第162話 花差凪いで
花差湾は凪いでいた。
僕とカナはふたつの岬に挟まれた穏やかな海を見つめていた。
この湾は恋人の聖地と呼ばれている。
「離さないで」という崇高な願いに繋がる地名は、まさに聖地と呼ばれるにふさわしい。
特に凪の日にカップルでここを訪れると、ふたりはけっして別れないと言われている。
「凪いでる」とカナが言った。
「凪いでるね」と僕は答えた。
それは、けっして別れないという決意表明も同然の台詞だった。
ふたつの岬の名は、男神岬と女神岬。そこには男神神社と女神神社がある。
「お参りしよう」
「お参りしましょう」
どちらともなく言い合って、僕らはふたつの岬の神社を巡った。
僕は男神神社で縁結びのお守りを買った。
カナは女神神社で子宝祈願のお守りを手に入れた。
そして、ふたつの岬を繋ぐ砂浜で、それぞれのお守りを交換し合った。
こうすることにより、しあわせな結婚生活が送れることになるらしい。
いつの間にか、そんな神話がネットで語られていた。
僕は花差市生まれだが、子どもの頃には、そんな話はなかった。
知らないうちに、神話ができあがっていた。
誰が言い出したのか知らない。
カナが嬉し涙を流してお守りを握りしめている。
それだけでいい。
神話をつくった人に感謝を捧げたい。
花差湾の水は清らかだ。
エメラルドグリーンとは、この海の色を表すためにあるとまで思ってしまう。
岬巡りをする前は天高くにあった太陽が、いまは花差湾の水平線に近づいている。
雲ひとつない。
海面はまだ凪いでいる。
奇跡のような日だ。
僕とカナは手を繋いで、夕陽を見つめていた。
僕たちのようなカップルは砂浜にたくさんいて、みんなにじむような太陽を見ている。
きのう、僕はカナにプロポーズした。
彼女はこくんとうなずいて、「明日、花差湾へ行こう」と答えた。
そして今日、花差湾は完璧に凪いでいた。
僕はしあわせだった。
カナは泣きながら微笑んでいる。
彼女は東京出身だが、この美しい海を心の底から愛していて、花差市で暮らしたいと言っている。
僕らは花差湾の夕陽を黙って眺めつづけた。
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