さよならイエスタデイ

ドクターウトカ

第1話

あの日、僕と未来は、学校の屋上にいた。

春風が潤びるような、瑞々しい夜の時間で、僕と彼女は手をつなぎ眼下に咲き乱れる満開の桜を見つめていた。


一緒に、死のう。言い出したのは僕からだった。

彼女は、どんな気持ちで受け入れてくれたのだろう・・・・。

驚く顔も見せず、ただ、小さく頷くだけで、まるでこの日が来るのを知っていたかのように、黙ってこの屋上までついてきてくれた。


肩まで垂れた黒髪が、緻密に揺れている。

十三歳の壊れかけた心が、小さな悲鳴をあげているような、そんな揺れ方だった。


もしかして、怖くなった?

しばらく僕が黙っていると、未来は意外なほど落ち着いた声で言った。

そんなことはない、と僕がやや意固地な言い方をしたせいか、彼女は正面を向いたままクスリとだけ笑った。


整えられた前髪から覗かせる真っ白な鼻梁。

口元には珍しく薄いリップが塗られ、うらさびしい春の夜を愉悦なものへと変えている。


彼女の素顔は僕だけが知っている。

入学して半年後に、彼女は何の謂れもない中傷を浴び、虐めの対象となった。

無口で、無表情で、何処かミステリアスでもあり、そして不壊の美しさを持っている未来。

それが、いじめのリーダー各である、まどかの目に面白くなく映ったようで、ライングループでの悪口からはじまり、ネットの書き込み、机の落書きや制服をゴミ箱に捨てるなどの陰湿で幼稚な行為が一年も続いた。


梢のような、未来の細い手が僕の手をしっかりと握っている。

これは、僕が彼女を救う意味があると思っている。まもなく、誰にも邪魔をされない、光の夥しい世界へと彼女を連れて行く。

僕には、それをしなくてはいけない理由があった。


三月下旬の冷たい夜風が、二人を包み込む。

さあ、行こう。

僕にはもう、迷いはない。


ありがとう。目を閉じて。

未来が言った。


僕は言われるままに目を閉じると、未来は僕にキスをした。

彼女の口から、僅かだが秋果によせる甘い果実の香りがした。


下腹部に熱い何かが込み上げて来て、彼女の細い体を抱きしめたくなる衝動。

しかし、それを拒否するかのように彼女は、一歩だけ前に進んだ。


二人には、死者として、やっと本当の安息の地へと浸ることができる、この喜び

二人だけの秩序に身を預け、僕は彼女のために、彼女は自分のためにと身を落とす。


さよなら昨日のぼく

さよなら昨日のわたし

さようならイエスタデイ


体がふわりと浮かんだ。

そして、僕と未来はそのまま、星の煌びやかな光から逃れるように、地上へと落ちていく





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