小牧原美心はいただきますが言えない 23
「ごめん、東雲クン!」
琴弾が顔の前で手を合わせて頭を下げている。相談室には彼女の他に、ソファーに腰かけた神原と少し離れたいつもの席に來華がいた。昼休みだったこともあり、二人の前には弁当箱が広げられている。
「無理だったのか?」
神原がそう尋ねると、琴弾は首を小さく横に振った。
「いやぁ、そのハルキという少年にはたどり着けたんだけどねぇ……少なくとも三対三じゃないと始まらないでしょって向こうが言ってきて……」
「なるほど。こちら側の人数が足りないって事か」
「……うん」
「琴弾先輩の方でもう一人集められないんですか?」
來華がそう質問すると、琴弾は少し黙る。そしてどこか言いにくそうに口を開いた。
「その……気を悪くしないで欲しんだけどね……」
その先の言葉を選ぶようにしてまた黙った。その様子を見て來華が悟る。
「あぁ。私がいるとなると誰も来たがらない、ということね」
琴弾は返事をしなかった。
「どうする?」
神原が東雲に尋ねる。
「……私にはどうにも」
「一応まだ聞いて回った訳じゃないから、もしかしたら参加したいって人もいるかもだけど……そもそも東雲クンもあまり言い回られたくはないよね?」
「そうですね。それは私も困ります」
「だよね。……それで、一つ考えたんだけど」
琴弾がそう言うと神原の方を見た。
「ん? なんだ?」
首をかしげる神原の元に琴弾が歩み寄り、その顔をじっと見つめる。
「……なんなんだ?」
「弘彦クン……女装、興味ある?」
「無い。終わりだこの話は」
「ちょっと即答しないでよ!」
「いや無理だ」
「小さい頃はよくおちょんぼしてあげたじゃない!」
「お前は何歳の頃の話してるんだよ」
「おちょんぼ?」
來華が首をかしげる。
「あぁ、ちょんぼってここら辺でしか言わないんだっけ? 小さい頃にワタシが弘彦クンの髪を女の子みたいに結んであげてたの」
目つきの悪い二つ結びの小さい神原を想像して、來華は漏れ出すように小さく笑った。
「……ホラ、鼻で笑ってるじゃないか」
「笑ってないです」
そう言う來華を神原が鋭くにらむ。
「とにかく、この話を進める為には他に手はないの。弘彦クンお願い」
琴弾が頭を下げる。
「……嫌だ。僕は本気で嫌だからな」
「私も流石に無理があると思いますが……」
「そんなぁ、昨日必死で考えたのに」
「必死の結果がこれかよ」
「じゃあ他にどうすればいいのよ!」
「……」
神原が黙り込む。
すると來華が静かに立ち上がった。
「……この話、一度私に任せてもらえないですか?」
「東雲クンに?」
「元々お願いしていたのは私ですから。少しこっちで当たってみます」
「誰かいるの? 参加してくれそうな人」
「分からないですけど……聞けそうな人なら、一人」
昼休みの間も、学校のいたるところで文化祭の準備は進められていた。校舎内にはいつもとは違う匂いと雰囲気が充満し、普段よりも少し騒がしさが目立つ。
しかし、そんな中でも雪輝と漆野の情報棟の掃除は変わらず続けられていた。一階部分はほぼ終わり、今週の頭からは二階の掃除に取り掛かっている。慣れた手つきでみるみるうちに作業は進んでいった。
「こうも毎日やってると、作業が効率化されてきて、なんか業者みたいな様相を呈してきたな」
「ふふっ。同じような手順でやってるせいか、かなり慣れて来ちゃいましたね。一部屋にかかる時間もかなり短くなりましたし」
「この分だと文化祭後ぐらいには全部終わりそうだ」
「……そう、ですね」
返事をした漆野の表情は、雪輝にも少しだけ寂し気に見えた。
「全部終わったらお祝いに飯でも行こうぜ」
「いいですね、行きたいです」
にっこりと漆野が微笑む。
「じゃあ決定な! そう言えば、文化祭。漆野のクラスは何するんだ?」
「うちは喫茶店ですよ。といってもメニューは冷凍ケーキと紅茶だけなんですけどね」
「喫茶店かー。文化祭らしくていいな。もしかしてコスプレ喫茶?」
「別にそう言うコンセプトでは無かったですけど、する子もいるんじゃなかったかな。あ……もしかして、私のを期待してくれてる?」
「ははっ、するんだったら見に行ってやんよ」
部屋の隅を拭くために屈んでいた雪輝が悪戯っぽく笑う。その頭の位置は、背の低い漆野の、おおよそへその辺りにあった。彼女は頬を膨らませ、手に持っていた箒の柄をぐりぐりと彼の背中に押し付ける。
「なんで上から目線なんですか」
「いてててっ、ツボをぐりぐりするな」
漆野は箒を背中から離し、そのままくるっと回って壁にもたれると、暗い廊下側のガラスに自分の姿と雪輝の背中が映っているのが見えた。すぐ隣の低い位置に男子の頭がある事に違和感を覚えたのか、なんとなくスカートの裾を少し引っ張って治した。漆野はしばらく、ガラスに映った自分を眺める。
「……あの、これはちなみに……なのですけども……」
「お、おう。なんだ?」
雪輝は手元から目を離して、顔を漆野の方に向ける。それに連動して彼女は顔を隠すように背けた。
「メイドとチャイナだったら……どっちが好みですか?」
「……」
十秒ほどだろうか、部屋は無音になる。静かになる事で棟の外、少し遠くの校舎から微かに話し声や笑い声が聞こえて来るような気がした。漆野は赤く染まった頬を天井に向けて、緊張の震えを誤魔化すように唇を固く結んでいた。
「……チャイナ」
雪輝はそう一言だけ呟くように言った。漆野は依然顔を背けたまま、小さく答える。
「……えっち」
「いやいやいや! 流石にそれはヒデェだろ!!」
たまらず立ち上がった雪輝は、赤らめた顔をぶんぶんと横に振った。
「質問してきたのはそっちじゃん! 酷い!!」
「……でも、見たいんですよね? チャイナ」
「メイドと比べての話だろ!」
「ちなみに、勝因はなんですか?」
背けていた顔を戻し、じとっとした視線を送る漆野。その視線に耐えられないのか、今度は雪輝が顔を逸らした。
「……」
「な・ん・で・す・か?」
黙り込む雪輝の顔を覗き込むように漆野が問い詰める。
「……」
「……脚の、露出」
「やっぱえっちじゃないですか」
「あぁそうだよ悪いかよ!」
「あはは……開き直られると、ちょっと困っちゃいますね」
「だったら聞くなよ」
「そうですね……。でも一応覚えておきます」
「……着るのか?」
「覚えておくって言っただけですよーだ」
「そっか。残念」
「でも、ちょっと思うところはあったりするんじゃないのか?」
雪輝のその言葉に、漆野の背中がビクンと跳ねた。
「なんか気になってる感じなんだろ」
「……」
漆野の箒を握る手にギュッと力が籠る。そしてどこか自信なさげな声で話をし始めた。
「私、別にクラスで浮いているってわけじゃないって、一応自分で思ってはいるんですけど……」
「ん? まぁ合ってると思うよ。神原先輩もそんなようなこと言ってたし」
「……でもたまに壁……とは違うかな、なんて言うか、みんなとは違う所にいる感じというか、上手く言えないですけど、そういう距離を感じることがあるんです」
「あぁ……」
雪輝は屈んだ状態で向き直り、お尻を床につけて壁にもたれ、話を聞く体勢をとった。それを見て漆野も隣に腰を下ろす。手にはまだ箒が握られたままで、股に挟んだその箒に軽く体重を預けている。
「私から見たら、なんかクラスのみんなは高校生って感じで、とってもキラキラしてて……自分とは全然違うなって……こういうの劣等感って言うんですかね」
「違うな。漆野は別に劣ってなんかいない。だからそういうのは多分『隣の芝生は青い』っていうんだよ」
「……ありがと。でも、憧れはやっぱりちょっとあるんだ。緊張せずに人と話をしたり、自分に自信を持ってたりする事に。私はクラスの端っこの人間だから、中心にいるような人たちに、やっぱり憧れちゃう」
「まぁ気持ちは分からんでもないな。それでコスプレなのか?」
漆野は小さく頷いた。
「コスプレの話で盛り上がってるのって、クラスの中心にいる人たちだから……考えてみたら恥ずかしい話なんだけど、私も同じようにコスプレしたら、その輪の中に入れるのかなって……ちょっと考えちゃったの」
もじもじと箒の柄をなぞる指。綺麗に手入れされた爪が雪輝の視界できらっと光った。
「なんか、みっともないですよね……はぁ」
「ため息良くないぞ。それにみっともないなんて事もない。オレも同じような事を考えたことあるしさ、人間、割とみんなそういう努力をして、自分の居場所を作ってるんじゃないのかね」
そう話した雪輝の脳内には美心の姿が浮かんでいた。相談室登校が解除され、教室に戻れてからの雪輝は、クラスに欠かせない人物になっていた美心を見ている。彼女がその居場所を作るためにしたであろう努力の数々を、雪輝はみっともないなんて思いたくは無かったのだ。
「頑張ってみていいんじゃないか? 文化祭、みんなでわいわいやってみたいって事なんだろ?」
「……わいわい。そうですね。憧れ……ます」
「だったらさ、してみようぜ。コスプレ」
「……吉祥寺君は見たいだけですよね」
「そんな事無い。……いや、オレが見たいって言ったら、背中押したことになれるか?」
「……かも、しれないです」
箒ごと膝を引き寄せて、漆野は小さく丸まった。
「じゃあ着ようぜ」
「……覚えておくって言ったじゃないですか。……色々準備がいるんですよ」
「準備?」
「……あがり症を治すとか、緊張せずに人と話せるようになるとか……。それが出来たら……着てもいいです」
「なかなか遠い道のりだな」
雪輝がそう言ったところで予鈴のチャイムが鳴った。その音に少し驚いたのか、漆野の肩が跳ねる。
「今日は話をしててあまり進まなかったな」
「そうですね。でもなんか普段よりどっと疲れた気がします……」
二人は立ち上がって、掃除道具を片付け始めた。窓から外を見ると、他の生徒たちが小走りでそれぞれの教室に戻っていくのが見えた。それをみて雪輝も少し急ぎ目に手を動かす。
「じゃあオレ次体育だから先戻るわ」
雑巾を教卓の上に干した雪輝は教室の入り口付近に立ってそう言った。
「あ、はい。今日もありがとうございました」
「おう。コスプレの件、個人的には期待してるからな」
そうからかう様に笑って雪輝は情報棟を後にした。少しして漆野も片づけが終わり、階段を駆け下りて情報棟を出る。ポケットから取り出した鍵を扉に差し込んだ時、背後に人の気配を感じた。
「漆野さん」
振り向くと、そこに立っていたのは來華だった。
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