第67話 悪魔の契約
少しだけ覗いた白い肌に、キラキラと輝く新緑色の鱗。
そこに浮かぶのは見たこともない妖艶な笑み。
ドクンと心臓が跳ねる。
今まで感じたことのないこの胸のざわめきはこれはなんだ!?
ゾクリとした鳥肌が体中を駆け巡る。
そして腹に一撃。これが痛みというものであると理解する前に次の衝撃が襲う。
(この俺が、手も足も出せずやられた!?)
しかし思考を巡らす時間はない、闇に吸い込まれて行く意識の中で、その悦に浸ったような美しすぎる笑みだけが脳裏に焼きついた。
☆──☆
「昨晩はすみませんでした」
起きると同時にリーレンがラエンにシュンとした顔で謝った。
「ずっと、魔王城の魔族たちを怖がらせないよう力を抑えていたのですが、前の晩龍の姿に戻ってから力酔いしてしまっていたようで」
力酔いとは、酒に酔った時みたいなもので、力を使うことに興奮を覚え感情をうまくセーブすることができなくなる現象だ。まあ昔の魔族にはよくあることだが、力酔いするリーレンを見るのは何百年ぶりのことだろう。よほどこの500年色々気を使い、我慢をしていたのだろう。
「まぁ済んだことはもういい。それより、これをどうするかだ」
そういってまだ目覚めていない紅家のトーラスを顎で指す。
「生かしとくのも面倒ですけど……」
ウーンと言って悩むリーレン。
悪魔族でも紅家の貴族となると、警備兵に渡してもなんの咎もなく出てこられるだろう、それどころか、牢など入れたら入れた警備兵が嫌がらせされるかもしれない。
悪魔族の領地でないから一番厳しい処罰が強制送還だが、それを任せられる兵士がいない。
基本悪魔族は面倒くさがり屋なので領土から出てこないというのに、この男はなんてアクティブなんだ。
「まずは紅家の治める領土に行こうと思っていたので、一緒に連れていきますか。私たちのことは内密にしてもらえるよう協力をあおぎましょう」
とても協力を頼む笑みではないが、ラエンはそれに頷く。今のところ他に思い浮かぶ妙案もないし、このまま野放しにもできない。
☆──☆
「──ッ」
「あっ、やっと起きましたね」
起き抜けに金色の瞳と視線があって、ビクリとトーラスの体が跳ねる。部屋の中だというのに相変わらずフードを被りっぱなしでその顔はよく見えないが、昨晩自分に無礼を働いた魔族に違いない。
「おまえ、自分が何をしたかわかってるのか!」
「怖がらないでください。契約さえ済ませてしまえば自由にしますから」
トーラスの渾身の脅し文句をさらりと無視して、フードの魔族が続ける。
トーラスはそこで初めて、自分がベッドの上で手足が拘束されているのに気がついた。少し力を込めてみたが、びくともしない。魔法の縄なのだろが、悪魔族を拘束できる縄とはよほど大金を払ったに違いな。
灰色のフード付きローブですっぱり姿を隠してはいるが、その物腰からはどこか気品が感じられる、それに何やら良い香りもする。ただの旅人や冒険者ではないようだ。
「契約?」
(まさか奴隷契約でもするっていうんじゃないだろうな)
トーラスの顔が引きつる。しかし奴隷契約は相手が自分より強くなければ通用しない。昨晩は一本取られたが、今は完全にアルコールは抜けている、もしトーラスの実力を見誤っているのだとしてら、その契約を使って逆に相手を奴隷にすることができる。
そこまで考える思わず口元が綻む。しかしそれを悟られまいと
「な、なんの契約を結ばせるつもりだ」
怯えた振りをしてみせる。慣れない演技に変に声が裏返る。
「大丈夫です、あなたにとっても悪い話ではないはずです」
その微笑みに思わず見惚れる。
「リーレン違うぞ、契約書じゃなくこれは
突然、背後から声が上がりトーラスは思わず叫びそうになった。
真っ赤な髪に目の周りを隠す面をつけた悪魔族がもう一人近くに立っていた。
顔も手の甲も隠されているので、キメラかどうかまではわからない。
でも、あの髪色から貴族の悪魔族ではないのは確かだった。
「あぁ、そうでしたねラエン」
金色の目の魔族が口元を抑える。
(リーレンっていうのか)
トーラスは契約だろうが誓約だろうがどうでもよかった。リーレンという名をもう一度心の中で呟く。
契約書とはおもに商人たちが取引する時に用いるもので、お互いに納得の上取引をする。そしてどちらかが約束を破った時には、その契約書に書かれていることが魔法の力により実行されるものだった。
荷物が納品日までに間に合えば、その料金を支払うが、間にあわなかった場合、その分の損失と賠償金を書き込んでおけば、魔法の力で、相手の財産を自動で差し押さえできたりするのだ。もちろん納品日に間に合ったのに、料金を支払わなかった場合は相手に効果を発揮する。
一方的になったり悪用を避けるため、街の商業協会の承認も必要だ。
そして誓約書とは、一方的に相手に何かを約束させることができるものである。
これも公平を規す為、街の裁判所の所長と村長クラスの有力者の承認を二つ以上もらえれば成立する。
子供に暴力を振るわない、街に近づないそういう約束をさせたりする場合に使う。
今回は悪魔族であるトーラスが、自分たちとあの店に嫌がらせをさせないための約束をさせることが目的だった。
「あぁ、いいだろう。で内容は」
酒に酔って俺をあっさり倒したから油断しているのだろう、でもその油断を悟られないようにトーラスは悔しがっているような演技をする。
「二度と紅家の領土からでないこと、そして本人および人を使って他人をいじめたり迷惑をかけないこと」
ラエンと呼ばれた赤髪の魔族が誓約書の内容を読み上げる。
「領土をでるなだって」
反発するような態度を見せる。
「やさしいだろ。部屋から出るなと書かなかっただけ」
確かに部屋の中で一生を過ごすのは嫌だ。
思わず頷く。
「で、どうする。承諾するか?」
「しなかったら──」
一応聞いてみる。リアリティは大切だ。
「まぁ、その時は、俺たちも報復されたら困るから、ここで」
スッとその手が首筋に充てられた。
ゾワリ。思わず身震いをしてしまったことにトーラス自身が驚いた。しかしすぐに首をふると。
「わかった。そう脅かすなよ」と、笑って言った。
こんな身動きできない状態では、いくらトーラスでも本当にやられてしまうかもしれない、ここは相手の条件を飲むしかない。
「あとは誓約を破った時だが。やはり──」
「フン。破らないから、なんでもいいぞ、命にしておくか」
昨夜すぐに殺さなかったところを見れば、いかにこの二人が甘ちゃんであるか容易に想像がつく。
「そういえば、昨日俺のリーレンに、奴隷になれとか言っていたな」
赤い目の奥でチカリを怪しい輝きが爆ぜる。
「奴隷はもう魔界では禁止になっているはずだが、紅家の領土ではまだ存在するのか」
思わずトーラスが鼻で笑った。
奴隷がいないなど、やはりどこぞの田舎暮らしの悪魔族の子息のようだ。
「あぁ、そうだ。じゃあ誓約を破ったらお前の奴隷になってやるよ」
奴隷契約は国で禁止されているが、誓約の条件で一番重いのが死であるため、誓約に関してのみは相手が同意している場合、奴隷までは条件に入れることも可能だった。
「そうか、ならそうしよう」
ニヤリとラエンが笑う。
再び背筋になにか冷たいものが流れたが、そんな経験をしたことのないトーラスは酔いが完全に冷めてないのだろうと自分の本能を無視する。
「で、承認は誰に頼むつもりだ」
「本当は第三者に頼むべきなのだが、お前がいいなら俺たち二人が今承認になってやるが」
承認が二人以上というのは、相手が約束を破った場合、相手を力づくで従わすために、大きな魔力が必要だからである。
承認者の魔力が大きいほど効力は発揮される。
(俺の実力を甘く見たな)
トーラスが内心ほくそ笑む。
ここら辺はまだ魔王が治める領土で、はっきりいって平和ボケした魔族しか住んでいない。
そこで下手な獣魔族の町長に頼むなら、まだ自分たち悪魔族二人の方が魔力は高いと考えるだろうと、トーラスも考えていたのだ。
昨夜のリーレンの動きからも、それなりに強くまたこのラエンという悪魔族もそこそこの実力者のようだった。
トーラスは自分の思った通りに話が進むので、思わず顔がにやけそうになるのを必死にこらえる。
きっとキメラか獣悪魔しか住んでいないような土地で暮らしてきた、お坊ちゃま悪魔族なのだろう。
普通キメラだろうが獣悪魔だろうが、まかりなりにも悪魔族の二人の魔力があれば、たいていの上位悪魔も誓約の魔力も加わり誓約を跳ねかえせはしない。しかしトーラスは上位貴族悪魔、それも紅家の直系である。
普通の魔族なら20人以上、悪魔族のキメラでも最低4人以上魔力を注ぎ込まなければ話にならない。
「俺はいいぜ。それより早くこの縄をほどきたい」
「なら誓約は成立だ」
そう言うとラエンはサラサラと内容を記し、トーラスは言霊と血の誓いによりそれを承認した。
「ふう、これでようやく体が伸ばせる」
手足を縛っていた拘束具がはずれると、体を伸ばす。
「そう言えば自己紹介がまだだったな。俺はラエン、とりあえず悪魔族の領土までは仲良くやっていこうじゃないか」
ラエンはそう言うとどこか大人びた口調で握手をした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます