第6話 愛詩輝の春休み

 ボクは高校を卒業した。

 四月から大学生になる。

 東京にある私立大学の文学部日本文学科で学ぶんだ。すごく楽しみ。友だちをいっぱい作りたい。

 できれば恋人もほしいな。小説の話ができる男の子がいい。

 ともあれ、今は春休み。つかの間の自由な時間だ。

 本を読みたい。そして、小説を書きたい。

 書きたい書きたい書きたい書きたい。

 ボクは小説家志望なんだ。

 創作意欲はすごくある。でも何を書けばいいのかわからないんだよね。ちょっとしたアイデアが生まれることはあって、書き始めるんだけど、途中でこれはつまらないと思ってしまって、つまずく。未だに一つも小説を完結させたことがないんだ。

 高校時代ずっと悩んでいた。ボクはからっぽ。

 村上春樹様を尊敬し、こんな小説が書けたらいいな、と思ってる。

「風の歌を聴け」の書き出しは最高だ。

 引用するね。

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

 僕が大学生のころ偶然に知り合ったある作家は僕に向ってそう言った。僕がその本当の意味を理解できたのはずっと後のことだったが、少くともそれをある種の慰めとしてとることも可能であった。完璧な文章なんて存在しない、と。

 うっとりするよ。「完璧な文章」がここに存在してる。そしてボクにはけっして書けないだろうという「完璧な絶望」も存在している。春樹様は天才だね。

 ボクは本屋さんに行った。

 何か面白い小説はないかな。

 少年の顔がアップで描かれた表紙の本に目を止めた。平積みにされていて、少年がボクを呼んでいるような気がした。

 表紙の少年は目を大きく見開き、何かに驚いているようだ。シャツの第一ボタンをはずし、ネクタイは緩んでいる。もしかしたら、少女なのかもしれない。ボクみたいに、ボーイッシュな女子という可能性はある。背景は赤一色。

 本のタイトルは「なめらかな世界と、その敵」。

 直感に従って、その本をレジに持って行った。買った。

 この本は絶対に面白いという確信があった。

 自分の部屋で読んだ。姉は出かけていていなかった。静かな自室で、集中して読むことができた。

 SF短編集だった。そんなことも知らずに買っていたんだ、ボクは。

 うん、すごいよ、これ。表題作の最初の短編を読んで、買って正解だったとわかった。

 ボクは本の世界に引き込まれた。

 SFって、ちょっと理屈っぽくてむずかしいという印象を持っていたけど、これはちがう。

 エモい小説だ。

 最後の短編「ひかりより速く、ゆるやかに」。傑作じゃん。

 読み終えてすぐ、再読した。

 ノンストップで二回読んだ。こんなことしたのは初めてだ。頭の芯がクラクラした。

 伴名練様。新たなボクの導き手が現れた。

 こんな小説を書きたいと思わせてくれた二人めの人。

 SF、書いてみようかな。

 窓の外を見た。

 桜が満開だったよ。 

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