第19話 炎の縄文アーティスト

 あたしはトネリコとタンポポの娘、スイセン。

 火の神が現れるまで、海辺の村でしあわせに暮らしていた。

 父トネリコは土器職人。

 少年時代に片足を鮫に食われて、漁に出ることができなくなった。だから、土器職人になった。筋がよく、師匠の技をすべて盗んで、師匠亡きあと、村一番の土器職人になった。とあたしは母タンポポから聞いた。

 縄模様をつけたトネリコの土器は村人みんなに愛され、親しまれ、煮炊きに使われている。

 父は粘土をよく練って紐状況にするところから作業を始める。紐を土器の形に積んで、積痕を消して、縄で美しい模様をつけた。月が一度満ち欠けするほどの期間よく干してから炉で焼き、どっしりとした安定感のある器が完成する。

 実用性の高い土器だ。村中の人が使った。交易品として、山の民の持ち寄る獣の肉と交換されることもあった。

 あたしたちは海の民だ。ふだんは魚を食べている。魚は美味いが、鹿や猪の肉はまた別の旨味がある。

 あたしは父を尊敬している。幼いころから、父の跡を継いで土器職人になると決めていた。

 あたしはいつも父のそばにいて、その技を盗もうとして、父の作業を見つめていた。

「スイセン、見てないで、こっちに来い。作り方を教えてやるから」

「技は盗むものじゃないの?」

「もうそんな時代じゃない。技はきちんと教育して伝えるべきものだ。私たちは新時代に生きているんだよ」

 父はやさしかった。

 あたしはしあわせだった

 あいつが来るまでは。

 十四歳のとき、山火事があった。大きな火事で、村から見えるすべての山が燃えていた。いつも青々としている山脈が赤く燃え、空にはもうもうと煙が舞い上がっていた。獣が逃げてきたが、どの獣も火につつまれていて、まもなく焼け死んだ。人間も同じだった。

 やがて炎の中から、平然とあいつが現れた。

 異様な男だった。

 瞳は紅く、髪の毛は炎のように逆立っていた。体のあちこちから火が噴き出していた。しかし焼け死ぬことなく、動いている。

「我は火の神」と異常な男が言った。しゃべると、口から青い火が出た。

「山の民が供え物を怠った。だから焼いてやった。もう山には誰もいねえ」

 火の神は笑っていた。

「魚をお供えすればよろしいでしょうか」村長がおずおずとたずねた。

「そりゃあ当然供えてもらう。でもそれだけじゃあ足りねえな」

「どうすればよいのでしょう」

「我をたたえよ。我にふさわしいアートを献上せよ」

「アートとは何でしょう」

「アートはアートだ。この村で一番の作り物を献上しろ」

「土器でいいですか」と父が言った。

 みんながトネリコを見た。

「土器でもよい。土器もアート足り得るであろう。魂を込めた土器を作れ」

「火の神様にふさわしい土器を作りましょう」

 父はすぐに作業に取りかかった。粘土を練り、紐を土器の形に積み上げ、ていねいに縄模様をつけて、何日もかけて乾かした。焼き上げ、完成品を火の神に献上した。いつも父が作っている使い勝手のいい土器だ。縄模様は複雑で、手が込んでいた。

 これなら火の神も満足するだろうとあたしは思った。

 しかし火の神は体全体を燃え上がらせて、怒った。土器を蹴り割って、バラバラの破片にしてしまった。

「こんな平凡な土器しか作れんのか! 我の求めるものはアート! たぎる情熱を可視化したアート! 今まで見たこともない土器を作れ!」

 トネリコは震え上がり、ひいっと叫んで、縮こまった。

「ひ、火の神様、山の民はどんなアートを献上していたのでしょうか」

「彼らは木彫りのアートを我に供えていた。心象風景を木彫りにした見事なアートであった。しかし、先代が死に、それを継いだ者の木彫りには、魂の欠片もこもっていなかった。ただの人の形をした彫り物だった。我は二度許し、彫り直させた。三度めも愚作であった。我は怒り、山を焼き払った。獣たちには気の毒なことをしたが、やむを得ぬ。我は怒ると、三万度の熱を発するのだ」

「私にはさきほどの土器以上のものは作れません」

「あんなものはアートとは呼べん。心の形をした土器を作れ。さすれば豊饒を授けてやろう」

 トネリコは土下座をしたまま、顔を上げなかった。

「私はただの職人です。アートなど作れません」

 村人たち全員の顔が蒼ざめた。トネリコがアートを作らなければ、代わりに作れる者などいないとみんなが思ったのだろう。

「この村にはアーティストはおらぬのか? 我は失望した。今、体内の温度が一万度にまで上昇した。誰か、我を満足させるアートを作れ。我が怒れば、こんな小さな村は一瞬で焼けてしまうぞ」

 村長がみんなを見回した。

「アートを作れる者はいないか?」

 誰も答えようとしなかった。

 父ができぬのなら、あたしがやるしかない。

「あたしがやる」手を挙げた。

 火の神があたしを見た。

「アートを作れ。神の心を鎮めてみせよ」

「期限は?」とあたしは訊いた。

「二か月やろう。一か月後に、二つめの土器を見せよ。二か月後に、三つめの土器を見せよ。それがアートでなければ、この村は燃える」

「三か月くれよ。あたしはまだ一つめを作っていない」

「この者が」火の神は父を指差した。「すでに一つめを作った」

 トネリコは震えているばかりだった。

 土器職人になるだけではだめだった。土器アーティストにならなければいけない。でもアートが何なのかわからなかった。

 たぎる情熱を可視化。

 心象風景。

 そんなわずかな手がかりしかなかった。

 山の民のアーティストはどんな木彫りを彫っていたのだろう。

「火の神様、山のアートはどんな形をしていたのか教えてくれよ」

「アートは人それぞれでちがうものだ。ある者は炎を彫り、またある者は踊りを掘った。共通していることは、作る者の心の象が表れていることだ。偽りなく心を描いている物は、我の心を打つ」

「神様、あんたの言っていることはよくわかんねえ」

「では火を表してみよ。我は火の神。火がうまく表現できれば、我をたたえるアートと認めてやろう」

 あたしは粘土の紐で炎の形を作ることにした。

 焚き火をじっと見つめた。揺らぐ炎を眺めながら、紐をよじれさせ、立ち昇る火、波打つ火を表現した。

 土器はしっかりと乾かさなくては、焼いたときに砕けてしまう。猶予はなかった。

 あたしは自分の作った土器を火炎土器第1番と名付けた。

 最初の土器、第1番を燃え盛る炉に入れた。

 二時間焼いて、完成した。

 これがアートなのかどうか、正直言ってよくわからない。

 村人たちが見つめる前で、あたしは火炎土器第1番を火の神に供えた。

 ごうっと火の神が半分燃え上がった。

「まがい物を作りおって!」と神は叫んだ。あたしの土器を気に入らなかったようだ。

 火炎土器第1番は蹴り割られた。

「こんなもの、アートとは呼べぬ。我の体内は二万度になった。次が最後の機会だ。アートを持って来い!」

「火の神様、あたしに助言をくれ!」

「心の中を見ろ。我におまえの心象風景を見せろ。炎をただ象っても、アートにはならん。我の心を揺さぶるようなアートを見せよ。見たことのないものを見せよ」

 あたしは謎かけをされている気分だった。

「そんなことばじゃわかんないよ」

「ことばでは伝えられんものがアートだ」

 やってられない、と思いかけた。

 しかしこの理不尽な神を驚かせるようなものをつくってやるという情熱があたしの中にあった。

 土器は美しいものだ。トネリコの土器は十分に美しい。でももっと美しいものを作ってやろう。

 あたしの心の中の情熱。

 あたしの心はどんな形をしているのだろう。

 鹿の心臓を見たことがある。あんな形だろうか。

 ちがう。もっとどろどろとして、不定形なものだ。

 交尾をしている蛇みたいな形だろうか。

 ちがう。もっと赤くて、熱いものだ。

 赤くて、熱い。それはもう形ではない。

 形ではないものを形にするのか。

 それがアートなのだろうか。

 よくわからない。

 でも心は無ではない。燃えるような何かがある。あたしには作りたいという情熱があった。

 憔悴しきったトネリコがあたしを見ている。あたしは父を飛び越して、職人を超えた何かにならなくてはいけない。アートを作るものに。アーティストに。

 どろどろして赤くて熱くてうごめいていて情熱にあふれている何かを作るんだ。

 あたしは具象としての炎を見るのをやめた。心の中に熱くうごめくちろちろとした火種がある。それを見つめた。火種は情熱の薪をくべると、ごうごうと荒れ狂って、あたしの皮膚を突き破りそうになった。

 今ならできそうだ。

 何も考えずに粘土の紐を編んだ。それは煮炊きをするためのものではなかった。底は尖っていて、歪で、天に向かって燃え上がっていた。炎を素にしていたが、炎とは異なる何かだった。それはあたしの心の象としか言いようがないものだった。今までにない土器だった。

 これが心象風景か。あたしは掴んだ。これがあたしのアートなんだと確信した。あたしは火炎土器第2番、第3番、第4番、第5番、第6番、第7番、第8番を作った。心のままに、いくらでも作ることができた。

 だが時間がなかった。2番から8番までを干し、焼き上げた。

 七つすべてを、火の神に献上した。

「見てくれ、火の神様。これはアートか? ごみか?」

 火の神が片目を向けた。その目が大きく見開かれた。両目を向けた。

 神の目から水があふれ出た。

「アートだ」と神が言った。

「見たことのないものだ。それでいて、懐かしいものだ。我はこれを求めていた。これがおまえの心の象か。我の心の象と似ておるわ」

 神の目から水がどぼどぼとこぼれ出た。たちまち水溜まりができた。

「この水は酒というものだ。火炎土器で汲み取って飲め。祭りをするぞ。酒とアートが揃ったら、あとは祭りをするしかない。飲め、歌え、踊れ! 明日から、海はあふれかえるほどの幸をこの村にもたらすだろう。豊饒の祭りだぁ!」

 うおーっ、と村人が吠えた。トネリコは笑みを取り戻し、誇らしそうにあたしを見ていた。

「おまえが土器アーティストだ。私を超えた」

「父さんの土器も必要だよ。煮炊きは、やっぱりトネリコの土器じゃないとね」

 私は祭祀用の火炎土器を作る。トネリコは日用品の土器を作る。それでいいじゃないか。

 火の神はすっかり落ち着いて、ニコニコしていた。もう皮膚から炎は出ていない。燃えているのは髪の毛だけだった。

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 東京国立博物館にはいくつかの火炎土器が展示されている。スイレンが作った土器かどうか、調べるすべはない。 

  

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