口下手占い師のそばに幽霊あり

星野 ラベンダー

第1話

 八月の強い太陽が道路を照りつけ、蝉の大合唱が延々と続く。熱せられた道を歩く玲子のすぐ背後からついて行く私は、現在眉をひそめる羽目になっていた。


 というのも玲子が先程図書館から借りてきた本に原因がある。平安時代に活躍した安倍晴明という陰陽師が活躍するという内容の児童小説。

 お下げを揺らしつつそれを熱心に読みふけりながら歩く玲子が、ぽつりと呟いたのだ。「格好いいなあ……」と。


 今年の春に齢十二となった玲子は、最近どんどんませていっている。だからこの言葉も仕方ない。仕方ないと思うのだが。


「この人、イケメンだったんだろうなあ……」


 私は思わず眉をつり上げた。何を言うのか。安倍晴明と同じ時代に陰陽師としてやっていた私のほうがずっと顔も良く、実力もあった。二十七のときに不慮の事故で死んでいなければ、私、神之麻呂 昇明という名は、安倍晴明なんかよりも遥かに現代に知られていたはずなのだ。


 と訴えたいところだが、それはできない。現在私はこの子の守護霊を務める立場。話しかけたりすることは出来なければ、守護対象である玲子に姿を見せることも出来ない。


 実に惜しい。私の顔を見たら、イケメンとやらが好きになっている玲子は、その場で卒倒するであろう自信があるのに。

 実際玲子が生まれたときに私を呼び出してきたこの子の父親も、私を目にしたとき開口一番「僕のご先祖様はこんなに格好良かったのか……」と呟いていた。


 嗚呼、と嘆きたくなる気持ちを抑えながら、自身の顔をさすってから、頭を撫でる。


 呼び出されたその日、周りを見たら私が生きていた頃とだいぶ世界は変わっていた。だが時代の変化を、時間はかかったものの受け入れた。十二年玲子の傍にいる間に、現代の言葉もすっかり使いこなせるようになった。こんな風に、時代に難なくついて行ける柔軟性や応用力も持ち合わせているのに。


 悶々と考えていたときだ。前をゆく玲子が、ぴたりと歩みを止めた。どうしたのかと思った直後、彼女はすぐ傍の自動販売機の影に身を潜めたのだ。


 そこから僅かに顔を覗かせる玲子の視線を辿っていくと、数メートル向こうに「神ヶ崎シュウの霊感占い」と書かれたのぼりと、その下で行われている路上占いが見えた。


 紫色の布が掛けられた五十センチ程の折りたたみ式テーブルの上には、水晶玉と、「卜」と印刷された灯籠型のランプが置いてある。

 そのテーブルを挟む、二脚のパイプ椅子のうち、路上側に置かれた青色の椅子に腰掛けている中年の女が、やや前のめりになった。


「本当なんですね?」


 向かい側の、緑色のパイプ椅子に座る中年の男が、虚を突かれたように肩を震わせた。

 おずおずと頷いた姿に鼻白んだように眉を寄せた女は、重ねて「本当なんですね?」と尋ねた。


「ほ、本当ですよ! ちゃんとこの耳で、あなたの守護霊に聞きましたから!」


 男は頭を掻きつつ、早口で告げた。


「あ、あなたの未来は、ま、守られています。その、光で溢れ、希望に満ちた道を歩めます!」

「本当に?」


 女が男の顔を、険しい顔で覗き込む。すると男は、ぱっと目を逸らした。


「まあその、やはりこれもお客様の行動次第といいますか、成り行きに全部任せていいということではなく……」


 弱々しく消えていく語尾を聞いた女の目が、鋭くつり上がった。


「なんなのあなたは! やる気あるの、占い師なんでしょう?!」

「い、いや、やる気は充分にありますって!」


 男が両手を顔の前でぶんぶんと振った直後、その手がこつんと水晶玉に当たった。


 あ、と思う間もなく、水晶玉は台の上を転がっていき、落下していきそうになった。慌てて受け止めようとした男は、水晶玉を捕まえた直後、椅子から見事に転げ落ちた。男がほっと息を吐く間、女は、わなわなと体を震わせていた。


「偽物でしょう、詐欺師でしょう! もういいわよ、話も下手くそだし最悪だわ!」


 机を叩いて女は去って行った。お客様、と占い師は叫びながら、未練がましく手を伸ばす。だがそれは虚空を掴むばかりで、女は一度も振り返らなかった。


 頭を抱える占い師をじっと見ていた玲子が、ふと動いた。


「お父さん」


 私でも思わずぞっとしてしまうほど冷たい声に、ぱっと占い師の男が顔を上げた。何度かの瞬きの後、目が丸く開く。


「れ、玲子! どうしたんだ、こんなところで!」


 思いがけず、偶然娘に出会えたことが嬉しいのか。そう言って笑うこの男こそ玲子の父であり、私をあの世から呼び出した、神ヶ崎シュウこと、神崎 秀平である。


「今日も全然お客さんが来てないんだね」


 秀平の笑顔が引きつった。玲子は今年の春、十二歳の誕生日に遠方に住む父方の祖父から贈られたスマートフォンなるものを取り出し、インターネットの検索機関に「神ヶ崎シュウの霊感占い」と入力した。


「い、いや全然なんてことは、今日はたまたま暑くて出歩いている人も少ないわけで、普段はそんな」

「ネットの評価こんなんだけど?」


 玲子がスマートフォンの画面を突きつけると、秀平の顔色がさあっとわかりやすく青くなった。


「近年稀に見る下手くそ占い師」「相談に来てるのに自信が根こそぎ奪われていく」「占われたら物凄く不吉な目に遭いそう」「逆に新鮮で面白い、二度と行かないけど」


 ここまでの低評価が並ぶのもなかなか滅多にないことだ。私が感心の意味を込めて息を吐くと秀平は俯いた。縮こまっていく体からは、とても占い師の持つような荘厳な雰囲気は窺えない。


「まあ当たり前だよね。この胡散臭くて怪しくて頼りなさそうで実際に実力のない占い師が流行りでもしたら、世も末ってやつになるよ」

「最近更に毒舌に磨きがかかってるな……。思春期になったらどうなるんだ一体」

「心配しなくても、お父さんなんて相手にしなくなるから大丈夫だよ」

「何も大丈夫じゃないのだが……」

「でもさあ、本当にどうするわけ? そろそろ家賃だって危ないでしょ? またおじいちゃんとおばあちゃんに何とかしてもらうわけ? それはさすがに情けないでしょう。いつになったら、ちゃんと占い師としてやっていけるの? ……まあ、その性質が直らない限り、無理だろうけどね」


 辛辣な書き込みが続くサイトの中心にある評価は、軒並み「喋りが下手」というものだ。


 実際その通りなのだ。秀平は、占い師にとって最も大事な技術である巧みな話術を、微塵も持っていない。


 客の自信がつきそうな物言いや、逆に不安を煽るような言い方。本当に未来を予知しているかのような、雰囲気ある口ぶり。それらしい台詞の数々を、秀平は薄っぺらくしか言えない。


 隠し事や嘘を吐くのが大の苦手であり、思っていることはすぐ顔に出るような生粋の正直者。その上よく気が利くほうとは言えず、空回りすることがほとんど。

 故に人と話すことはむしろ苦手とした行動であり、気の利いた言い回しなど出来やしない。それが高度な技術を要するようなものならもっての外。


 一言で言うなら秀平は、話が下手くそな占い師なのだ。


 以前もこのように路上占いをしている秀平を玲子と共に見かけたことが何度かある。そのときの秀平と言ったら、占い師として目も当てられなかった。


 秀平が「あなたは今、とても辛いことを抱えていますね?」と言った相手が実は昇進が決まったばかりで誰の目から見てもご機嫌な状態だったり、逆に「あなたは今、未来に希望を抱いていますね!」と言った相手が、実は恋人と別れたばかりで明らかに憔悴していたりと、序盤の段階からして酷いものだった。


 加えて、「こういうようなことをしたらいいと思います。……個人差はありますが」「こういうことに気を付けたらいいでしょう。……保証はしませんが」といった具合に、とにかく口調という口調に自信が無い。


 占い師は尊大なほうが良いのに、責任を負いたくない気持ちがあるのかなんなのか、余計な一言を語尾に必ずと言って良いほど付け加えるのだ。


 正直、秀平ほど占い師に向いていない人間はいない。だが秀平は、頑なに占い師という職業にこだわっているのだった。


「トークこそが占い師に一番必要なものなのにさ。お父さんはお話しするのがド下手くそなんだし、もう諦めて別の仕事就いたら?」

「玲子、それは違うぞ!」


 秀平は勢いよく顔を上げた。固めた拳で、心臓の辺りを軽く叩く。


「占い師にとって大切なスキルは決してトークではない。占いの、本物の力だ!」


 玲子はふうん、とだけ返し、すぐ傍ののぼりを見上げた。そこには大きく書かれた「神ヶ崎シュウの霊感占い」の隣に、「本物の力を持つ占い師が、本物の占いをご提供します」という記述が記されている。「本物の力」の部分は、赤字で強調されていた。


 「本物の力」。これこそ、彼が占いにこだわる理由だった。


「でもね。実際問題、普通の人はトークが下手な占い師には嫌な印象を抱くわけ。もう数え切れないくらい言われてきただろうけどさ。さっきのお客さんもそう言ってたでしょ? いくら本物の力があっても、喋りが下手くそな占い師には、誰も近づかないよ?」

「し、しかしだな」

「本物の力を使って占いがしたいなら、トークスキルを身につけるのは必須だよ」

「そうは言っても、どうすればいいんだ? お父さんはこの通り、人と話すのが苦手だ。なのにいきなりトークスキルなんてものが身につくはずないだろう。あまり無責任なことを人に言ってはいけないぞ、玲子!」


 玲子はため息を吐き、玲子は「本物の力」の文言がはためくのぼりを指さした。


「……練習すればいい話だって。その本物の力とやらを使ってさ」

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