3 Crying out Love in the center of ……

第29話 見回り班

「ジュリア」

 と、名を呼ぶ声がよく通る。


 出撃前のざわめきの中、詰所で手持ちの荷物を確認していたジュリアは、肩越しに振り返って少しだけ視線を上向けた。

 目を合わせたまま、ぽん、と投げられた林檎を胸の前で両手で受け止める。

「食っておけよ。仕事中はなかなか飲み食いできない」

 言われたそばから、しゃり、と林檎にかぶりつき歯を立てた。

 その様子を愉快そうに目を細めて眺め、スヴェンが笑みをこぼす。浅黒い肌のせいか、白い歯が綺麗に映えた。


「腹減ってた?」

「林檎が食べたかった」

 咀嚼して飲み込んで、ジュリアは唇の端に伝った果汁を親指の腹で拭う。

 周囲を気にせずに食べ続けるジュリアと、その横に立つスヴェンの側を、準備を終えた衛兵たちが通り過ぎて行く。

「広場の警備には第一隊、第二隊。あとは細かく割り振られているが、オレはお前とペアで巡回」

「第二隊所属なのに」

「見習隊員の面倒を見るのも実力者の仕事だからな」

 伸びをしながらいかにも爽やかに言うスヴェンの声を聞きつつ、ジュリアは指で上下を挟んだ林檎をくるりと回して裏側にかぶりつき、飲み込んでから言った。


「手を回したな」

 事前の打ち合わせで聞いた相手は、スヴェンではなかった。

「いつかデートしたいと思っていた。念願叶ったよ」

 悪びれない調子で認められ、ジュリアは胡乱げなまなざしを向けた。

「仕事」

「そうだな。毎年それなりに忙しい。酔っ払いやら、気の大きくなった奴が馬鹿をやらかす」

 言いながら、ジュリアの腰に手を伸ばす。ベルトに通した剣の柄に軽く触れた。

 確認以上の意味はなかったようで、すぐに手を引くと、背を伸ばして聞いて来る。


「お前の大切な『お師匠様』、今日は?」

「出かけないようなことを言っていた。場所は繁華街に近いけど、店は開けないみたいだから、こもっているんだと思う」

 最後の一口飲みこんで、間近な位置から覗き込んできたスヴェンを見返した。

「ヴァレリーもついている」

 ごくかすかに、スヴェンの目元に笑みが浮かんだ。


「信用できるの? その男」

「できるも何も……、一緒に暮らしているし」

 詰所に残る夜間交代要員以外は、あらかた出て行ってしまった。ドアに向かって歩き出すと、スヴェンも心得ていたようですぐに続いて来る。

 木戸を押し開けると冷たい風がひゅっと吹き、落ち葉が足元にカサリと流されてきた。屋根がついただけの素通しの廊下はすでに薄暗く、柱には魔石灯が燈されている。

 遠くから、楽の音や話し声が風にのって届いた。


「前夜祭……、もう始まっているんだ」

 広場では炎が焚かれ、出店も立ち並んでいるに違いない。

 行く相手がいるとかいないとか言っていた少女らも、今頃は誰かの腕を取って楽しく踊っているのだろうか。

「この時間帯多いのは、窃盗かな。準備が後手に回っている屋台や、祭りに繰り出してきたばかりで手つかずの財布を持つおのぼりさんが狙われる。或いは、子連れだから早めに楽しもうと家族総出で出かけた家への空き巣……」

 スヴェンが手を伸ばしてきて、ジュリアの手から林檎の芯を抜き取ると、ぽいっと投げ捨てた。

 捨てた先は、廊下の先の棟にへばりつくように展開した小さな花壇。埋まって養分になる前に、鳥が拾って持っていきそうだな、とジュリアはぼんやり見届けた。


「どこから回るつもりだ?」

「町外れかな。早めに家を出て無人になってるところを見て回る。遠ければ、行って帰ってくるまでに時間があるから、空き巣にはうってつけ」

「スヴェンと二人で人気のないところか。仕事じゃなきゃ絶対行かないな」

 さらりと言い捨てたジュリアに、スヴェンは気にした様子もなく笑いかけた。


「女じゃないってのはマジで残念。だけどこうして二人になれるなら、捨てたもんじゃないな。少し前までお茶に誘うことも出来なかった」

 大仰に肩を竦めたスヴェンに、ジュリアは呆れたように視線を流した。

「仕事だからな」

 廊下を渡り、玄関口のある棟に進む。すでにトラブル申し立て人が押しかけている受付の前を抜けて外に出ると、広場にほど近いせいか、行き交う人通りも普段より多い。


 人の流れに逆行するように、二人は肩を並べて歩き出した。


          *


「空き巣も出るし、物陰では強盗、刃傷沙汰、強姦……。治安が一時的に悪くなるんだよな」

 すれ違う人影がまばらになった頃、スヴェンが指折り数えて独り言のように呟いた。

「だろうな。だから年頃の女は俺に声をかけてきたんだろうさ。成り行きとはいえ、剣を扱えるのもバレてしまっていたし」

 ジュリアが呼応するように呟き、ひとりうなずく。


 沈黙が降り、空風が冷たく二人の間を抜けた。

 耳が痺れるような冷たさに、ジュリアはふと違和感に襲われて、

(なんだ?)

 と暗い空を見上げる。

 澄んだ空気の先で、星が瞬いていた。


「や、あの、言っていい? ジュリア、それ大丈夫? 天然? わざと?」

 押し黙っていたスヴェンが、耐えかねたように言った。

「何が?」

「何が?」

 問いかけたのに、そっくりそのまま返される。


「いや、ジュリアと一緒に祭り行きたかったんじゃないのそれは。ただそれだけだと思うよ? なんで護衛の依頼を受けたような気になってんの?」

「俺と祭り……?」 

 そういえば、ロザリアともそんな話になったな、と記憶を追いかけていたら微妙に反応しそびれた。

「えええ、意外そうな顔すんなよっ。何いまの反応。んん? 誘われたってそれデートしようって意味だろ?」

「つい最近までは俺は女だったし、みんな友達だし。今さら改まってデートなんて」

「んん~~~~!? 何この……、話の成立しないかんじ。手応えがおかしい。オレがおかしいの?」

 大げさに首をひねるスヴェンに見切りをつけ、ジュリアは辺りを見回した。

 だいぶ広場から離れたせいか、喧噪は耳を澄ませても聞こえるかどうかといった程度。辺りには人影もない。


「祭りはさー。好きなひととデートしてさー。踊ったり飲んだり話し込んだりして、そのまましっぽりと……って聞いてるか?」

 話し続けるスヴェンの腕を、ジュリアの手がとん、と叩いた。

 緊張がはしり、スヴェンはすぐに口をつぐむ。

 ごく低い、囁きの声音。


「何かいたのか」

「いる」

 気配を殺して、建物と建物の間を伺うように近づくジュリア。

 その動きを止めるでもなく、スヴェンは目を細めて見ていた。

「音を立てないようにしている。普通じゃない。後ろめたくない人間は、あんな動きをしない」

 壁に張り付き、灯りの届かぬ細道の先に目を向けて呟くジュリアの口ぶりは、治安維持に関わる案件だと確信している。

 そういった一連の動きを、スヴェンは声を立てずに見守っていた。


「どうする。家に忍び込んだあたりで、現行犯で逮捕か。それとも今行くか」

 ジュリアの声はいたって冷静だった。これから人を殺すことを気にかけている様子は、一切ない。

 スヴェンは小さく息を吐いて、答えた。


「時間をかけたくない。馬鹿そうならとっとと捕まえてしまうに限る」

 そう言うと、ジュリアより先に立って細道に足を踏み入れたのだった。




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