第9話 数多の記憶

「ひゃあ!」

 メロディの、どちらかと言えば楽しそうな悲鳴が響く。

 怖がって両手で顔を覆っている割に、指のあいだからしっかり目が見えていて、アンジェラは思わず吹き出した。その目に映っているのは父親の姿だけだろうけれど、予想外に肝が据わっている幼い令嬢の姿が頼もしい。


「メロディのお父様はすごいわね?」

 コンラッドの株を上げてあげようくらいの気持ちだったけれど、メロディの目が何やら楽しそうに輝いたので、アンジェラもつられてニッコリ笑った。


 今庭(仮)では、さっき倒した飛竜の解体作業が行われている。

 アンジェラがするつもりだったものの、なぜかコンラッドが行うことになったのだ。


「貴女の仕事ではありませんよ」


 そう言われてみれば確かにそうかもしれないけれど、コンラッドの仕事でもないだろう。だいたい一家庭教師代理、しかも相当の年増女をお姫様のように扱うコンラッドに、アンジェラは背中がむずむずして落ち着かない。

 メロディはといえば、最初は父親を見て戸惑った顔をしていていたものの、何か執事に聞いたあと、徐々に面白そうな顔になってきた。

(まあ、不愉快じゃないならいいでしょう)

 何を聞いたのか、とっても気になるけれど。ええ、すごく気になるけれど。


 アンジェラが清浄魔法をかけているので、血液などは飛び散らない。

 コンラッドがバターでも切るかのように飛竜を解体していく横で、エドガーが手際よく部位を整理していく。羽や牙、爪などはこちらでも高値で売れるだろう。売れなくても加工して武器にすることもできるし、こちらのほうがエドガーのためになるかもしれない。


「アン先生。あの飛竜の鱗、綺麗ですね」

 内緒話をするように、メロディがアンジェラの耳元でささやく。

 鱗は一枚一枚が大人の手のひらよりも大きいが、黒曜石のような光沢があり宝石のような魅力がある。アンジェラなら矢じりなどに加工するところだ。

 記憶の底を探れば、似たようなものをお守りとしてペンダントに加工した映像が思い浮かぶ。

「一枚頂いて、アクセサリーにしてみましょうか」

 そう提案してみれば、メロディがパッと顔を輝かせた。

「いいの?」

「ええ。勉強にもなるしね」

「勉強に?」

 驚いたように目を瞬かせたメロディは、近くに誰もいないのを確認すると再びアンジェラの耳に口を寄せる。

「先生は、いくつかの異世界にいったことがあるって本当?」

 その表情は半信半疑。だからアンジェラとしては、異世界ではなく遠い異国だということもできた。それも真実だったから。


 二十年以上前、アンジェラは極東の国ヒィズルにいた。

 そこは大陸二つを超えた先にある島国で、今も魔獣が生息する未開の地とも呼ばれる場所だ。実際には独特の文明が発展しているけれど、あまり知られてはいないだろう。


 二親をほぼ同時に亡くしたグレンとナタリーは、そんな国にいた。

 姉たちがなぜ駆け落ち先にヒィズルを選んだのか当時は分からず、いくつもの意味で呆然とした。


 アンジェラが子どもたちを迎えに行ったときには、姉たちが亡くなってすでに一年以上の月日が流れていた。連絡が来て間もなく国を出たし、可能な限り最速の方法をとったけれど、それでも三か月の旅だ。幼い子供たちが、よくぞ生きててくれたものだと思う。

 ガリガリに痩せ心を閉ざしてしまっていた二人のために、アンジェラは記憶にある限りたくさんの物語を語って聞かせた。


 それはランプに閉じ込められた魔人と、砂漠の国シャリアを旅する少女が見聞きしてきた物語。

 あるいは森の王国シェダイに住む、狩りを生業とした人たちの物語や英雄譚。

 時には科学が発達した日本という国の物語。

 奇妙奇天烈な世界の物語は、子どもたちの心を徐々に現実に戻した。そしてあらゆる知恵は子どもたちの血肉になった。彼らの学園入学に間に合うよう、七年近い時をかけて祖国に戻った時には、上流階級から離れていたとは誰にも気づかせないほど、立派な紳士淑女に育っていたことをアンジェラは誇りに思っている。



 様々な物語は、アンジェラの前世の記憶だ。

 特に前々世のシェダイと前世の日本の記憶は生々しく、幼いころ複数の記憶や感情に苦しむアンジェラのため、それらを抑えてくれたのがエドガーの曽祖父だったのだ。

 心の成長に伴って徐々に受け止められるように、と。


 実際は姉の駆け落ちの後、嵐のような勢いで様々な記憶が蘇り、何日も寝込む羽目になってしまったのだけれど。


 どの世界、どの人生でも、アンジェラは女として生まれ、二十歳前後でその生涯を終えた。今世ではアンジェラの姉が三十二歳で亡くなったから、子どもたちのためにそれは意地でも超えようと決心してきた。


 若い娘だと色々大変だからと、十八歳のアンジェラが四十歳程度に見えるよう、最初に幻視の魔法をかけてくれたのがエドガーの母。頼りになる幼馴染で、大好きな親友ヴィクトリアだ。


 それがよかったのだろうか。

 姿を変え、名前を変えて生きてきたことで、天が余分に生きてもいいと判断したのかもしれない。

 アンジェラは三十歳を超え、もうすぐ四十歳になる。グレンとサムのあいだにはすでに二人子供がいて、ナタリーにも子どもが生まれる。


(こんなに幸せな人生は、男に生まれない限り無理だと思っていた)


 だからアンジェラは、ある決意をしていた――。



 そんなことを一瞬のうちに考え、メロディに片目をつむって見せる。

「本当です。でも内緒よ?」

 実際には今世のことではなく前世の話だけれど、異世界は異世界だ。

 メロディは生真面目に頷く。

「大丈夫。ナタリー先生も、私を信用してると言ってくださいましたもの。でもアン先生自身に肯定してもらえて、本当に嬉しい」

 そっとアンジェラの手を握った少女は「お礼に私の秘密も教えますわ」と囁く。

 妙に大人びた口調、そして低い声。


「私は、父の本当の娘ではありませんのよ。母は結婚前に私を身ごもっていたそうですわ」


 アンジェラが表情を変えずに見つめると、メロディは可愛らしくニコッと笑った。


「なんてね。冗談です。先生、信じました?」

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