第29話 エドガーの力の解放②

「構わないけれど、二時間くらいかかると思うし、見てても面白くはないと思うわよ?」

「大丈夫。これも勉強です。いいわよね、パパ」

「ああ、もちろんです」

「二人がそれでいいなら。飽きたら先に帰っていてくださいね?」


 アンジェラはメロディの熱意に首を傾げつつ、多分すぐに飽きるだろうと考えて作業を続ける。たしかに勉強にはなるだろう。

 コンラッドの視線が常に付きまとうのを感じるけれど、本当のアンジェラを知ったらたぶん引くだろうな―――と、なんとなく思った。

 そう思っても今は自重などしている暇はない。胸が痛いのは気のせいだ。


「先生、シャツは脱いだ方がいいですか?」

 アンジェラが胸に直接手をあてるためシャツの裾に手をかけたエドガーが、はたと止まって首をかしげる。

「そうねえ。メロディが見てるし、ボタンを外すだけにしましょう。施術の間万が一倒れないよう、わたくしの腰に手を回しておいて」

「えっと、じゃあ、すみません、失礼して」

 少し顔を赤くしたエドガーがアンジェラの腰に両手を回す。

 自分の目線より少し高いところにある彼の目が泳いでいるのがおかしくて、アンジェラは少しだけいたずらっぽく微笑んだ。


「女性の腰に手を回すくらい、ダンスの練習でもしたことがあるでしょう?」

「女性といっても、俺の場合相手はアデルですよ? もしくは男の家庭教師だ」

 それもそうだと肩をすくめると、茶目っ気を出したらしいエドガーが耳元に口を寄せた。

「アン先生は今も俺の理想の女性ですから、特別なんですよ。今日も綺麗ですよ、アンジェラ」


 キリッと決めた顔も甘くささやく声も、同世代ならさぞやときめくだろうなぁと思うものの、アンジェラの目にはどうしたって子どもにしか見えない。

 間近にあるのは母親譲りの迫力のある美貌だ。十六歳にしては大人っぽいし、背も高い。なのにアンジェラには、これなら男装したヴィクトリアに言われたほうがときめきそうだなと思った。


(こう考えると、学生時代のヴィクトリアの色気って、並大抵ではなかったのねぇ)


 同じ十六歳だった頃のヴィクトリアとコンラッドが並んだときの圧倒的な迫力を思い出して、しみじみとそんなことを思う。


 アンジェラは軽く肩をすくめるとエドガーにだけ聞こえるように、

「おしめを代えたこともある、あのエドガーが大きくなって」

 と、しみじみとつぶやいて見せた。

「さっ、流石にそれは嘘でしょう」

「さあ、どうかしらね?」

「くそっ。来世では絶対先に生まれてやる」

「なにそれ?」

「いいんです、気にしないでください。どうせ相手にされないことくらい知ってるんですから」

「ふふ。そんな軽口叩けるなら、十分リラックスできてるわね。じゃあ始めるわよ」


 にっこり笑ってエドガーのシャツのボタンを上からいくつか外し、アンジェラは両足にしっかり力を入れると彼の胸に右手をあてた。

 周りの音が消え、手のひらに意識が集中する。


解錠リ・ラプン。道を開け」


 普段せき止めているエドガーの魔力の門を開き、その源になる力をアンジェラの右手に少しずつ流していく。流れたそれがアンジェラの全身を巡り、痺れるような拒否感にうめき声が漏れそうになるのを必死に耐えた。エドガーのほうも、微かに頬をゆがませているが、懸命に呼吸を整えているようだ。


「先生、無理してませんか?」

「大丈夫。あまり年寄り扱いしないでね」

 わざと冗談めかして答えれば、エドガーは気遣う様子を見せながらも、なんでもないような態度をする。こういう点はヴィクトリアそっくりだ。


 よく考えてみれば、ヴィクトリアも彼女のおじい様もリンの子孫だったのだと考えると感慨深いものがある。


(リン。貴方の子孫の力になれて嬉しいわ)


「エドガー、一旦預かった力を分けて戻します。いんを刻んでブロック分けしていくから目を閉じて。心の目でしっかり見なさい」

「はい」

 本来ゆっくり開くはずだった扉の代わりに、エドガーの内側に引き出しのようなものを作っていく。一気に開かないよう、エドガーの詠唱によって順番に開くよう鍵になる印を刻み直した。

 今度は左手をエドガーの胸に当てて彼の力を戻していくと、周囲に組んだ陣の付近の草花や石が揺れ、ざわざわと風が渦巻き始める。


施錠シ・ラプン。――エドガー、終わったわ。お疲れ様」


 エドガーの足が一瞬フラッとして転びそうになり、慌てて抱き留めようとするものの逆に引っ張られる。それでも尻もちをついたエドガーに抱きしめられる形でアンジェラが転ぶのは免れた。


「ハハッ。先生、やっぱりすごいわ」


 荒い息になっているエドガーの額にアンジェラは「頑張ったわね」と、ご褒美のキスをして立ち上がると、腰に手を当て深く息を吐く。

 アンジェラの髪から汗がしたたり落ちた。


「アン先生、終わったの?」

 心配そうな目のメロディに問われ、

「ええ。終わったわ」

 そう言った後、アンジェラもフラッと足元がもつれる。あっと思ったときにはコンラッドの腕の中で、(介護再びだわ)と、弱々しく笑った。


「すみません、旦那様」

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