小牧原美心はいただきますが言えない 8
駅の北口ロータリーを横目に、雪輝は駐輪場に自転車を置いた。もう先に着いてるかなと少し考えたが、現在は集合時間の十五分前。來華と美心の姿はまだ見えなかった。
雪輝が早めに集合場所に来た理由は、いきなり來華と美心が二人きりにならない様にという配慮の為だった。その様子を観察しても面白いかもと思ったのだが、名古屋に着く前に來華の体力を削り切る事になりそうだったため、一番乗りすることにしたのだ。
昼過ぎの駅は人通りが少ない。ロータリーの真ん中で立っているといかにも待ち合わせという感じがして少し気恥しかった。見渡してみると駅のエスカレーターの少し横にコンビニがある。そこの本のコーナーからはロータリーが一望出来そうだったため、雪輝は立ち読みをしながら時間をつぶすことに決めた。
店内に入るとこれから参加するリアル脱出ゲームの宣伝が流れていた。雪輝はその宣伝に耳を傾ける。
『東京を恐怖のどん底に陥れたあの体感型脱出ゲームがついに名古屋にやってきた! 映画クビキリを原作に、東大謎解きサークルの仕掛ける謎があなたを待っている。迫りくる悪鬼から逃れつつ、廃校舎から無事に脱出することが出来るだろうか……! 正答率十パーセント。あなたの挑戦を待っている……チケット好評発売中』
東京では結構人気なアトラクションだったらしい。宣伝を聞いて雪輝は俄然やる気が出てきたが、それと同時に商業棟での來華の反応を思い出した。本人は強がっていたが、あの様子はあまりホラーが得意ではない感じだった。少し不安だったが、まぁ駄目なら駄目で早々にリタイアして、後は適当に名古屋でも回るかと考えていた。
しばらく立ち読みをしているとガラスの向こうに美心の姿を見つける。コンビニの前で時計を確認しながらそわそわと立っていた。彼女の背後から優しくガラスを叩くと、少し驚いた様子を見せて振り返り、雪輝の顔を見て安心したように手を振る。そのまま小走りで彼女もコンビニに入店した。
「よっ」
「テルキチ早いね」
「あぁまぁな」
「なに読んでるの?」
「マンガ。暇だから手に取っただけで内容はよく知らん」
そう言って雪輝は持っていた本を棚に戻し、美心の方に視線をやる。制服姿の彼女しか見たことが無かったので、私服の小牧原美心が新鮮に映った。
マスタードイエローのモックネックリブニットに、黒色のハイウエストスキニー。韓国系と言うところだろうか、スタイルのよく分かるシルエットに、雪輝は少し大人な雰囲気を感じた。
「小牧原結構おしゃれなんだな」
「えっ、ちょ。やめてよ急に恥ずかしいから」
美心は顔を赤らめて言った。
「……私、規則で読めない本が多いから。でもファッション系の雑誌は読むの好きで……まぁお金が無いからいつもプチプラなんだけど」
「似合ってると思うよ」
「あ、ありがと……」
「……おい。なんかそう照れられると俺も照れるだろう」
「そりゃ照れるよ! もぅ、テルキチが悪いんだからね」
外に出てさっき宣伝が流れてた事を話していると、ロータリーに黒塗りの高級車が入ってくる。二人はぼーとその車を眺めていると、なんと目の前で停車した。少し怖くなって道を譲る様に車から離れようとすると、後部座席のドアが開いて、中から來華が出てきた。
「あっ、東雲さんこんにちはー」
「こ、こんにちは……小牧原さん」
「なんだ東雲か。どこかのヤクザかと思ってびっくりしたぞ」
「失礼ね」
すると車の窓が開き、中から白髪で体格のいい初老の男性が顔を出した。雪輝が会釈するとチラッと車の中が見える。左ハンドルの外車で、艶やか革の座席にはゴミ一つない。それを見て雪輝は自分の家の車と比較してしまった。レシートやら袋やらが散らかった父親のワンボックスの軽自動車。東雲來華は嫌われ者とはいえ大物政治家の一人娘。改めてその生活に違いを感じたのだった。
「來華。この子たちがお友達?」
初老の男性はとても嬉しそうな顔でそう言うと、首にぶら下げた一眼レフを手に取り、雪輝と美心をパシャリと写真に収める。とても撮りなれている素早い動作に、雪輝らは反応する事すら出来なかった。すると來華は少し顔を赤くして「おじいちゃん、もう行って!」と雪輝たちを背中で隠すように窓の前に立つ。おじいちゃんと呼ばれたその男性は來華をよける様に首を傾けて再び雪輝らを見た。
「いやまさか來華が本当に友達と出かけるなんてな」
彼は嬉しそうに笑っている。
「こ、こんにちは。吉祥寺です」
「あー君が。最近よく來華から名前を聞くよ」
「おじいちゃん!」
來華は車内に腕を入れて窓を閉めようとする。
「こら、やめなさいっ」
「じゃあもう行ってください」
「わかったわかった」
そう言うと來華も腕を引っ込める。しかしその目は余計なこと言うなとばかりに祖父を睨みつけていた。
「全く。反抗期だなぁ……」
少しだけしょんぼりとした様子で窓を閉めると、静かなエンジン音が鳴り始めた。男は最後にまた雪輝の顔を見て、小さく手を振る。その後車はロータリーを回って国道方面に抜けていくのだった。「ふぅ」という來華の息つく声だけが残る。
「楽しそうなおじいちゃんだね」
美心がそう言うと來華が振り返り、すまし顔で「行きましょう」とだけ言った。突っ込んでくれるな。出来れば忘れてくれという事だろうと雪輝は察した。
來華の服装はガーリーな感じの黒色のワンピース。美心の服装に意外性を感じていた雪輝だったが、この來華のファッションには、想像していた通りの東雲來華の私服姿だなという感想を抱いていた。
三人はエスカレーターで駅に上がり、雪輝だけ発券機に向かって切符を買う。來華は電子決済で美心は定期を持っていた。名古屋行きの電車は大体十五分に一本だったが、たまたま出発間際の電車を捕まえられ、三人は小走りで乗り込んだ。車内の込み具合はそこそこで、一応空いている座席も見つかりはするが、三人は扉の前で立つことにした。雪輝を挟んで両脇に來華と美心がいる。ガラスに反射した自分たちの姿を見て雪輝は、美女二人をはべらせて何様だと思ったりもした。
「小牧原今日来てくれてありがとな。他に誘える人もいねぇから助かったよ」
「ううん、こちらこそ。実は文化祭のクラス出し物をどうしようか迷ってた所だったから、丁度いい機会だったんだよね。脱出ゲームとか流行りだし」
「あーもう文化祭の季節か。……俺もそれまでには教室に戻りたいところだな」
「ホントだよ。私、クラスの実行委員になっちゃったからテルキチに手伝ってもらえると色々助かるし」
「まぁ頑張るよ。てかクラス出し物も小牧原が考えるのか?」
「どっちかというと私は意見のまとめ役。でもアイデアが何も出ないなんて事もありそうだから、私も考えておかないとと思って。どう思う? 脱出ゲーム」
「俺も今日初めてだから分かんないけど、出来たら面白そうだよな」
「そうだよね! それに私、ちょっとホラー要素なんかあったりしたら凄く盛り上がるって思うの!」
楽しそうに語る美心だが、その反対側の來華は逆に少しムスッとした様な表情で黙って立っている。
「……顎を筋肉痛にしてくれるんじゃなかったのかしら……?」
ボソッと呟く。
「なんだ拗ねてんのか」
「拗ねる? 誰が? どうして?」
「いや分かりやすくて可愛らしいとすら思うよ」
すると來華の蹴りが飛んでくる。
「いてっ」
そのやり取りを見て美心が隣で笑っていた。
「あははは、ごめんね東雲さん。なんか私ばかり喋っちゃってたね」
「……構わないわ」
「構わなくないよ。私、今日東雲さんとお話しできる事も楽しみにしてたんだから」
「私と? そ、それは光栄ね」
「ねぇ東雲さんは今日行く脱出ゲームの宣伝動画見た? なんかちょっと怖そうだったけど大丈夫?」
「えっと……そうね……」
來華は視線を美心と合わせず、ずっと窓ガラスの外と美心の胸辺りを行き来しながら、歯切れの悪い会話を始める。
「まぁその……た、多少はよく出来ているとは、思ったけど。しょ、所詮作り物だから、怖いとは思えないわね」
「へぇ凄いなぁ。私結構不安なんだ。怖くなったら手繋いでもいいかな?」
「か、構わないわ」
雪輝は來華の足が震えている事に気づいた。顔は精一杯すまし顔を保ってはいるが、ごく限られた人としか会話をしたことのない來華にとって、小牧原の様に明るく陽気に話しかけてくるような人との会話には、普段使用しない脳の領域を使うことになるため、その負担が足に出ていたのだった。
來華は雪輝に助け舟を求めるような視線を送る。雪輝は仕方ないなといった感じに会話に割って入った。
「そう言えば正答率十パーセントとか言ってたな」
「ね。どうしよう、私二人みたいに頭良くないから足引っ張っちゃったらごめんね」
「いいよそんなの。つか俺も自信ないし」
「えー。私東雲さんとテルキチを当てにして来てるんだから頑張ってよ」
「おいおい、三人で協力するのに最初から人を当てにすんなよ」
「あはははっ」
美心はそう楽しそうに笑った。会話から外れたことによって、來華の足の震えも収まったようで、今は穏やかに外の景色を見ている。
変な関係だが、これはこれで楽しいものだなと雪輝は思った。
「ま、電車なんだからもう少し静かにな」
「あぁごめん。……私、同級生とお出かけするの初めてだったから、ちょっと舞い上がっちゃってたみたい」
美心のその言葉に來華が振り向く。
「……小牧原さん。友達多そうだけど」
「ううん。そりゃ学校ではよく話したりする人いるけど、こうやって休みの日にお出かけするのは、テルキチと東雲さんが初めてだよ」
それを聞いて來華は「……そう」とだけ呟いた。
快速名古屋行きは乗車してから穂積、西岐阜、岐阜、尾張一宮の順で停車する。途中で降りる人は少なく、乗車する人だけが増えていくため、駅に停車するたびに車内は混雑していった。名古屋手前になる頃には三人の周りにも沢山の乗客が立っており、喋る事も憚られるようになる。三人は外の景色を見たり、スマホを開いたりしてそれぞれの時間を過ごした。誰が誰となくたまに目が合ったりすると、喋った方がいいのか黙っていた方がいいのか分からず、少しだけ気まずさを孕んだ笑みを返すだけというのを何度か繰り返して時間と電車が進んでいく。すると雪輝のスマホが震えた。取り出してみると、美心からのメッセージが届いていた。顔を上げると目の前で美心がスマホを片手にこっちを見ている。目が合うと一回微笑んで、またスマホに視線を戻した。するとまた雪輝のスマホが振動する。
『結構混んできたね』
『目が合った(^^♪』
返信を書こうとしていると、先にまた美心の方からメッセージが届く。
『さっきも言ったけど、今日誘ってくれてありがとね』
『倉庫で話した後すぐだったから驚いちゃったけど、嬉しかったよ』
『変なタイミングだったよな』
『あとあの事誰にも言ってないから。東雲にも』
『ありがと』
『あと今日の集合がお昼食べてからなのも、私を気遣っての事だよね』
『ごめんね、迷惑かけて』
雪輝は視線をスマホから離して美心の方をみた。すると彼女も雪輝を見つめている。目が合うと雪輝はスマホをポケットにしまい、小さく微笑んで首を横に振った。それを見て美心も小さく笑った。
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