chapter.12

43.悪い偶然ってあるもんだ。

 陽菜ひなは言った。


 行きたいところがある。


 そして紅音くおんはそれに反論しなかった。


 だから、どこに連れていかれても文句はない。それこそ法に触れるような場所や、身の危険を感じるような場所でもなければ。


 それに関しては全く、嘘偽りのない本音である。


 ただ、


「どういうことなの……」


 困惑はする。


 そりゃそうだ。


 まさか陽菜の行きたい場所が公園。それもキャッチボールの出来る広場だなんて考えるはずもない。彼女一人ならまだしも、今日は紅音も一緒なのだ。そんなところに行ってどうするんだと思ったのだが、


「はい、これ。多分、入ると思うけど」


「なんでグローブ持ってきてんだよ……」


 正直、疑問を感じるべきではあったと思う。


 出かける段階で既に、陽菜の持っている荷物はどう考えても多かった。紅音とデート(と称した外出)に出かけるだけなのに、大き目のリュックサックは必要ないだろう、とは思った。


 本人が何も言わずにそれをチョイスするもんだから、ついつい「そういうものなのか」と思って済ませてしまっていたし、そもそもその時の紅音は、自分の着替えが無いという大問題で、それどころではなかったというのもまた、確かである。


 が、もし陽菜の大荷物に違和感を覚えていたとしても、それがグローブ二個だと果たして気が付けただろうか。恐らくは無理だろう。だって、そんなもん持ってくると思わないじゃないの。


 陽菜は、そんな紅音の困惑などどこ吹く風で、


「キャッチボール、付き合ってよ。いいでしょ?」


 それだけさらっと、しかも一方的に告げて、距離を取っていく。ちなみに、祝日ともあって人出はそこそこだった。


 やがて、十分な距離が取れたと判断したのか、陽菜が、


「いくわよー」


 と、こちらの了解も得ずに、ひょいっとボールを投げてくる。紅音は先ほど付けたばかりの(誰のものなんだろう、これ)グローブで、それをキャッチし、投げ返す。


「お、いいボール投げるじゃない。よっと」


 ひょいっ。


 バシッ。


 ひょいっ。


 バシッ。


 山なりの、キャッチボールらしいボールが二人の間を行きかい、定期的にミットに収まる音がする。


 と、これだけならば良かったのだが、暫くすると陽菜が、


「ちょっと距離離そっか」


 とだけ言って、紅音とのキャッチボールを継続しながら段々と後ずさっていく。紅音は最初距離を開けられた分だけ縮めようとしたのだが、


「あんたはそこでいいの」


 と不満げにいさめられたのでそのままの位置からキャッチボールを続ける。


 ひゅっ。


 バシッ。


 ひゅっ。


 バシッ。


「ちょっと力入れるわねー」


「ちょっ」


 ひゅっ。


 バーン!


 今までよりも大きな音がする。流石に取れない、ということはないが、かなりの勢いだ。


 経験者と初心者。その実力に差はあって当然だ。


だが、そんなことは紅音にとってはどうでもよいことであり、今重要なのは陽菜に負けない球を投げられることであり、それはつまり陽菜に負けたくないという気持ちそのものなのである。


と、いうわけで、


「よっ……と」


 少し力を入れて投げ返す。


 ひゅっ。


 バシッ!


 それを受けた陽菜が、


「あんたほんとに素人?実は小学校のころがっつりやってましたとかじゃないでしょうね?」


 ひゅっ。


 バーン!


「そんなことあるわけないだろ。キャッチボール自体もほとんどやってきてない、ぞっと」


 ひゅっ。


 バシッ!


「それじゃ、やっぱ才能あるんじゃない?今からでもやったらいいのに」


 ひゅっ。


 バーン!


 冗談だろう。


 紅音は素直にそう思った。


 だってそうだろう。先ほどからずーっとキャッチボールをしているが、紅音は一度たりとも陽菜よりもいい音を鳴らせていない。


 もちろん、陽菜サイドの音は手元で、紅音サイドの音はそれなりの距離をもったところから聞こえるというのはある。ただ、そこを差っ引いても、紅音の球が陽菜よりもいいようには見えなかった。


 しかも彼女はまだ余力を残してい折るようにみえる。所謂「力感がない」ってやつだ。紅音はこれでも結構力を入れているのだが、それよりもあの「ウォーミングアップ終盤」みたいな力感の陽菜の投げている球の方が力強く見える。これが経験の差ってやつなのだろうか。あるいは真剣かどうか、だろうか。


 ひゅっ。


 バシッ!


 ひゅっ。


 バーン!


 暫くこの応酬が続いたのち、陽菜はボールを受けた後、小走りで紅音の元へとやってきて、


「ねえ、ちょっと握り見せてもらえる?」


 ぐいっとボールを紅音に押し付ける。


「握り?」


「そう。今投げてたじゃない。その時、ボールをどう握ってたのかって話」


「ああ、それなら……」


 紅音はボールを受け取り、縫い目を探るようにボールをくるくると手元で転がしたのち、


「こんな感じかな」


 陽菜に見せる。それを見た彼女はと言えば、


「あー……だからか」


 何かを納得し、


「ちょっと貸して」


 紅音から半ば強引にボールをひったくって、


「こういう感じに握れない?」


 握った上で、紅音に見せてくる。ぱっと見はさっき紅音が見せたものとほぼ変わらない。


「どこが違うんだ?」


「ここよ、ここ。ここがちょっとだけボールの中央に寄ってるのよ」


 陽菜はそう言って人差し指と中指を交互に動かし、


「まあボールの握りなんて人それぞれだし、西園寺がしっくりくる投げ方で投げるのが一番いいんだけどね。けど、一応正しいストレートの握りも覚えておいて損はないかなって」


「正しい……ってことは俺の握りは間違ってるってことか?」


「うーん……」


 陽菜は大分悩んだのち、


「ま、言うよりはやってみた方が早いでしょ。この握り意識して投げてみて」


 それだけ言って紅音にぽんとボールを手渡し、再び小走りで離れていく。


やがて、十分な距離が取れたと判断したのか、


「ばっちこーい」


 と言いながら紅音に向けて手を振っていた。どうやら準備は完了のようだ。


(なんだったか……ちょっとだけ真ん中?)


 紅音は先ほどの陽菜がやっていたものを思い出しながら、ボールを握る。今までと違うせいか、違和感はあるものの、感覚自体は悪くない。


 陽菜を見ると、既にグローブを構えていた。高さも種類も何もかも違うが、ちょっとだけキャッチャーっぽく見える。紅音はそんな的をめがけて、第一球を、


 ひゅっ。


 投げた。


 バーン!


「おお、いいボール」


 陽菜が満足したようにうんうんと頷き、ボールを山なりで投げ返したのち、


「やっぱり野球やったらいいんじゃないの。才能あると思うよ」


 そんなことを言ってくる。どうやら陽菜はよほど紅音を野球青年に仕立て上げたいらしい。


 ただ、そんなことをする気は毛頭ない。運動部自体が余り好きではないというのもあるが、そもそも野球などやろうものなら、月見里やまなしはどうするんだ。流石に一緒に野球をするわけにもいかないだろう。


(月見里……か)


 考える。


 そういえば彼女は今回の一件について負い目を感じていた。


 紅音からすれば気にすることは無いと思うし、実際にそう伝えもしたのだが、こういうものは本人がそう思わない限りはなんの意味もない。


 外野がどれだけ「そんなものに金をつぎ込んでも意味はない」とか「後で後悔する」などとおせっかいを発揮したとしても、本人にとってはなんら意味が無いのと一緒である。


 気になるものは気になる。それは月見里でも紅音でも一緒だ。


 だが、もし。その勝負が白紙になったとしたらどう思うだろか。


 自分のせいでとんでもないことに巻き込んでしまったと考えている以上、安堵するだろうか。


 それとも、それでも気になるのだろうか。


 自分に気を使って白紙にしたという嘘をついているのではないかとか、実は裏で紅音が陽菜に頭を下げているのではないかと勘繰ってしまうのだろうか。


 分からない。


 全ては想像の産物だ。


 だから考えても仕方がない。


 紅音はそう割り切り、第二球を、


「やっぱ人いるなぁ……まあ、祝日だししょうがないんだけど」


「あたりまえでしょう。やっぱりバットを使うなら、おとなしく場所を取るべきだったんです」


「だって祝日だと高いし……」


「あの、何かすみません」


「いいのいいの、朱灯あかりちゃんは気にしなくて」


「そうですよ。この女の寂しい懐具合のことは気にしなくていいんですよ」


「寂しい……?」


「う、うるさいなぁ。しょうがないでしょ。欲しいのがあったんだから」


「あなたそう言って何個目ですか、グローブ。あんなに使わないでしょう」


「い、いずれ使う時が来るんだよ、いずれ」


「全く……そのいずれはいつ訪れるのやら…………おや……?」


 目があった。


 あってしまった。


 より正確に言えば、 “ずっと視線を向けていた紅音の存在に葉月先輩が気付いてしまった”。


 それとほぼ同時に、


「え、なんで?」


「…西園寺さいおんじ……くん?」


 逃げたかった。


 今すぐ全力疾走で逃げ出したかった。


 なにも悪いことをしたわけではない。紅音はただ、勝負相手の陽菜とキャッチボールをしていただけであって、それ以上のことは何もしていないはずである。


 ではなぜか。


 なぜ逃げ出したくなったのか。


 それはきっと、理屈ではないのだ。


 そう、いわば本能的な危機察知能力だ。動物によっては地震をあらかじめ察知する能力を持つものもいるらしい。それと同じだ。今から起こるであろう「大地震」から、逃げ出したかったのだろう。


 そんなことに思考を巡らせながらも、一歩も動き出せずにいると、三人はあっさりと二人の元へと到達する。これでもう逃げることは出来ない。


 最初に口を開いたのは明日香あすか先輩だった。


「え、なにこれ。どういうこと?」


 その表情は困惑。


 当たり前だ。紅音と陽菜といえば、つい先日までお互い一歩も譲らず、売り言葉に買い言葉で勝負に発展した間柄の二人だ。


 故に仲睦まじく会話しているはずもなければ、一緒にキャッチボールなどしているはずもないし、あまつさえ、ボールの握りに関してアドバイスを貰っていてはいけないはずなのだ。


 そう。


 この光景はあってはならないものなのだ。


 ただ、それは紅音だって同じだ。


 紅音だって、一日前にこの光景を予言されようものならば、笑い飛ばすか、全力で否定するかのどっちかになっただろう。それくらい、「ありえない」光景なのだ。


 続けて葉月はづき先輩が、


「え、お二人は和解したんですの?」


 当然の疑問だ。


 勝負相手とキャッチボールするなど紅音や陽菜の性格を考えるとまずありえない。葉月先輩の分析は至って正確と言えた。


 ただ、それはあくまで大本命の予想だ。時に事実は「一番確率的に低そうなルート」を通ることがある。今回がまさにそれだ。多くの偶然がかみ合った後の結末が、現在の状態なのだ。もしかしたらこれもまた必然なのかもしれないが、紅音にそれを知る由はない。


 が、一つだけ確かなことがある。


 それは三人が現状を間違って認識している、ということだ。


 だから訂正しなければならない。


 紅音はそう思い、


「いや、別にそういうわけじゃ、」


「ええ、その通りですのよ」


「は?」


 弁明は、正反対の主張によって打ち消される。


 しかも、それだけではない。陽菜は紅音の腕を抱きかかえた上で、


「ほら、この通り。仲直りしましたの」


「ちょっ!?」


 おかしい。


 今は全く酔ってなどいないはずだ。「当ててんのよ」は泥酔時のみの選択肢じゃなかったのか。


 それを見た明日香先輩の眉間にしわが寄り、


「……だから、返事が無かったってわけか」


「え?」


 今度は葉月先輩がフォローを入れるように、


「連絡、したんですよ。あなたに。練習をしようって。だけど、返事がないものだから、この場所だけ伝えて、私たちだけで来たんです。私は最初てっきり、反応は無いけど、メッセージは見ているものだと思ってました」


 メッセージ。


 考えてもいなかった。


 確認しようと思えば出来たのかもしれない、ただ、今日は、


「……すみません。今日スマフォ忘れちゃって」


 半分以上は事実である。


 紅音のスマートフォンは今、佐藤家の一角でちゃくちゃくと充電がなされているはずである。


 が、それを説明するためには紅音が陽菜の家に一晩泊まった話をしなければならなくなり。それはつまり話をややこしく、


「忘れたというか、置いてきたんじゃないですか」


「おまっ……」


「?いいじゃないですか?それくらい。子供じゃないんですから、お泊りくらいするでしょう?」


 おかしい。


 先ほどからの陽菜は、明らかに紅音の意図とは逆の言動をしている。


 それはつまり、昨晩からの一連の流れをそのまま嘘偽りなく開陳することにほかならない。


 もしそんなことをしようものなら、どういう反応が返ってくるかを想像できないほど彼女の頭は悪くないはずだ。そうなると、彼女は“あえて事実を話している”ということになる。


 何故だ。何故そんなことをする。そこにメリットなどありはしないはずなのに。紅音と陽菜の秘密にしておいた方がずっといいはずなのに。それを開陳することで陽菜に利益など、一切ないはずなのに。


 それを聞いた明日香先輩は一つため息をついて、


「まあ、別に仲直りしたっていうんなら、それでいいんだけどさ。それならそうと連絡ちょうだいよ」


「ご、ごめんなさい」


 そんな様子を見た葉月先輩が、


「まあ、仲直りできるに越したことはありませんからね。でも、そうなると勝負も中止ですかね。私としては、ちょっと見てみたかったんですけどね、二人の勝負」


 明日香先輩はまだ煮え切らない様子で、


「見てみたかったっていうか、せっかくあれだけやったんだから勝負して、買って欲しかったけどなぁ……」


 そんな会話をぶったぎるようにして、


「あのっ!」


 月見里が、


「勝負、してください。私と」


 とんでもない提案をした。

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