第20話 メロディの告白

 アンジェラとコンラッドは先ほど教えてもらった店で、小麦粉と塩、少量の油や保存がきく野菜類と葉野菜を少々を購入することが出来た。思った以上に品質が良く、確かにいい店だった。

 残ったお金で衣料品も少し買う。メロディ用の動きやすい服だ。

 帰り道で気を付けてみれば、香味野菜代わりの野草や甘みのある果実も見つけることが出来た。


(こういう点では、先人の知恵ならぬ前世の記憶万歳ね)


「貴女はどこの世界でも、まるで現地の人のように馴染むことが出来るのですね」

 ずっと無言だったコンラッドが、感情の読めない声でそんなことを呟く。

「長く生きてますから」

 そう言ってみれば何か問いかけるように片眉を上げられるけど、アンジェラにはそれ以上話すことが出来ない。知っているのはごく限られた人たちだけだ。帰ったらエドガーを呼ばなくては。



 館に戻ると、メロディとエドガーは随分打ち解けているようだった。

 金髪で目元を変えたコンラッドにメロディは目を丸くした後、「パパ、カッコいいわ」と笑い転げ、エドガーは今度こそはっきり「暁の狼!」と呼んだ。

 なるほど、彼はこの顔のことを知っていたらしい。

(確か初対面の時も「あかつ……」とか言いかけていたわね)

 アンジェラは複雑な思いでため息を隠しつつ、食材をもってキッチンへと向かった。あそこでコンラッドが遮らなければ、驚きこそすれ心の準備もできただろうに。


 キッチンに入ると、ライラが下茹でしてくれた肉が程よい柔らかさになっている。脂と灰汁をとると、今度は根菜や採ってきた野草を切って次々に放り込んでいく。

 大元になるスープが完成すれば、味を変えるだけで飽きずに食べることが出来るため、かなり大量に作ることにしたのだ。


 シチューを煮込んでいる間にライラと相談をし、小麦粉と塩を水を混ぜて捏ねてクレープとパンのあいだのようなものを作ることにした。途中でメロディが入ってきて楽しそうに手伝ってくれる。

 昼と夜の食事はそれとシチューだけの素朴なものだけど、十分美味しく大満足のいくボリュームになった。


「私、今日は初めてのことがたくさんで、とても眠れそうにないわ!」

 食事の片付けの後、ライラたちが寝室の準備をすると言って離れると、メロディはアンジェラに抱き着いて甘えるように見上げてくる。そしてピッタリとくっついたまま、アンジェラがいない間にあったことを色々話してくれた。

「ねえ、アン先生。この館にある私のベッドはとても大きいの。だからね、その、今夜は一緒に寝て下さらない?」

 小さな子供のようだと少し恥ずかしそうなメロディに、アンジェラは「もちろん、よろこんで」と答えた。


 今は興奮状態でも、この状態が続けば必ず歪みは出る。

 十二歳の女の子。父親よりも同性の大人のほうがいい場合もあるのだろう。

(グレンがこのくらいの頃は、周りに構ってくれる大人の男の人がたくさんいてありがたかったものね)

 遠い昔を思い出し、その中に暁の狼の姿が見えて無理やりかき消した。



 日が暮れ、すっかり寝支度を整えてもまだ寝るには早い時間だったけれど、アンジェラはメロディを早めに休ませることにした。

「お父様たちにお休みの挨拶をしなきゃね」

「はい」


 リビングに戻ると、コンラッドとエドガーが何か話していた。まるで大人のようなエドガーの姿に少しだけおかしくなり、同時に心配になる。彼だってまだ十六歳になったばかりなのだ。


「パパ、おやすみなさい」

 父親に駆け寄ってギュッと抱き着いてくる娘に、コンラッドは一瞬目を丸くした後微笑んで、「おやすみ」と抱きしめ返した。

「エドガー様もまた明日ね」

「ああ。よく休めよ」

「うん」

 そうして目をこするながら戻ってくるメロディの手をとり、アンジェラも軽く会釈してメロディの寝室へと戻った。


 寝室は普段使われていなくても清潔な状態だ。大人用の大きなベッドなので、並んでも十分眠ることが出来る。

 シドニーとライラは夫婦なので一階の部屋を二人で使い、コンラッドは主寝室を、エドガーは客室を使うことになっている。


 横になると甘えるようにすり寄ってくるメロディを、アンジェラはそっと抱きしめた。初めてナタリーが甘えてくれた日を思い出して、瞼が熱くなった。

「アン先生、私の話、聞いてくれる?」

「ええ、もちろん」

 半分眠っているようなメロディに、アンジェラは微笑んで小さく返事をした。


「あのね、私のお母様はね、――お父様と、とても愛し合っていたそうなの」

 その言葉に軽くメロディの頭を撫でる。

「そう。だからこんなに可愛い娘が生まれたのね」

 そう囁けば、目をつむったままメロディはくすぐったそうに笑った。

「でもね、私のお父様はどこか遠いところに行ってしまわれたから……、生まれてくる、わ、私のために、お母様は――っ、パパと結婚、したんですって」

「そう」

 メロディの絞り出すような告白に、アンジェラは何でもないことのように相槌を打った。


 今日メロディの話を何度も考え、彼女に似ている顔をふと思い出した。名前はソニア・グリン。息子グレンの一つ年上の少女だ。

 グレンは男子校であるビクト学園の出身だけど、ビクトは今も女子校であるリリス学園との交流が盛んだ。

『リリスにすごい美人がいるんですよ。俺の好みではないけれど』

 学園祭に遊びに行ったアンジェラとナタリーに、こそっと教えてくれた美人がたしかソニア。当時すでに『年上の彼氏』がいると聞いた覚えがある。

 そして、卒業間近にその彼氏から捨てられたと一瞬噂が立った後、すぐに「とんでもなく素敵な年上の方」と結婚をし、噂は結局噂だったとすぐに消えた。


「先生。私ね、記憶力がいいのよ。――お母様は私が四歳の時に亡くなったけれど、お父様の話はいっぱいしてくれたわ。だから小さいころは、パパと、お父様という人がいることが普通だって思ってたの。でも――そうじゃないのよね。パパは私のためにお母様を押し付けられたのよ。近くにいる、ちょうどいい独身だったから」


「そう。可愛いあなたのパパになれて、パパは幸運だったわね」

 実の父と育ての父の呼び方を変えているのは、アンジェラの子たちと同じだ。

 とはいえ状況はまるで違う。

 事情はどうあれ、結婚してコンラッドの子として生まれた娘に、母親がなんてことを吹き込むのだ!

 一瞬怒りで手が震えたけれど、アンジェラはそれをキレイに押し隠した。


「メロディのお母様はすごい美人でしたものね」

「お母様を知ってるの?」

「ソニア、でしょう? 学生の頃見かけたことがあるわ。金髪巻き毛の綺麗な女の子」

「そうよ。あたり。綺麗な人だったの」


 メロディは一瞬顔が輝いたあと泣きそうな顔になり、再びアンジェラの胸元にすり寄ってくる。ポツリポツリと語る言葉を総合すると、ソニアはメロディのことを「自分の娘」とは今一認識できていなかったようだ。子供の父親が消えたとき、心が壊れてしまったのだろう。

 少女のまま日に日に弱っていったソニアは、正気に戻るとメロディに乱暴したという。

「お母様は、私のせいでお父様が消えたんだって言ったわ。私がいなければよかったって、お腹や太ももを強くつねったり叩かれたりしたの。怖かったけど、でもお母様は好きだったから、誰にも言えなかった」

 母親が亡くなった時悲しかったけど、少しだけホッとした自分は悪い子なのだと、ずっと怖かったのだと小さく震える。


 ソニアが亡くなり、周りにいる女性たちがコンラッドに向かってあからさまなアピールを始めるのを、幼いながらに理解していたメロディ。中には明らかにメロディを邪険にする女性も少なくなかったそうだ。

 だから家庭教師もメイドも、コンラッドに色目を使うものは徹底的に排除した。

「もしパパが再婚したら、私は絶対すてられるもの」

「まさか」

「本当よ。血もつながらない子なんていらないわ。血がつながってても邪魔なのに」

 目が冴えてきたのか、アンジェラの胸で隠れこもった声は泣き声だ。

「怖かったわね」

 小さく頷く姿がいじらしい。


「でもね。ナタリー先生は特別なの。パパのことはかかし・・・にしか見えないんですって。かかしってね、畑にあるあれよ。信じられなかったわ」

「そうねぇ。たしかにあのコは、兄と夫以外の男性は皆かかしらしいわ」

 くるっと目を回して同調して見せれば、アンジェラの顔を見てメロディはクスクス笑った。


 ナタリーはメロディに色々なことを話したらしい。

 この国では、夫以外の誰にも話さなかった過去をメロディに話したというのだ。予想はしていたけれど、思った以上にディープで少し驚く。それだけこの子に寄り添っていたのだろう。


「先生は、ナタリー先生と血が繋がってないんでしょう」

「ええ。そう」


 アンジェラは養女だ。姉アナベルとの血のつながりはない。

 幼いころ事故で、友人同士だったアナベルの両親とアンジェラの両親が亡くなった。天涯孤独になったアンジェラを引き取ってくれたのが、アナベルの祖父だ。

 法律的には、十四歳年上のアナベルはアンジェラの姉ではなくて義理の姪。

 小さすぎて覚えていなかったそれを、封じてもらっていた前世の記憶と共に思い出してしまった。自分がいなければ、一人娘だったアナベルは駆け落ちなんてせずに済んだと、今も悔やんでいる。それでも――


「お母さんになるの、いやじゃなかった? 血が、全然つながってないのに」

「全然。親子になれて嬉しかったわ」

「本当に?」

「ええ。もちろん。嫌だったことなんて、一度もないわ」

 それだけは、自信を持って言える。

 メロディはジッとアンジェラを見つめ、何か言おうとしたけれど、少しだけ微笑んでやがて眠りについた。

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