第4話 スカウト

 やわらかくて、あたたかい何かに包まれている。


 雨の音はくぐもって耳に届き、心地よい眠りを誘う。


 鼻孔をくすぐるのは香油のにおいだろうか。


 肌に当たるのは滑らかな布の感触。暖炉で薪がはぜる音が、雨よりも近くで聞こえてくる。


 このままもっと、深く眠ってしまったらきっととてもきもちいい。



 だけど。



 ――いや、待って。ここ、どこ!?


 こんな場所知らない。来たことがない。自分の部屋はこんなにいい匂いがしないし、布団はもっとごわごわだ。


 沈み込もうとする意識を無理やり引き上げて、フィーネはばちっと瞳を開ける。


「……やあ、目が覚めたかな」


 ベッドのすぐ脇に置かれた椅子で、本を読んでいたらしい人物がフィーネに声をかけた。

 その顔をまじまじと見て、フィーネは飛び上がるほど驚いた。


 まず目に飛び込んだのは、王族に多い、稲穂のような金の髪。

 冬の空のように薄い青の瞳は、今は憂いの色をたたえている。


 稀有な美貌は国一番の美女と謳われた第三妾妃譲りと言われるが、フィーネにはいまいち美醜の判断はピンとこない。

 アナトルの方がよっぽどキュートだと思う。


 遠目でしか見たことがない。

 それでも、この人を間違えるはずがない。


 ユーグ・アルベール・ガエル。

 トレス王国第一王子。妾腹でありながら、次の王に最もふさわしいと噂される人物だ。


「ユーグ殿下!? ちょ、ちょっと、どういうことなんです? って、あ、あれ、この服は?」


 着ていたはずの騎士服がどこにもない。いつの間にか着替えさせられているのだ。

 レースをふんだんにあしらった絹のネグリジェなんて、生まれて初めて着る。


 摘まみ上げれば向こうが透けて見えるような薄い絹を、混乱したフィーネは豪快にたくし上げる。


「……あまり、動かない方がいい。刺激が強すぎるから」


「刺激?」


 服なんて清潔で動きやすければそれでいいという信条のフィーネは、生地ばかりが多いネグリジェのさらさらした感触に馴染めない。


 無駄に多い布地を引っ張り、なんとか両足を外に出したところで、ユーグ王子は自分が着ていた上着をフィーネの肩にかけた。


「しばらくそれを着ていなさい」


 なるべくフィーネの方を見ないようにしている気がした。

 フィーネは違和感を覚えつつも、口を開いた。


「というか、ここはどこなんです? どうしてユーグ殿下がいるんです? なんでわたしは、こんなところで寝ているんです?」


 宮廷の礼儀作法なんて身に着けていないフィーネは無遠慮にユーグに問いかける。

 もしかしたら不敬罪や反逆罪に問われかねない態度なのかもしれないが、疑問が多すぎてそんなことは気にしていられなかった。


 次々と質問を繰り出すフィーネの方へ視線を戻し、しばらくそれをじっと聞いていたユーグだが、フィーネがすべての質問を出し切るころになると、ぽかんとした表情をした。


「もしかして……承知していないの?」


「? 何をです?」


 フィーネの反応を見たユーグは、手元を口で覆って何事か呟いた。


 フィーネの耳には、話が違うじゃないか、と聞こえた。


 ――なんのことだろう?


「いいや。なんでもないよ。それより、私にも聞かせてくれないか。どうしてきみは、雨の中あんなところで泣いていたんだい?」


「え、えーっと。殿下にお聞かせするようなお話ではないので……」


「ふうん……なら、アナトルに聞こうかな? きみの護衛騎士が私の部屋で寝間着でくつろいでいる、だなんて教えたら、弟がどんな誤解をするかわからないけれど」


「や、やめてください!」


「なら、洗いざらいしゃべってもらえるかな?」


 フィーネは通常であれば、体に纏う魔力の色をオーラとして捉えることで相手の感情をある程度まで見極めることができる。


 そのフィーネから見えるユーグを取り巻くオーラの色は、夜空より暗い真っ黒だ。


 黒は殺気の色。そう思っていたフィーネだが、ユーグのオーラはそのどす黒さの割に邪悪な気配がない。

 ただ非常に、寒々しい。

 そしてとても凄みがある。

 もしかしたらこれが、陰謀術数渦巻く宮廷で長年生き残り、王座に手をかけんとするものの気迫なのだろうか。


 その黒々しているオーラに恐れをなしたフィーネは、今日起きたことを洗いざらいしゃべった。


 アナトルから今日を限りに護衛騎士の任を解かれたこと。

 早く次の仕事を見つけろと言われたこと。

 だけど自分は、アナトルの側を離れたくなかったこと。


 なんとか、彼の側に留まる方法を見つけたいと思っていることまで。


「なるほど。護衛騎士でなくなったとしても、アナトルの側であの子を守りたいんだね。……弟がうらやましいな、きみにそんなに思ってもらえるなんて」


「恋愛感情だけではありません。アナトルさまの護衛騎士に任じられたときに、わたしはあの人の剣になると誓ったんです。わたしはわたしの誓いを守るために、あの人のもとに戻りたい」


 フィーネがそう言うと、黒いオーラが強くなる。

 正体不明の負の想いが込められた気配に、フィーネは寒気すら感じる。


 どうしてこの人は、わたしが話すたびに笑顔が深まるのに、気配は冷え切っていくのだろう。


 意味がわからない。この場からすぐに逃げ出したくてたまらない。

 だけど、扉はユーグの背後にある。


 そんなフィーネの葛藤を知らずに、ユーグは穏やかな声で提案した。


「それでは、こうしたらどうかな。……きみが私の護衛騎士になるんだ。アナトルと会う機会は、他の仕事より多いと思うのだけれど」


「お気持ちは嬉しいですが、お断りさせてください」


 フィーネは自分の中の怯えを隠したまま、ユーグの誘いをはっきりと断った。


「……理由を聞いてもいいかな」


「ユーグ殿下にはもう立派な護衛騎士がいらっしゃいます。誰かを追い落としてその席に座るのだとしたら、わたしは、わたしと同じ境遇の人を自分で産み出すことになります」


 フィーネの言葉を聞いたユーグは、表情を和らげた。


「なんだ、そんなことか。安心しなさい。きみを雇うことで、今の護衛を解雇することにはならない。

 確かに私にはすでに護衛騎士がいるが……きみも知っている通り、要人の警護を一人で請け負うのは大変なことだ。誰にも必ず盲点はあるし、暗殺者はその隙を突いて仕掛けてくる。

 優秀な騎士を何人も抱えておいて、チームを結成して私の警護に当たってもらえば、ひとりひとりの負担は減るだろう。だからきみを雇うことは、ローランにとっても悪い話ではない」


「……わ、わたしは、女です。わたしを側に置けば、口さがない人たちは殿下の愛人だと揶揄するでしょう。それは、殿下の将来への障害になりかねません」


「アナトルを守り切ったことで、きみが優秀であることは王国中が知っている。そんな陰口を言う者は少ないだろうが……言う奴には、言わせておけばいい。どんな名君にだって、口さがない者たちは文句を言うものだ。

 それに、多少の隙を見せた方が、人心は把握しやすいものだよ。相手が何に関心を持つのか見えやすくなるからね」


 フィーネが挙げる『提案を断りたい理由』を、ユーグはことごとく論破していく。


 その後もいくつもの理由を挙げてフィーネはなんとか丁重に断ろうとするのだが、段々取り上げる理由が苦しいものになってきたところで、ユーグはため息をついてフィーネを止めた。


「ねえ、きみはただ、体よく断ろうとしているだけだろう? 私の護衛騎士になりたくない、本当の理由を教えてくれないかな?」


 バレている。


 それを察したフィーネは、言いたくなかったユーグの騎士にはなれない本当の理由を明かすことにした。


「で、」


「で?」


「殿下の……」


「うん」


 息を大きく吸い込んで、思い切って告げる。


「……顔が好みじゃないんです!」

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