第17話 魔法

「魔導、魔法、魔術。昔は細かな分類もあったが、今はその辺はあまりしっかりと使い分けられていない。生活に便利な『アレ』程度のものだ」

 ヴァレリーとラナンが、店舗兼住居として使っている建物の一階。

 夕暮れ時に集まった十歳前後の子ども六人ばかりを相手に、ヴァレリーはのんびりと立って歩きながら魔術の歴史について講義していた。


 木枠にはまったガラス窓から、橙色を帯びた光が差し込み、微細なほこりのゆらめきを可視化する。

 小さな木椅子に座った子どもたちは、話を聞いているようでもあり、聞いていないようでもあり。

 前後して座った少年に、ふわふわの金髪を後ろから一房掴まれたロザリアは、カッと瞳に怒りを迸らせて振り返った。

「勉強しないなら出て行きなさいよッ」

「してるしてる。魔術の歴史。だけど歴史じゃなくて実践がいいなぁ」

 癖の強い赤毛頭の後ろで両手を組み、背もたれのない椅子の上でそっくりかえって言う少年を、ロザリアはさらに強く睨みつける。

「基礎をおろそかにする人間が実践だなんて片腹痛いわ! なんでも実践、実戦って。即物的すぎて馬鹿みたい」

 敵意剥き出しで、相手を怒らせる気まんまんの喧嘩腰である。


「歴史なんか知らなくても魔法は使えるんじゃないのか?」

 赤毛の少年は、濃い緑の瞳を炯々と光らせて、ロザリアの顔をのぞきこんだ。

 近すぎ、と嫌がりながらロザリアは顔をそむける。そして忌々し気に言った。

「使えるでしょうけど、重みが違うと思うのよ」


 さほど広くもない上に、棚の並んだ店内を歩き回っていたヴァレリーが、二人の横に立つ。


「さて。この二人は俺の話を聞く気があるのかないのか」

 苦笑まじりに見下ろされたロザリアは、睫毛や唇をかすかに震わせて髭面男を睨みつける。

「聞いてるけど、リカルドがうるさいのよ」

「うん。リカルドは確かにうるさいな。俺の話を聞きに来てるんじゃなくて、遊びに来ているんだよな」

 すぐさま、リカルドと呼ばれた赤毛の少年はその場に立ちあがってヴァレリーに詰め寄った。

「そうじゃないけど、いつまでも座学で基礎だなんて……。オレも魔石に魔力を流す方法を知りたい。あと、大きな炎を出したり、雷撃で敵を撃つような魔法!!」

 ドカーン、と、両手を開いて爆発する光景を再現しているらしいリカルドに、ヴァレリーは面白そうに瞳を輝かせて笑いかけた。


「実用系の講義はラナンの担当だ。俺は二、三十年前ならもてはやされた攻撃系の魔導士でね。今の時代に合った魔法はそんなに持ってないんだ。ひきかえ、ラナンは魔物との戦いの終結した時代にふさわしい新しいタイプの魔導士だ。そういう、ドカーンとか、ズドーンみたいな魔法はこの先需要がない……というより国家に統制を加えられる、もしくは厳しく監視されるだろう。これから学ぶならラナンの使うような魔法がいい」

 視線が一瞬だけ、鋭さを帯びる。

 膝の上で手を揃えていたロザリアは、そんなヴァレリーをじっと見つめていた。

 やがて、話し終えたのを見届け、小さな唇から調べを紡ぐように声をもらした。


「魔法は……、以前は、原因が同じであれば結果も常に同じであること、つまり『再現性』が最重要視されていた。つまり妥当な呪文を用いて、適切な儀式を行えば、魔導士たるもの誰もが同じ結果を得られると考えられてきた。その為に、一つの魔法を成立させるために、一言一句違わぬ呪文を暗誦することや、大掛かりな呪法の為に揃えるべき祭具などが事細かに規定されていた。それは、魔法を魔導士の世界の特権に留めるため、一般の者には決して手が出せないほどに練り上げられ、複雑怪奇の様相を呈するに至った。しかし、今を去ること約百五十年前、一人の魔導士の大胆な試みによってこれらの通説が覆されることになる。即ち、煩雑な呪文も、仰々しい祭具も、必ずしも魔法の『再現性』には直接の関係がないという仮説が立てられ、立証される運びとなった。この検証に大きな影響を与えたのが、件の魔導士ディートリヒが手にしたある強力な魔石。至宝『レティシアの記憶』……」


 すらすらと語っていたロザリアは、そこで不意に口をつぐんだ。

 息を詰めて見守っていたヴァレリーが、ふーっと大きく息を吐き出す。


「その通りだ。ロザリアには座学は必要なさそうだな。以降、魔導士の専売特許とされてきた仰々しい前振りはどんどん簡略化され、呪文や道具を極力減らして魔法を発動させる方法が考案され、実践されてきた、と。さて今日は暗くなりそうだからこのへんで」


 ヴァレリーが明るい声で締めくくったちょうどそのとき、ドアベルが澄んだ音をたて、ドアからジュリアとラナンが顔をのぞかせた。


「お勉強の時間?」

「いや、終わりだ。ガキどもは暗くなる前に家に帰れ。気を付けてな」

 その声とともに、子どもたちがドアに向かう。ジュリアやラナンにまとわりつくように挨拶してから、夕陽に染まる石畳の街路へと飛び出して行った。

 ひとり、のんびりと席を立ったリカルドは、ロザリアに何か話しかけようとしたが、思い切り顔を逸らされて諦めたようにドアに向かった。


「それじゃ、先生また」

 軽く会釈して背を向けたリカルドの姿が見えなくなってから、ロザリアが「はー。やな奴」とぼやく。

 目元に笑みを滲ませて見下ろしたヴァレリーは何か言おうとしてから、思い直したように唇を閉ざす。

 代わりに、帰って来たばかりの同居人たちに目を向けて、にこりと髭面に笑みを浮かべた。


「おかえり。今日はもう客は来ないだろうし、勉強の時間も終わった。この後は少しのんびりしよう」

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