28.当然、ガムシロップも入っている。
「お待たせ~」
暫くして、
「すみませんなんか。俺も行けばよかったですね」
そんな言葉を聞いた明日香先輩はじっと紅音を見つめて、
「……そういう反応だけなら、可愛い後輩なんだけどなぁ……」
一つため息。そういう反応をしなければ、可愛い先輩なんだけどなぁ~。
と、まあ、そんな紅音の心中は全く無視した明日香先輩はひとりひとりの前に飲み物を配膳していく。
「……なんですか、それ」
よく分からない色をした、液体Aが置かれていた。明日香先輩は「なんでそんなこと私に聞くの?」とでも言いたげな顔で首をかしげて、
「さあ?」
さあ?じゃない。それはあんたが持ってきたもんだろう。あんた以外に誰が分かるってんだ。
色は一応、そんなに変な色ではない。ただ、こんな色の飲み物はドリンクバーにはなかったような気がする。
もちろん、たまに期間限定で珍しい飲み物を置いている店はそう珍しくは無いので、それを取って来たという可能性は無いでもないが、もしそうならば明日香先輩がその名前を隠す必要性も意味もない。従って導き出される答えは、
「貴方……混ぜたでしょ」
そう。ずばり
明日香先輩はどっかと腰を下ろして、手元のグラスを眺めて、
「いやぁ~人に頼まれたものに混ぜ物するわけにはいかないでしょ?でも、何か混ぜたいな~って思って。気が付いたらこんなことになっちゃってたんだよね~」
そんな色になる前に正気に戻ってほしかった。
少なくともあれは、一つや二つのブレンドではないはずだ。
明日香先輩はそんな液体Aを、
「まあ言ってもドリンクバーのジュース同士だよ?そんなにとんでもないことになってるってことは、」
口に含み、
「……………………」
アルカイックスマイルのまま固まってしまった。お願いだから何かコメントくらいはしてほしい。そのまま死なれると遺言すら聞けなかったことに、
「ごっふ!?」
瞬間。
あまりにも意外なところから、あまりにも意外な声がした。明日香先輩以外の全員がその声の方を向くと、
「ごっほ……なんですか……これ……ごほっごほっ!!」
葉月先輩が大ダメージを受けていた。
「だ、大丈夫ですか?」
気づかう紅音に葉月先輩は、
「ごほっ……それ……飲んでみて……げほっ!!……ください」
テーブルの上に置いてあったコップを指さす。
まさか。
紅音はそれを手に取って一口、
「…………あっま」
甘かった。
確か葉月先輩のオーダーは「ブラックのアイスコーヒー」だったはずである。
もちろん、色はブラックのままだ、ただ、その味はブラックコーヒーに失礼なくらい甘い。紅音は甘いコーヒー飲料を好んで飲むが、あれはそもそもそういう味に作られているから美味しいのであって、ブラックコーヒーにしこたま砂糖を溶かし込んだ飲み物は正直、不味い。しかも、
「これ……溶け切ってないですね……」
そう。
先ほどからじゃりっとする食感がある。恐らくはスティックシュガーが溶け切らずに残っていたのだろう。つまり、この200mlあまりのコーヒーに“溶け切らないくらいの砂糖”が入っていることになる。ブラック派の葉月先輩からしてみれば劇薬もいいところかもしれない。
漸く瞑想状態から復活した明日香先輩が、
「お、もしかして飲んだ?飲んだね?」
その表情は悪戯っ気に満ち溢れていた。小学生か。
葉月先輩は漸く回復し、
「けほっ……貴方、一体どれだけの砂糖を入れましたの?」
明日香先輩は、お手上げという感じに両手を上げ、
「さあ?」
「さあ?って……」
「取り合えず適当にザーって入れてみたんだよね。いやぁ~決まったなぁ~」
そんな反応を見て葉月先輩が小声で、
「……席を不用意に離れないことですね」
しかし明日香先輩はどこ吹く風という感じで、
「いいよ別に何入れても。どうせ元がこれだから、大して変わらないと思うし」
紅音は“これ”と称された液体Aを見つめながら、
「……もしかしてそのために?」
「半分くらいは」
アホだ。アホがいる。
もしかしたら野球に知性を持っていかれているのかもしれない。
少なくとも普段の行動はとてもではないが、指標を用いて解説してくる人間とは思えない。脳の使用容量比率を間違えてるんじゃないのか。
そんな一連の流れを眺めていた
「ふふっ」
笑い声を漏らす。明日香先輩が、
「え、そんなに面白かった?」
月見里は何かに気が付いたようにはっとなり、ぶんぶんと両手で否定して、
「あ。いや、違うんです!ただ、なんかいいなぁって」
葉月先輩が少し心配そうに、
「あの、一応忠告しておきますけど……あの先輩の生き方は真似てはいけませんからね?」
明日香先輩が不満げに、
「ちょっとー。なに、その言い方」
しかし、月見里が、
「あの、そうじゃなくてですね……えっと、なんかこういう、放課後に集まって……みたいなのっていいなぁって思ったんです」
なるほど。
紅音には伝わった。
ただ、他の面々にはいまいち伝わっていないようで。ほぼ全員の頭上に「?」マークが飛び出ている。
ちなみに、ほぼ全員というのは約一名──
そんな妹のことはさておいて、紅音は補足を入れるように、
「つまり、こういう部活動とか、放課後にみんなで寄り道とか、そういう学生生活っぽいことが楽しいと。そういうことを言いたい……んだよな?」
月見里に確認を取る。どうやらあっていたようで、無言でうんうんうんうんと何度も頷く。いちいち動作が可愛いな。
そんな反応に葉月先輩が、
「言わんとすることは分かりました。ただ、それならもっと適切な部活動があるような気がるのですが、本当にここで良いんですか?」
確かに。
青春っぽいことをしたいなら他にも選択肢はあるだろう。
それこそ運動部に入ったっていいし、それが嫌でも、文科系で、秋の文化祭に向けて一生懸命活動をしたり、合宿にいくものも少なくない。
最終的には申請を出して、泊まり込みでの作業なんてこともあるようで、
どちらも間違った捉え方ではないと思うが、紅音はどっちかというと冠木の解釈が好きだった。
ただ、それでも月見里は、
「はい。ここでいい……ここがいいんです」
と自らの選択を肯定していた。葉月先輩はそんな顔を見て納得したのか、
「なら良いですけど。まあ、橘がやる気ですから、何かしらイベントはあると思いますしね」
明日香先輩が、
「むしろイベントが多くなりすぎそうな気もするけどねー私は。あんなにやる気な
そうなのか。
紅音はてっきりあれがデフォルトのエネルギー体みたいな先輩なのだとばかり思っていた。
そんなわけで話がひと段落したのを見ていたのかは分からないが、優姫がスプーンを置いて、口元を紙ナプキンでぬぐい、
「で、そんなイベントの一つが、野球対決ってわけね?」
そうだ。
今現在直面している問題はそれなのだ。
紅音たちに残された時間はあまりにも少ない。
明日香先輩が、
「取り合えず私が明日中にデータを洗ってみて、葉月が偵察に行ってくるから、対策はそれから立てるとして……勝てると思う?」
これに葉月先輩が、
「可能性はある……というところでしょうか。相手は経験者ですけど、あくまでソフトボールです。野球ではありません。それに、なにも三打席対決とかではないですから、数を重ねれば、一回くらいは凡退する打席があっても決して不思議ではありません。ただ、」
そこで言葉を切り、手元のコーヒーに手を付け……ようとして止まり、代わりに近くにあった水のグラスを手に取って、口をつけ、
「問題は、何故彼女……佐藤さんでしたか?が、そんな勝負で良しとしたのか、ですね」
明日香先輩も腕を組んで考え込み、
「そーなんだよねー」
「絶対に勝つ自信があるからなんじゃないですか?」
葉月先輩が、
「それはもちろんそうだと思います。ただ、打席数が無限でも勝てる自信があるというのは、いくら経験者対未経験者だとしても少し不自然ではあるんです。万全を期すなら、せめて打席数に上限は設けるべきです」
今度は優姫が、
「それくらい力があるってことじゃないんですか?」
しかし明日香先輩が、
「だとしても、無限はやりすぎだと思うんだよね。ほら、どんなに凄いバッターでも六割は凡退するじゃない。それなのに打席を増やしてどうにかなるのかなぁって」
全員がうーんと唸る。
考えても仕方の無いことかもしれない。
ただ、時間がない以上、特訓でどうにかなるレベルでないこともまた事実である。
そうなると、頭をひねって作戦を出すより他がないのも、また確かなのだ。
やがて、痺れを切らした明日香先輩が、
「ま、考えてても仕方ない!取り合えず情報揃えてから考えよ!」
そう結論付ける。相変わらず、野球以外は直感で考える人だった。
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