探偵失格 -新宿レインウォーカー事件-

日本一ソフトウェア

第1幕『外道探偵』

【探偵失格 -新宿レインウォーカー事件-】作:城花健人


 “雨の日の新宿には死体が増える”。

 そうウワサされ始めたのは、今からおよそ三ヶ月前の話だ。

 そのウワサが真実であることは、日を追うごとに証明されていった。

 新宿で発生する連続殺人事件の共通点が、必ず雨の日に行われることだったのだ。

 通りを歩いているところを、突然ナイフで心臓を一突き。

 狙われる対象に共通点はなく、目撃証言は僅か。

 手がかりは、犯人がレインコートらしきものを着ていた、という不確かな情報のみ。

 その通り魔的な犯行に人々は恐怖し、雨の日には新宿の人通りが減り始めている。

 そして自然と、一連の事件の犯人はこう呼ばれ始めた。

 『雨空の散歩者レイン・ウォーカー』と。


        ◆


 都内某所。

 マンションにカモフラージュされた監獄の一室で、私は新宿レインウォーカー事件の経緯をすべて語り終えた。


 テーブルを挟んで向かい合う男は、珈琲カップの中でプラ製のスプーンを泳がせながら、口角をつり上げる。

 その両の手首には、銀色の手錠がはめられている。


「雨の日に人を殺すために散歩して回るレインウォーカーか……そそる事件だねぇ」


「お気に召したようで安心しましたよ、銀噛ぎんがみさん」


「おいおい、その名前はよしてくれよ。今俺は“殺人鬼”としてではなく、“探偵”としてキミと向かい合っているんだ」


 男がごわごわの長い前髪を手で梳かし、その奥のメガネを指で押し上げた。


「俺のことは『外道探偵』と呼んでくれ。探偵同盟からも、そのように指示を受けているだろう?」


「……失礼しました。確かにその通りですね、外道探偵」


 双眸は眼鏡のレンズ越しでも射殺されそうなほど鋭く、口には余裕の笑み。身体にフィットしていて細身の体型が浮き彫りとなる薄手の服装に、足まで伸びた後ろ髪をリボンで結んだ髪型。

 そして全身から漂う、深夜の外気のように冷めたい空気感。


 これが、本物の殺人鬼でありながら探偵として活動する男、『外道探偵』か。


 警察と協力関係にある探偵派遣組織『探偵同盟』においても、かなり異色の男だというウワサは本当らしい。


「それにしても、密室で二人きりでの面会なんて、よくOKしてくれたものだね。普通の子なら、怖くて耐えられないよ?」


「それが、協力する条件なのでしょう? であれば従いますよ。たとえ殺人鬼であっても、こちらはあなたに、捜査協力を依頼する側ですからね」


「クヒヒ、素直だねぇ。素直な子は好きだよ。キミも俺の自慢の珈琲を飲むかい?」


「結構です。早く話を先に進めましょう」


 目の前の男は著名な殺人鬼。

 これ以上、無駄話を続け、取り込まれてはいけない。

 手錠をかけられたまま器用に珈琲を飲む外道探偵には構わず、私は話を続ける。


「ここまでの話を聞いて、どう思いますか?」


「黒髪ならもう少し、髪が長い子の方が好きかな。そのショートボブもよく似合っているし、鋭い目つきは俺好みだけどね」


「私の印象ではなく、事件について訊いてるんです」


「あ、そっちか。ソーリー、ソーリー♪」


 落ち着け、青葉瑠璃花あおば るりか

 この程度の挑発に乗せられるな。

 私を見てニヤニヤしている様子は腹立たしいが、まともに付き合ってはいけない。


「警察は未だにレインウォーカーの尻尾をつかむどころか、その残像すら捉えられていない状態です。六月に入ってしまう前に、何とか事件を解決したいと思っています」


「……なるほど、梅雨入りを警戒しているわけか。犯行が雨に関連しているとしたら、確かに大変な事態に陥ってしまう。キミの“お上さん方”が焦るのも無理からぬ話だよねぇ」


「ええ……その通りです」


 流石、話の飲み込みが早い。

 ただでさえ数ヶ月事件の進展がない状況。

 今のまま梅雨入りして被害者の数が増えれば、警察の面目は丸潰れだ。


「ですから我々は恥を忍んで、あなた方『探偵同盟』に捜査協力を申し出たのです。そこで紹介されたのがあなたでした」


「クヒヒ……理想探偵の指示だね。まぁこの不可解な事件を紐解くにはまず何よりも、殺人鬼の思考を理解する必要がある。俺が適任というわけだ」


「あなたが、殺人鬼だからですか?」


「ああ、俺が殺人鬼だからだよ」


 つい口から出た皮肉にも動じず、満面の笑顔で返す外道探偵。

 普通に話している分には、人懐っこい気さくな青年のようにも思える。


 しかし彼の過去やこの部屋の状況が、私に嫌でも警戒心を抱かせてしまう。


 一見すれば何の変哲もないワンルームだが、テーブルも椅子も本棚も床や壁に溶接済みだ。外道探偵が手にするカップも、それに付随するスプーンや皿もすべてプラ製。凶器となりうるものが、不自然なまでに排除されている。


 壁には至る箇所に監視カメラを設置。

 出入り口となる扉は外からしか開けられない電子ロック形式で、窓は皆無。

 このワンルームは、現在の法律では裁けない目の前の男を縛りつけるための牢獄なのだと、否が応でも察せられた。


 いくら扉のすぐ外で警備員たちが控えているとは言っても、緊張せざるを得ない。


(過去に母親殺害の罪で施設へ送られ、その後も殺人を続けた狂気の人物『児童A』……その残忍さから、今では報道禁止扱いの凶悪犯が、私の目の前にいる)


 憧れの警察庁に入社して三年。

 初めて遭遇する正真正銘の殺人鬼を前に、私は心臓の高鳴りがバレないよう、表情を取り繕うことしかできなかった。


「それで刑事さん、俺は何をすればいいんだい? できることなら、久しぶりに外へ出たいものなのだけどね」


「お望み通り、実際に外で現場を見ていただきます。ただし、私と一緒にですが」


 私の言葉を受け、外道探偵はメガネの奥の目を丸くした。


「へぇ、キミと一緒にか。見るからにキャリア組だと思っていたけど、危険な現場にも出るんだねぇ」


「……ええ。私は、今回の事件の捜査のために急遽創設された『特殊事件対策班』の班長。あなたと共に捜査に当たることが任務ですから」


「なるほど。明らかに厄介な凶悪犯との共同捜査は、女性のキャリア組に押しつけるというわけだ。素晴らしい組織だねぇ」


「知ったようなことを言わないでください!」


「おおっと、ごめんごめん♪」


 声を荒げた私にニヤけ面を返す外道探偵。


 ……やってしまった。

 これでは、肯定しているのと変わらないではないか。


 外道探偵の言う通り、この人事は明らかに、目の上のたんこぶである私への当てつけ。


 ただでさえ女性の昇進を嫌う組織内において、キャリア組でかつ順調に実績をあげる私の存在は目障りなのだろう。


 ――殺人鬼との共同捜査などトラブル必至なのだから、青葉に押し付けてしまえ。

 そんな上司たちの心の声が聞こえてくる人選だった。


「……捜査は明朝から始めます。捜査資料をお渡ししますので、捜査までに読んでおいてください」


「オーケー、マイ・パートナー★ ところで、そろそろキミの名前を教えてくれないかな。相棒になる相手の名前も知らないなんて、悲しいよ」


「……警部補の青葉瑠璃花です。よろしくお願いしますね、外道探偵さん」


「よろしくね、るりちゃん♪ ああ、そうだ。これから昼食を作るんだけど、キミも食べていかないかい?」


 外道探偵が立ち上がり、部屋の脇の冷蔵庫へと近づいて、卵とケチャップを取り出した。


「とは言っても、残念ながら刃物の類は禁止されているから、卵料理ばかりだけどね。オムレツは好きかな?」


「い、いえ、お気になさらず」


 思わぬ提案につい声が上擦ってしまった。

 殺人鬼の手料理など空腹でも食べる気は起きない。


「というより、るりちゃんなどと軽々しい呼び方はやめてください。私はアナタの上官、年齢だって上です」


「固いねぇ。もしかして、卵料理は固ゆで卵ハードボイルド派だったかな? 気が利かない男でごめんよ、るりちゃん」


「次にその名前で呼んだら、料理などできないよう指も拘束しますよ」


「おおっと、ソーリーソーリー。この何もない部屋で唯一の娯楽を失ったら、退屈で死んでしまう、勘弁してくれよ」


 おどけた態度で謝罪する外道探偵を見て、ついため息が漏れ出た。

 私は命を救うために警察になったというのに、こんな理解不能な殺人鬼と手を組むことになるなんて、なんという皮肉だろう。

 憧れの遊上ゆがみ巡査部長に、合わす顔がない。

 

(あれ? そう言えば……遊上巡査部長は新宿の交番に所属していたはず。もしかして明日の捜査では……)


「ぐ、ぁ……」


 その時、すぐ目の前からうめき声と、何かが床に倒れる音が聞こえた。


 見ると、外道探偵が床にうつ伏せに倒れ、顔の辺りから真っ赤な血溜まりが広がり始めている。

 まさか、誰かが外道探偵に毒を!?

 

「外道探偵! 大丈夫ですか!?」


 呼びかけても返事はない。

 ひとまず状況を把握するために、私は外道探偵へと駆け寄っていく。

 

 すると――


「ゆ、油断、しすぎだよ……るりちゃん!!!」


 倒れていた外道探偵が急に立ち上がり、私に飛びかかった。

 そのまま背中から床へと押し倒され、眼前に何かを突きつけられてしまう。


「ひっ!」


 それはプラ製のスプーン。

 先ほどまで外道探偵が手にしていたティースプーンだ。

 いくらプラ製とは言っても、このまま突っ込まれれば、私の眼球は……

 

「クヒヒ……刑事ならもっと疑ってかかろうよォ……? こーんな古典的な罠に引っかかっちゃってさぁ……」


 ゲラゲラと笑う頭上の外道探偵の口元から、赤い粘液が私の頬へと滴り落ちる。

 ケチャップの酸っぱい香りが鼻腔にツンと広がった。


「先ほど手にしていたケチャップですか……」


「御名答ぉ……キミはスゴく正義感が強いみたいだけど、もっと気をつけた方がいいねぇ。でないと足元をすくわれちゃうよ? 今みたいにさ」


 ――やられた。

 この状態では、人質にならざるを得ない。

 バタバタと部屋に駆け込んでくる警備員たちの足音が聞こえたけど、彼らは何もできないだろう。


 ただ不思議と、先ほどまで高鳴っていた心臓は、水を打ったように静まり返っている。


 理由はひとつだ。

 

「私の眼球でよければあげます。欲しければ、命もどうぞ」


 私の言葉が意外だったのか、外道探偵の目が丸くなる。


「……おいおい、自暴自棄かい? 生きることをそう簡単に諦めちゃダメだ。もっと必死に生きなよ」


「私が原因であなたを世に放てば、より多くの死者が出る。なら、私の選択肢はひとつだけです」


 決意を固め、懐から例の物”を取り出した。


「死ぬ前にこの『探偵デバイス』で、あなたを道連れにします」


「探偵デバイス……? なぜ、刑事のキミが……」


 私はこの任務を受ける際、『理想探偵』を名乗る探偵同盟のリーダーから、簡単な手術を受け、特殊な電子機器をもらった。


 それが探偵デバイス。

 探偵同盟のメンバーが持つという高性能な電子タブレットだ。


 探偵デバイスには、デバイス同士でやり取りをする機能の他に、特殊な機能が備わっている。


「外道探偵、あなたの首には『首輪』と言う遠隔式の爆弾が着けられているそうですね。理想探偵によれば、今『首輪』は私が探偵デバイスから『命令』を下すだけで、爆破する状態らしいですよ」


「……なるほどね」


 外道探偵の顔から笑みが消えた。


「流石は理想探偵。俺の行動もお見通しというワケだ……でも、いいのかい? この距離で爆破したら、キミも死ぬよ」


 ――死ぬ。

 その言葉が、昔ビルの屋上から飛び降りようとした時の記憶を想起させる。


 しかし、眼前の凶器の威圧感のおかげで、逆に冷静になれた。

 死ぬことは、もう何年も前から、覚悟している。


「私の命で、より多くの命を救えるなら本望です」


「……なるほど、それがキミの信念か」


 外道探偵がおもむろにスプーンを後ろに放り投げ、立ち上がる。


「合格♪」


「……はい?」


「るりちゃんのこと、好きになれそうだ。一緒に捜査してあげてもいいよ」


 言いながら外道探偵はハンカチを取り出し、慣れた手付きで自身の顔のケチャップを拭き取っていく。


 先ほどまで本気の殺意が感じられたというのに、凄まじい落差だ。


 今にも飛びつかんとする警備員たちに控えるよう言って、外道探偵に真意を問う。


「試験だった、とでも言うんですか? アレほどの殺意で迫ってきたくせに」


「警告をしたかったのさ。今のは悪戯だったけど、本物の殺人鬼が相手だったら死んでるよ。本気の殺意は今の比じゃないからね」


「……覚悟はできています。私は警察ですから」


「覚悟しているなら死んでもいいのか? そういう考えはツマラナイからやめなよ」


 外道探偵が床に倒れたままの私へと手を差し出し、微笑みかける。


「人生で大切なのは、自分の命をまっとうし、最期まで楽しむことさ。俺と一緒に、レインウォーカー事件の謎を解こうよ、るりちゃん」


「……殺人鬼が吐くべき言葉ではないですね」


 私は外道探偵の手を払い、自力で立ち上がった。


「ご忠告ありがとう、“外道くん”。今回は見逃しますけど、次に同じことをしたら上に報告して、然るべき罰を受けてもらいますよ」


 そうだ。

 いくら恐ろしい相手だからって、怯んでたまるか。

 私は11年前のあの一件で、既に一度死んでいる。


 誰かの命を救うためなら、殺人鬼と手を組んだって、たとえ殺されたって構わない。


「事件解決のために力を貸しなさい。これはお願いではなく、あなたの上官としての、命令です」


「……クヒヒ、随分とそそる顔になったね。でもひとつアドバイスするなら、頬のケチャップを取ってから言うべきだったね」


「あ!!」


 慌ててハンカチでケチャップを拭き取る私を、外道探偵はニヤニヤと愉しげに見つめていた。


        ◆


 その日の夜、自室のデスクに座ったまま、昼間の外道探偵との一件を思い返していた。


 私の目を抉ろうとしてきた際の外道探偵の目は、本気だった。

 回答如何では、殺されていたかもしれない。

 特殊な監獄も、首輪型の爆弾も、奴にとっては抑止力ではないんだ。


「今回の捜査では……確実に何かが起こる」


 自分へ再確認を促すよう、声に出して言った。


 ――きっと無事では済まないだろう。

 でも私は逃げない。逃げるワケにはいかない。

 殺人鬼に頼るのは癪だが、雨の日に散歩気分で殺人を犯す凶悪犯を、これ以上野放しにしてたまるものか。


 必ず、外道探偵を制御し、レインウォーカーを捕まえてみせる。


「……“この子”の点検もしておかないと」


 デスクの上に乗った回転式の拳銃。

 弾倉を開くと、金色の弾丸が五発装填されている。


 今回の捜査に当たって、万が一にも不発がないよう、上から交換を命じられた新品の銃弾だ。


「不発がないようにって……つまり『撃つなら確実に殺せよ』ってことですね」


 弾倉を元に戻し、座ったままグリップを握って、拳銃を構えてみた。


 銃弾の交換は暗に、「いざという時には躊躇なく撃て」という上の意志を示している。

 上がそれほど躍起となる理由が、今回の事件には隠されているということだろうか。


 分からないことばかりで頭の中に靄がかかる。


 ただ確かなのは、今手にしている銃の重みは、誰かの命を背負うにはあまりにも軽すぎるという事実だけだった。


                              ――第2幕へ続く

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