第5話 医者のようなもの
〈クレイフィザ〉のマスターは、それからバーテンダーと少し話して、彼の仮眠室を借り受けた。少年のような助手が〈ヴァネッサ〉を運んだ。チェスとしてはヴァネッサにほかの男が触れるなど嫌だったが、まだ彼は体力を回復できずにいた。トールは見かけによらず力があるようで、少なくとも彼女を落とすような心配はなかった。
医者のようなものだとチェスは自分に言い聞かせた。医者とその助手。看護師までに「触るな」などとは、愚かしすぎる。
いくら、彼が既に散々、愚かしい行為をしてきたとしても。
「ミスタ・チェスはそちらでお待ちを」
仮眠室の手前でトールは言った。
「嫌だ」
これにはチェスは即答した。
「あんたらが医者のようなものだとは判った。でも俺はヴァネッサを俺の目の届かないところに置きたくない」
「そう仰るからには、覚悟をしていてくださいね」
助手は息を吐いた。
「覚悟、だって?」
どういう意味だとチェスはトールを睨んだ。
「
「そんなこと……」
「あなたは先ほど『ヴァネッサはただの機械じゃない』というようなことを言いましたね。リンツェロイドに必要以上に感情移入をしている証拠です。そういう人であればあるだけ、彼女たちが人間ではないと決定的に知らされることを嫌う」
チェスと同年代か、年下にすら見えるトールだが、冷静に丁寧に説明をした。
「わ、判ってるさ、彼女が……コードをつながれてるところは、見たことがあるし」
「大丈夫ですか」
「ああ」
「トール、いいよ。彼女をここへ」
室内からマスターが彼を呼んだ。ブランケットがぐしゃぐしゃに投げられていたベッドの上をきれいにして、〈ヴァネッサ〉を寝かせる準備が整ったということらしかった。
「チェス氏もご一緒なさるそうです」
「そう。私はかまわないけれど」
「彼もかまわないそうですよ」
ふたりは、まるでチェスがその場にいないかのようなやり取りをした。
「本当にミスタ・チェスは運がいい。たまたま『オセロ街の歌姫』こと〈アリス〉を見てきたところだったから、基本的に必要なものは揃ってる。そうでなかったら、うちの工房までお越しいただかないとならないところだ」
そんなことを言いながら彼は薄い小型の携帯端末を取り出し、コードを数本、取り出した。
ああは言ったものの、チェスは少しぎくりとする。ヴァネッサに線がつながれている様子を見たことがあるのは本当だが、とても哀れな感じがしたものだ。重病人につながれる点滴の管や心電図の線を思わせるためだったかもしれない。
「医者」が何か指示するまでもなく、助手は慣れた様子でリンツェロイドをベッドに座らせ、服を脱がせた。チェスはつい、視線を逸らした。
「――ああ、ミスタ・ギャラガーの言っていたことは本当だね。超一流品になれば、服で隠れるところまで精巧に作るようだ。もっとも私だって、隠れるから手抜きをしている訳ではないよ。必要性の問題だと考えている」
彼は助手を見た。
「どうだろう? トール、君はどう思う?」
「はい? 僕が何を思うですって?」
「リンツェロイドに精巧な乳房や乳首、及び生殖器は必要かな?」
「い、要らないと思いますけど」
困ったように助手は答えた。純情にもと言うのか、少し顔が赤くなったかのようだった。
「……何だよ。俺に何か皮肉でも言いたいのか」
チェスは我知らず、とげのある声を出していた。
「俺がヴァネッサをセクサロイドにしたいと思ってるとでも、言いたいのかよ!?」
「私はそんなことを言っていないよ、ミスタ・チェス」
男は肩をすくめた。
「何か気に障ったのかい? いまのは私とトールのコミュニケーションだから、気にしないでくれ」
その言いように、チェスは何だかかちんときた。
「助手にセクハラか。クリエイターは変人揃いだって言うのは本当なんだな」
「セクハラだって。トール。嫌だった?」
「ぼ、僕はそんなふうに思ってませんよ、マスター」
「嫌だと言えるんならハラスメントにならねえんだよ、先生」
「ふむ。成程。気をつけよう。ごめんねトール」
「そんなことで謝られる方が困ります」
助手は息を吐いた。
「苛ついているようだね、ミスタ。疲れているんじゃないか。君が倒れても私は見られないから、やっぱり休んでいるといい」
「平気だ」
むっつりとチェスは言った。
「ここで見てる」
「そう言うだろうと思ったよ。ヴァネッサがおかしなことをされないか見張ろうと言うんだろう。私はロイドに欲情する趣味はないんだが、そういう人種は存在するしね」
そんなふうに話をしながらも、ロイド・クリエイターはヴァネッサの「背中を開け」、彼女の内部を見ていた。
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