆっくり休むように言ってくれた。温かい大きな手とマッサージの心地よさに、思わずうっとりしてしまう。
(だって、男の方からこんな風に扱われたのは初めてなんだもの)
あまりにも居心地がよくて幸せで、ずっとこのままでいられたらと夢見てしまう気持ちに何度も蓋をした。この幸せは、アンジェラにとって恐怖と表裏一体だ。
(いっそ正式に求婚してくれたら、きっぱり断ることもできるのに)
本心では、家族のために、そしてアンジェラやエドガーのために時間を割きながら、仕事で根を詰めていたコンラッドを労わりたかった。時々苦しそうな目をする彼を慰めたかった。でもアンジェラは、自分の中で大きなブレーキがかかっている。
色々考えた末ヴィクトリアには、「ここは前々世に私が生きていた世界だった」ことと、「三つの前世の記憶が薄くなった」ことだけ打ち明けた。
「年かしらね?」
本当にここですべてが終わるのかもしれない。
イレギュラーが多かったアンジェラの人生で、この奇妙な生のすべてに終止符が打たれるのかもしれない。
【まさかとは思うけど、あなた、エドガーについて行くつもり?】
(あら。どうしてバレたのかしら?)
ヴィクトリアの鋭い指摘にアンジェラは肩をすくめる。
「私は役に立つと思うわよ。ヴィクトリアもその方が安心じゃない?」
あの子がしなければならないことは、ゲームではないのだから。
エドガーの力の解放の時に新たに護りの印を刻んだから、肉体的にはあまり心配がいらないとはいえ、心の試練もあるだろう。
彼はまだ十六歳の少年なのだ。ことが終わるまで側にいてやりたいと思った。
絶対無事で、かつてリンを見送った時のように、エドガーが自分の世界に帰るのを見送ってやりたかった。
しばらくメッセージを待つと、タブレット越しにヴィクトリアが怒りに震えていることが伝わってきた。彼女の魔力の波長だろう。テレビ電話だったら思わず彼女の前で正座をしてうなだれてしまいそうな迫力を受け、アンジェラはビクッと肩が震える。
【あの子の力を見くびらないで! 役に立つと思うなら、それだけのものをあの子に与えてから、さっさと帰ってきなさい! 帰ってこなきゃ許さないわよ!】
(うわぁ、めちゃくちゃ怒ってる)
壮絶に美しい笑顔で青筋を立てているであろう親友の顔を思い浮かべ、それでもアンジェラの顔には笑みが浮かぶ。
「わかった。善処する。戻るときは手伝ってね」
そう約束したけれど、実際の所エドガーしか召喚できない魔術師では、館ごと向こうに戻すのは困難だろう。ヴィクトリアに手伝ってもらったうえでアンジェラの力をフルで使い、押し上げる感じならいけそうだと考えているのだから。
【大丈夫よ、任せなさい。明日からウィング家に泊まりこむ算段はつけてあるから】
(さすがヴィクトリア)
準備のよさに噴き出し、アンジェラは通信を終了した。
「さて、午後はメロディを街に連れていく約束だから、準備をしないとね」
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