第10話 怪しげなスナック

「標本」という響きに一個のスツールが浮かぶ、

 あのスツールはスナックやバーなどで見かける椅子だが、どこだろう、祥子は下戸なのでスナックに行った経験は皆無に近い、その中で検討してみる。

 31歳、結婚直前に薬剤師の中島に「結婚祝いをしてあげる」と誘われ、行ったところがスナックだった、そこのスツールだったのだろうかと半信半疑で意識を向けると、当たっていた。しかし蘇った記憶はまだ朧気である。


 1994年、看護学校の臨時教務期間を終えた祥子は、結婚の予定があったので一年しか勤められないという旨を伝えたうえで、S県K市のI病院で非正規社員になった。そのひと月後には正規社員になっていたのだが、その病院に薬を搬入していたのが中島だったのだ。スキー旅行以来のであるから5年ぶりの再会ということもあり、元K病院の同僚という懐かしさから

「わぁ、中島さんやないですか」と祥子の方から話しかけている。中島は下ネタが多くて冗談はきついが面白味のある人間だと思い込んだままだったのだ、そして祥子は来春の結婚の報告をしている。


その時から

「お祝いに御馳走してあげるわ」と誘ってもらっているが、そのうち

「ここへは薬を搬入するだけで会話は禁じられている。

ばれたら契約解除されてしまう」と言われ避けられている。


 祥子はその理由が気になる、たまに会うと「何故」と疑問を投げ続けている。


 そしてある日突然、調剤薬局の業者が変わっていた。


 寿退職間近にI病院の駐車場でばったり会って食事に誘われる。その日は都合の良い日を決め、このI病院の駐車場で合流することを決めて別れた。


 ところが晩御飯を食べると思って付いて行けばスナックに連れて行かれた。

 

一瞬戸惑ったが、下戸のためにお酒は飲まないし、中は明るかったので安心して入った、そしてウーロン茶を頼んでいる。


 お茶を待っている間に、中島にI病院職員との会話が禁止になった経緯を質問している。聞かされた内容は、


 もともとI病院に薬を届けていたのは大黒だったこと、


 最初は理事長であるI先生とも仲が良かったが、ある日、大黒がI先生にあるものをプレゼントしたら、それが逆鱗に触れ、貰ったものをその場で壊され契約解除されそうになった。


 その後、大黒は平謝りに誤って渋々ではあるが契約解除には至らずに済んだ、しかし大黒自身は出入り禁止になり、そのかわり別の人間が担当するという条件で中島が担当するようになったというのだ、逆鱗にふれるようなプレゼントとは一体どんなものなのか好奇心は止まらない。


「プレゼントって、仕事に使うもの?」

「そうやな、参考にはなるなー、ヒントは、標本みたいなものや、それを点滴瓶の箱に入れといたんや」

「標本がプレゼントに? 医療の参考になるんやったら喜ばれるはずやけど」

「そうや、喜ぶ人の方が多いと思うけど、I先生は喜ばんかったんや」

「でも、結局、違う業者さんになりましたよね」

「・・・そうや」中島は宙を向いて答えている


 55歳の祥子は推理してみた、I医師は新しく採用する看護婦が元K病院の看護師だったと知り、大黒に祥子の人間性を尋ねたのかもしれない、すると「標本」という名目の盗撮写真ががプレゼントをされ、それに激怒されたのだろう、そういえばI医師は祥子と目を合わせなかった、祥子にはそのことがずっと腑に落ちなかったが、迷惑を掛けていたことに気づき、申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいになった。そうとも知らず、自分から「中島さ~ん」と話しかけていたのだ。


 ところでスツールが何故記憶に残っているのかと言うと、しきりにお酒を勧められ「眠くなったらそこで休めばいい」と示されたのが一個のスツールだったのだ、

「ここで寝るの」と疑問になって見入っていたから記憶に残っていたのだ。

「足らなかったら二つでも三つでもくっつけられる、それ以上は必要ないな」と言われたが、それも疑問だった

「あそこに背もたれ付きのソファーがあるのに、なぜスツールなの」

「あの場所は後で予約客が来るから」。

「なんで中島さんが予約客のことを知っているの?」

「・・・」

「それに、お客さんの目の前で寝てたらあかんやろ」。

「あ、そうやな、それやったら二階で寝てもいいよ、なぁ、マスター」とマスターに振ったので、マスターは一瞬目線を上に向け、

「まぁ、今日は、嫁は帰ってこないからいいよ」と答えている。

(二階になんて行く訳ないやろ)と思っている。


 なかなかウーロン茶が出てこない、何度か催促して、やっと水を出してもらえた。


 帰り際、中島は別のテーブル客ともめている。

3・4人の客だった。長島は祥子に先に店を出るように促しながら、その人たちには片手で、スマンという合図を送っている。


 店を出るとマスターも出てきて、準備中の札を営業中に変更した。祥子は中島に

「札が準備中だったよ」と聞いている。

「札を表にするのを忘れてたんやろう」と言って、話題を逸らされる、その時は疑っていなかったが、55歳の祥子なら推理できる、21歳の時の性器の写真と比較するためにスツールに寝かせ、写真を撮るつもりだったのだ、その目的で連れて行かれたとしたら、あのガラの悪い客らに強姦されていたのかもしれない。

 恐ろしい、しかし中島には良心があったから決行しなかったのだ。

 

 中島は祥子をI病院の駐車業まで送ってくれた。車内では珍しく中島の口は重い、店内で揉めていた客との事で頭がいっぱいの様子だった。

「約束をキャンセルしたから追いかけられる。捕まったら殺されるかもしれない、このあと逃避行する」と話しているが、中島は何時も冗談ばかり言っているので大して気にも留めず、

「逃避行、頑張って」と返している。中島は祥子を送ると、

「お幸せに」と言って去っていった。


 その直後から祥子の頭の中は、当時はフィアンセであった敬寿の事でいっぱいだった。帰宅すると敬寿から電話が掛かる

「男とご飯を食べに行くというから心配してたんやで、でもお酒飲めないから大丈夫やとも思っていたけどな」

「全然大丈夫や、そんなこと考える人と違うし」

「男がご飯に誘うということは、下心があるんやで」

「冗談ばかり言わはるけど、そんな雰囲気はないし大丈夫や」


 性善説を信じていた祥子は油断を纏っていた。


「もしもし標本ですが・・・夏美さんいますか」

 独り言が繰り返される。

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