第6話 貧血

 そして今――。


 一気に視界が狭まったアンジェラは倒れないよう咄嗟に手を出したものの、その手は床ではなく誰かの手に支えられた。

 瞬間的に隣にいるエドガーだと思ったものの、ほぼ見えない目に映ったのはコンラッドのほうだった。

「どこか痛めたのですか」

 落ち着いているがどこか焦ったような声と共に、ふわりと抱き上げられるのを感じる。慌てておろしてもらおうと思ったけれど、身体がしびれてうまく動けず、かすかにうめき声が漏れた。


「怪我はしていないはずです。立て続けに力を使いすぎたことで、貧血を起こしたんだと思います」

 エドガーが落ち着いた声で説明し、これであっているかという風に「先生?」と言うので、アンジェラは消えそうになる意識をかき集めてどうにか頷く。

 ここがどこだか分からなかったとはいえ、幻視に武器召喚、そして一本だけとはいえ矢に魔力を込めたことがこんなにも負担になるだなんて。

(年なのね、きっと)

 三日後には四十歳だ。鍛えていても色々体がついてこなくなっているのかもしれないと思い、見た目を戻したにもかかわらずどっと老けた気分になった。


 逞しい男性に横抱きにされていることも、遠のく意識の奥で(介護させてごめんなさいね)と、自嘲的なセリフを吐いてしまう。これが二十歳やそこらなら夢見心地だったかもしれないけれど。

 残念ながらそんな素敵な青春はアンジェラとしても、その前・・・も送ったためしはない――――はず。

(あれ? そうだったっけ?)

 奇妙な既視感に襲われるが、ソファにゆっくりと下ろされるのを感じた瞬間、それは手のひらに乗った雪のようにあっけなく溶けて消えた。


「ライラ、先生に水を」

「はい、旦那様」

 手を揉みしだきながらオロオロと様子を見ていたメイドは、自分のすべきことにホッとしたようにキッチンへと走った。しかし間もなく「水が出ません」と報告する。ライフラインが切れているのだ。本来であれば庭にある井戸も今はない。


「仕方ない。グラスだけを持って来てくれ」

 エドガーが何か言おうとする前にコンラッドはメイドにそう命じる。そして、受け取ったからのグラスを持つと、間もなく湧き出るように現れた水がグラスを満たした。

「すごいな……」

 エドガーが小さく呟く。

 水呼びは繊細な魔法だ。集中力がいるうえ大変めんどくさいため、昔はこの力をどれだけ自在に使えるかが権力につながったらしい。ただ、上下水道が発展した今ではほぼ使われることがない。


 コンラッドは片手でアンジェラの背を支えると、その唇にグラスを当てた。

 冷たい水で喉が潤うと、アンジェラは数回荒く息をついたあと目を開いた。視界が開け、頭にも徐々に血が戻るのを感じる。礼を言って自分で座りなおすと、コンラッドの後ろでメロディが心配そうな目をしているのを見つけた。その表情があまりにも痛ましくて胸が痛む。

「メロディ」

 手を伸ばして彼女の名前を呼ぶと、彼女は子犬のようにまっすぐにアンジェラの元にやってきた。

「先生、大丈夫?」

「大丈夫よ。年甲斐もなく張り切っちゃったツケね」

 あえて明るく言い切ると、メロディは見る見るうちに目に涙をためた。


「アン先生、まだ三十九歳じゃない。パパより若いでしょ!」

 知ってたのかとアンジェラは目を見張り、幻視の魔法が無意味だったことに笑いがこみ上げる。しかもコンラッドより年下だと思われていたとは!

「なんで笑うの⁉」

「いえ。せっかくナタリーのお母さんらしく見せようと思って来たのに、と思ったらおかしくて」

「だって私、ナタリー先生からいつも、アン先生のことをいっぱい聞いてたもの。写真だって見せてもらってお顔も知ってたから、実際に会えるのをすっごく楽しみにしてたのよ。なのに来たのがおばあちゃんだったから、違う人が来ちゃったって思って」

「あー。それは申し訳ないことをしたわ」

 内心ナタリーに、説明不足よと文句を言いたい気持ちになったものの、あの状況では仕方なかったかと肩をすくめる。今朝だって起き上がるのが困難だったくらいなのだ。


「わたくしもメロディに会えて嬉しいわ」

 心からそう言うと、誰かが息を飲む音が聞こえた。

 メロディは色々な感情をどう納めていいのか分からないのだろう。目の前でもどかしそうに足を踏み鳴らすメロディがあまりにも子どもっぽくて、可愛くて。つい――そう、つい、抱き寄せてしまった。

 ためらいなく抱き返してくれる身体は小さくて頼りないけれど、とても暖かい。頭を撫でると、想像通り柔らかい金の髪に目を細めた。

(うちの娘はいい先生のようね)

 生徒から信頼されていることを感じ、アンジェラまでもが歓迎されていたことの喜びを十分かみしめると、まじめな表情に戻って顔を上げた。


 周りには驚いたような顔のメイド、一瞬眉を上げたあと穏やかに微笑む執事。それぞれ何か考え込んでいるような表情のエドガーとコンラッド。この館にいるのは、どうやらこれで全員のようだ。


「とりあえず、状況を整理しなくてはいけませんね」

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