第74話 【番外】夢

「ただいま〜」

「おかえり、しょうちゃん。すぐご飯食べる?」

「うん、お腹空いた。着替えてくるね」

 ちょうど準備を整えた時に、部屋着に着替えたしょうちゃんがやってきた。


「今日も外回り? おつかれさま」

「うん、ありがと。お、ビーフシチュー! いいねぇ」

 最近のしょうちゃんはスーツで出掛ける事が多く、帰宅時間も早い。

「急に寒くなったから、あったかいもの食べたくて」

「んん〜美味しい。随分煮込んだんじゃない? 今日はお休みだったっけ、あぁランチ会って言ってたね」

「そうそう。きょうちゃん達がね、最近はしょうちゃんが病棟にいないから寂しいって言ってたよ」

「そう? 明日は顔出すよ。みんな元気だったでしょ」

「うん、相変わらずパワフルだね」

 以前の職場の同僚たちとのランチは懐かしい思い出話もあり、しょうちゃんの職場でもあるため揶揄われつつも最近の様子も教えてくれる。あれだけ病院漬けだったしょうちゃんも、他の医師に任せることを覚え、今は時短勤務としている。一時期の気分の落ち込みもなくなって、夜も良く眠れているようだ。

 そして最近は、何か新しい事を始めようとしているらしい。職場でも噂の段階で詳しいことはわからないため、私に聞いてくる子もいた。

「私もまだ何も聞いてないんだよ」

 そう答えた。

 私から聞けば教えてくれると思うけれど、別に聞こうとは思わない。何故なら、最近のしょうちゃんは楽しそうで私は何も心配していないから。しょうちゃんがやりたい事なら私は全力で応援するだけだ。改めて思う、私にとってしょうちゃんの笑顔は絶大なのだと。


「ゆき、コーヒー淹れてくれる?」

「いいよ」

 食後、私はじっくりと豆から挽いてコーヒーを淹れる。

「良い香りだね」

 背後から声が聞こえたと思ったら、背中がふわっと暖かくなった。

 私は一瞬手を止めて、大好きなしょうちゃんの温もりを感じながら、いつもよりもゆっくりとお湯を落とした。





「私が運ぶよ」

 お盆を手にして、しょうちゃんはリビングへ向かう。

 簡単に片付けをして、私も後を追う。


「ねぇ聞いてくれる? 私の理想の構想を」

 嬉々として私に問いかける顔は、まるで子供が将来の夢を語るような表情だ。

 テーブルの上には、今淹れたコーヒーとともに何枚かの紙やパンフレットが広がっていた。


「在宅医療?」

 しょうちゃんがこれからやりたい事、そのために準備している事を話してくれた。

「そう、訪問診療を主にやっていこうと思ってる。病院から退院した後もその人の人生は続いていくわけだから、不安なくその人らしい生活が送れるようなお手伝いが出来たらいいなって思う」

 訪問診療、いわゆる往診だ。病院へ来てもらうのではなく、患者さんの家へ行って診察をする。

 何か身体に不調がある場合はもちろん、特に変化はなくても経過観察として診察したり定期的に検査をする。基本的にはずっと継続してーーその人の人生が終わる、その日まで。

 しょうちゃんが今まで携わってきた救命救急とは、ある意味対極にある診療だろう。病気を診るのではなく、人を診る。

「しょうちゃんらしいと思う」

「そう?」

 私の言葉を聞いて、嬉しそうに笑う。

「でもこれって、24時間対応だよね?」

「そう、緊急時はね」

「お休みもないよね」

 私の心配はそこだけだ、しょうちゃんが1人で背負って頑張ってしまわないように。

「もちろん1人では出来ないから、そこは院長をおどしーーじゃなくて、協力してもらって若い医者を派遣してもらえるよう頼んでる。若い子たちも良い経験になると思うしね。無理はしない、約束する。あとね、今の病院と提携はするけど退職する形になるから、軌道に乗るまでは経済的には不安定になるかもしれない」

 金銭の事を話す時だけ不安げな表情になるのは、しょうちゃんの誠実さか。

「お金のことは、まぁなんとかなるんじゃないかな、私も微力ながら協力するし。しょうちゃんのやりたい事思いきりやってみたら良いと思う」

「ありがとう」

 しょうちゃんは、にこりと笑い大きく頷いて、安心したようにコーヒーを一口啜る。

 そして「時にゆきさん、相談があるんだけど」と、ここからが本題と言わんばかりに背筋を伸ばした。


「あ、はい」

 つられて私も緊張気味に返事をする。

「私と一緒に働く気はありませんか?」

「えっ」

「はっきり言います、引き抜きです。優秀な人材が欲しいので。まずは話を聞いて!」

「うん」

「在宅医療と一緒に訪問看護ステーションも立ち上げるつもりなの、病院と同じで医師だけでは何にも出来ないからね。だから看護師さんを募集しようと思ってる」

「訪問看護かぁ」

「もちろん、ゆきの意志が最優先だから興味なかったら断ってもらっていい。ホスピスの方も大事な仕事でゆきがやりたかった事だから無理にとは言わないけど、一度考えてみて欲しい」

「わかった、少し考えさせて」

「ん、ありがとう」

「他の人にも声をかけてるんだよね?」

「これからかける予定だよ、私の人脈では限界あるだろうけど」

 そんなことはないだろう、なかなかの人望だと思う。しょうちゃんが一声かければ手を挙げる人も多いはず。




 翌日、さっそく師長へ相談をした。いつ頃の退職ならば迷惑をかけずに済むかと。



 しょうちゃんの話を聞いた時、すでに私の心は決まっていた。

 私が何かをやりたいと言った時、しょうちゃんはいつも私の背中を押し応援してくれた。一年間の研修に行かせてくれたり、引っ越しまでもしてくれた。

 そんなしょうちゃんがやりたい医療を、私が手伝わなくてどうするんだ。


 一緒に働くこと、喜んでお受けします。

 すぐにそう言わず時間を貰ったのは、今の職場に出来るだけ迷惑をかけたくないから時期を調整するため。



「辞めちゃうの? 残念だわ」

 師長はそう言いながらもしっかりと話を聞いてくれて、退職の時期も考えてくれる。お世話になった3年でしっかり勉強させていただいたから感謝しかない。


「訪問看護ねぇ、これからどんどん必要になってくるわね。人員は集まっているの?」

「まだこれからです」

「ならそうね、病棟勤務に悩んでいたり訪看に興味ある子がいたら、声かけておくわね」

「ありがとうございます」

 仕事が出来る人は、こういう気使いも出来るんだなぁ。



 しょうちゃんに、その話をすると喜んでくれた。

 春には現在の職場であるのホスピスを退職し、しょうちゃんの仕事を手伝うことが出来る。


「早速だけど、今度の休みの日に付き合って欲しいところがあるんだけど、いい?」

「うん、いいよ」

 嬉々として誘ってくるしょうちゃんなんて珍しい。何処へ行くの? と聞いても行ってからのお楽しみってかわされた。

 うーん、楽しみだ。


 しょうちゃんの車で移動して住宅街の片隅までやって来た。

 敷地は広いが建物はこじんまりしている。中へ入るとまだ家具はなくてガランとしているが。

「基本は往診だから、そんなに広くないんだけどさ」

「うん」

「まだ先の話だけど、いずれはデイサービスとかも併設したいからさ」

「うん」

 窓から、無駄に広い外のスペースを見ながら言う。

「駐車場のスペースも余裕だし」

「うん」


「買っちゃった」

「うん、いいんじゃない」


「……いいの?」

 しょうちゃんの驚いた顔に吹き出しそうになる。

 こんなに嬉しそうに、こんなにワクワクした顔をして。子供みたいに「買っちゃった」なんて言っときながら、私が反対するとでも思ったのだろうか。

「素敵だと思う」


「うわっ、ちょっと」

「ゆき、最高だよ」

 心の底から喜んでいるのが伝わってくる。それは嬉しいしわかるんだけど……

「わかったから、おろして!」


 私の言葉を聞いた瞬間に、しょうちゃんが私を抱き上げたのだ。子供じゃないんだから重いでしょうに。

 おろしてと叫んだら渋々おろしてくれたけど、体はしっかりとホールドされたままだ。

 もちろん私も抱きしめ返したが。


「ありがとう、ゆき」

「こちらこそ、ありがとう、しょうちゃん」

 ありがとうの五文字の中にいろんな感謝を込める。


 一緒にいてくれてありがとう。

 しょうちゃんの夢に誘ってくれてありがとう。

 必要としてくれてありがとう。

 これからも一緒にいられることに、今まで支えてくれたことに、出会えたことに、生まれてきてくれたことに、全てのことに感謝して。


「ゆき」

 気が済むまで抱きしめ合って、ふと力が緩む。

「ん?」

「今夜は……しよ」

 耳元で囁かれ、完全に力が抜けた。


「よし、帰ろう」

 私の手を引きながらさっさと歩く。

「ちょっとしょうちゃん、そういうところー」

 せっかくいい感じに浸ってたのに!

「え、なーにー?」

 好きだよ、言わないけど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

だから最後の恋だって hibari19 @hibari19

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ