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 六月も末に近付き、美術部は文化祭を前にして、俄然忙しくなってきた。


 真実には散々迷惑をかけてしまったが、最近ようやく気持ちも落ち着き、先週末はほぼ一月ぶりに英人と会うことが出来た。

 見通しの良い公園の一角で、真実と健太に見守られながらではあったが、思ったよりも穏やかな気持ちで時間を過ごすことが出来た。


 この一ヶ月、英人からは、スマホで他愛もない日々の状況報告が毎日送られてきていた。「今日はこんな講義を受けた」「こんなものを食べた」「少し気温が下がって肌寒いね」「今日は晴れたね」等々、本当に他愛もない内容で。

 決して、加奈がどうしているか心配だとか、気持ちは落ち着いたのか、とか、そんなことは尋ねもせず……加奈の回復をせかすような言葉は何も書かず。


 じっと、待っていてくれたのだ。


 加奈が真実に送られて帰宅するのを、実は毎夕健太と共に見守っていたらしい。というか、朝も駅に加奈が現れるのを確認してから大学に行こうとしていたのを斎に止められたと聞いた。斎が道中の今まで以上の安全確保を確約して、諦めさせたという。

 そんな風に、真実以外の皆も、加奈を守ろうとそれぞれが動いていてくれたことを知り、感謝と共に、申し訳ないという思いもある。


「そんなのいいんだよ。みんな加奈が大切なだけなんだから。それだけのことを加奈がしてきたんだよ。今まで頑張りすぎくらいだったんだから、どんどん頼って」


 そう、真実に言われて、自分は自分にできる最大限のことを行うしかないと、今日も部活動に生徒会の仕事にと励む加奈だった。


「加奈、今日は?」

「あ、今日も英人が待っててくれるって」

 昼休み。今日は雨模様なので、二人は食堂代わりに開放されている空き教室で昼食を摂っていた。同じような理由なのか、室内は割合に込み合っている。

 昼に二人一緒に食事をするのも、そこで夕方の予定を確認しあうことも、ほぼ日常と化している。そして、真実が毎夕、加奈を家まで送り届けてくれることも。


 けれど。


 公園で再会してから、加奈の送迎は英人に移行しつつある。毎日ではないが、加奈の家の最寄り駅で待ち合わせして、家まで徒歩で送ってくれる。

 会えなかった一ヶ月の空白を埋めるように、英人は加奈と会う時間を増やし、時間の許す限り加奈と言葉を交わす。加奈に触れないように気を遣ってくれていることを感じ、昨日は加奈から手をつないだ。

 

 加奈が手を伸ばして英人のそれを掴んだ時、英人は目を見張って驚き、その後、嬉しそうに微笑んだ。少し、涙ぐんでいたようにも見えた。


 そう、あのアキラとは、まるで違う。

 たとえ造作が似通っていたとしても。


 アキラが、あれほど英人を憎む理由は、分からない。

 アキラの言うような事実は、絶対にないと信じている。少なくとも英人は、英人の主人格は、アキラのように女性の人格を否定して蹂躙しようとは絶対しない。

 ただ、シバがそれをしなかったとは、言い切れないけれど。過去に女心を弄ぶような出来事は皆無ではなかったと、正直に話してくれた。谷津マリカに誤解をさせるような言動を取ったのも、シバらしく、でもそれを止められなかった『自分達』にも責任があると、他の人格がシバをかばっていた。

 どちらかと言うと責任問題から逃げがちなEightまで。


『だって、健太に叱られたんだ。シバがボクを守ろうと勝手にしたことで、それをシバのせいにしていちゃ、またおんなじことが起きるよって。ボクが、ちゃんと強くならなくちゃダメなんだ』

 会わない間に、Eightの精神年齢はかなり成長したらしい。健太のおかげだと思うが、一方で擁護するだけで諭すことまでせず、Eightはいつまでも幼いままだと思い込んで甘やかしていた自分がいたことも加奈は感じた。反省するのは、自分も同じだ。

 Eightが成長したことで、シバにも変化があった。以前より理知的な雰囲気を感じるようになった。そのシバが言ったのだ。アキラの言うような事実は、絶対なかった、と。


 それは、信じていいと思う。


「今日は五時間目LHRだから、集まる時間バラバラになりそうだね。何かやっておく? 多分、うちのクラス、終わるの早いし」

「うちは時間かかるかな。まだ打ち合わせしないといけないこと、沢山あるし」

「そっちはカフェやるんだっけ? 和矢君はともかく、よく高天君を協力させたよね。おたくのルーム長、頑張ったわ」

「……衣装着て、座っているだけでいいからって、説得していたわ」


 加奈のいる三年A組は、文化祭でカフェをやることになっている。カフェなどの飲食物提供の催しは、三年生のみの限定で、真実のいるC組はドーナツショップから仕入れた袋入りのドーナツを販売するという。加奈のクラスも、制約もあって調理までは難しいのでペットボトルの飲み物を紙コップに注いで、個包装のクッキーと一緒に提供するだけである。ただ。


「コスプレカフェ、とか、さすがCLSの副部長だね。絶対お客入るよ。加奈もやるの?」

「執事喫茶、だよ。女子は男装するからまだ気は楽。メイドとか言われたらどうしようって思ったもの」

「加奈のメイド姿、絶対に似合うと思うけどな。残念。でも、執事姿もカッコよさそう。絶対行くね」

「……待ってます」


 ステージ発表のある演劇部や吹奏楽部などの部員達も協力すると言っているのに、基本展示だけの美術部員は拒否のしようがない。おまけに和矢や俊まで承知してしまったのだ。と言うか、和矢が『美矢もきっと見たいと思うよ。俊の執事姿』なんてルーム長の援護射撃をしていたのを、加奈は知っている。

 それで承諾してしまう俊は……本当に美矢が好きで仕方ないんだろう。


 今回の出来事では、美矢や珠美にもかなり心配をかけた。二人が作ってくれた、ラベンダーの香りがする羊のぬいぐるみは、今も加奈の部屋に置いてあり、毎晩一緒に寝ている。

 真実の都合がつかないときは、代わりに二人がいつもそばにいてくれた。俊と付き合うようになって、美矢は一年生の頃のような周囲への拒絶感が薄くなり、雰囲気がとても丸くなった。けれど、加奈の精神状態が落ち込んでいた頃は、再び棘を感じるようになった。加奈にではなく、他の、特に男性に対して。自分の心持ちが美矢に影響していたのかもしれない。そのこともツラくて、でも加奈より早く、その刺々しさが和らぎ、笑顔が戻った姿を見られたことも、加奈の回復の助けになったことを、本人は気付いていないかもしれないけれど。

 

「あ、そうだ。これ」

 弁当を食べ終えて袋に空き箱をしまうと、加奈は手提げ袋から小さな紙袋を取り出す。

「誕生日プレゼント。一日遅れちゃったけど」

「わ、ありがと! 開けていい?」

 

 加奈がうなづくと、真実はクラフト袋の口を留めたリボン付きのシールを破かないように注意して開封する。

「シュシュだ! 髪の毛伸びてきたから、結構使うんで嬉しい。色もきれい!」

 シックなサテンの緑色と、濃い青のギンガムチェックのシュシュのセットだった。アクセントに両方とも金のリングが付いている。真実が割と緑や青色を好むのと、少し大人っぽい色合いのものにしようと選んでみた。さっそく緑のシュシュを真実は使ってみてくれた。と、髪の毛をまとめる時に、チラッと首筋が光った。


「あれ? 真実ちゃん、それ、ネックレス?」

「あ、見えちゃった?」


 そう言って、真実は胸元から銀色の鎖を引っ張り出す。その先端に付いていたのは。


「あ、健太さんから?」


 華奢な銀色の土台に半透明の白い艶やかな真球がはめられた、指輪。


「うん。さすがに学校で指には付けられないから。ちゃっかりチェーンまでつけてプレゼントなんて気が利きすぎなんだけど……これ、絶対英人さんからアドバイス受けていると思うよ」

「そんなことないでしょ?」

「だって、最初に『真珠がいい? ムーンストーンがいい?』って訊いておきながら、ムーンストーンがどんな石か、よく分かってなかったし。こういう気の利き方は、絶対英人さんだよ。加奈のネックレスとか、超可愛いし」

「ふふ。真実ちゃんのも、可愛いよ。きれいな石。本当にお月さまみたい」


 淡く虹色にきらめく、満月のような石。何もかも受け入れてくれる包容力のある真実にピッタリな気がする。


「じゃ、放課後早く終わったら、イーゼルのチェック。始めておくね」

「ありがとう。真実ちゃんが去年修理してくれていたから、大丈夫だと思うけど。一人だと大変だから、チェックだけでいいから」

 絵画よりは木工に励むことが多い真実は、定期的に美術室の備品を修理してくれているので、大助かりである。とはいえ、全て真実任せにするわけにもいかない。


「ま、どうせ斎君もいるし、手伝わせるから大丈夫」

 当たり前のように真実は言うが。


「そう、ね」


 おそらく、真実が言えば、斎は動いてくれるだろう。それは、心配ない、が。


 斎の思いを知る加奈の心中は複雑である。果たして、二人きりにしてよいのだろうか?


 ……心配し過ぎ、かな? 今までだってそんな場面はよくあったし。


 男性に過敏になっているのかもしれない。けれど、いくら真実が好きでも、健太の存在を承知している斎が、何かするとは思えないし。



 加奈が一抹の不安を封じ込めてた頃、昼休みの終わりを知らせる予鈴が鳴り響いた。

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