想いは遠回りして再開する
そすぅ
本編
もう諦めた。終わったんだ。ここから先は私が足掻いてどうにかなることではない。さあ、諦めろ、自分。現実を見るんだ。
気持ちを整えていつもの三文字で始める。
「おはよ、滴」
「ん、あ、葵、おはよー」
「・・・あの後どうなった?」
「OKしたよ。これで晴れて彼氏もち。」
「良かったね。」
当たり障りのない、短い言葉で間を繋ぐ。
「ん?なんかちょっと今日テンション低めじゃない?いつもより声のトーンが低いよ?」
「そう?んっ、んっ。どうかな、直った?」
「うーん、なんかまだ少し違う気がするけど・・・・・・。何かあった?」
「ううん、何も無いよ。うん、何も。」
「ならいいけど。何かあったらなんでも言ってね。私は聞くことしか出来ないけど、ほんとに、夜中の三時とかでも全然電話とかしてくれていいからね。」
そう言って頭をぽんぽん、と撫でてくれる。
「・・・・・・ありがと。」
ちょっと声が震えた。
気づかれたかな、彼女の顔に少し戸惑いが浮かぶ。それでも強引には踏み込んでこない。彼女なりの優しさだと分かっている。朝から少ししめやかな雰囲気にしてしまったと思った。
不意に抱きしめられた。頭をしっかり抱え込まれた。髪を撫でられる。何も言わずに。その優しさにまた絆されてしまいそうになる。決意が揺らぐ。だめだ。
「はい、ぎゅーっ・・・・・・。パワー注入っ!」
背中をぽんぽんしてくれる。
「元気出た?」
「・・・・・・うん。もう大丈夫。ありがとう。」
嘘だけど。今も頭がおかしくなりそう。でも、これから少しずつ短くなってしまうであろうこの時間を、これ以上湿っぽくしたくない。それにこれ以上、滴に心配をかけるのも嫌だ。
「じゃあ学校行こうか。」
「うん。」
そこからはいつものように学校へ向かった。「いつものように」だったのは表面上だけだったかもしれないけど。心は・・・・・・そう、木々を呑んだ濁流のように、汚く乱れていた。
学校が終わり、下校時刻。滴の教室に行くと、例の彼と談笑していた。彼女は私に気づくと笑顔で手を振った。お楽しみのようで。おじゃま虫は退散しよう。手首だけで軽く手を振り、私はひとり、帰路に着く。
ふたりで帰るときにはあっという間の道。ひとりではやけに長く感じる。あ、こんな所にカフェできたんだ。テラス席には男女のカップル。毎日通っていたのに気づかなかった。なんだろう、虚しい。やっぱり、傷ついてるのかな、私。遅かれ早かれ、この時が来ることはわかっていた。想いが伝わるとも思っていなかった。伝えたら終わってしまう。親友という地位に甘んじるしかなかった。
こうした傷は時間がどうにかしてくれると相場が決まっている。さあ、時間よ。早く傷を癒しておくれ。
三ヶ月経った。恋愛は三日と三ヶ月と三年の節目があるらしいが、噂によるとまだ続いているらしい。・・・・・・幸いにも。
一方の私は、滴のそばにいるのが辛くて、あまりに綺麗すぎる彼女の横では自分の醜さをまざまざと見せつけられるようで、少しずつ距離をとった。あの日から一週間もした頃には、毎朝のあの時間も自然消滅した。私が一方的に離れたのだから、消滅させたという方が近いのかもしれない。例の彼が聖人と囁かれる人格者なのがせめてもの救いだった。いや、とんでもない男の方が良かったかもしれない。そうであったなら、そいつを殴り飛ばして万事解決だった。何はともあれ、彼の元になら彼女を任せられる。こんなことを思う私は一体どの立場から言っているのか、自分でもよく分からない。
空白を、ほかの友達で埋め合わせようともした。友達は決して少ない方ではない。適当な男子を好きになってみて、新しい恋をしてみようともした。男子に告白されることもしばしばあった。上手くいくわけがなかった。そして私は、私の中に空席を残したまま、鈍い色合いをした世界で三ヶ月を過ごした。三ヶ月前と同じ時間。放課後。同じクラスの友人は部活やらバイトやらで早々に退出し、教室に残ったのは私1人。疲れた。まだ最終下校時刻までは時間があるし、少し昼寝でもしよう。
誰かに肩をゆすられた気がした。教室の前の方にある時計を見る。なんだ、まだ最終下校時刻の一時間も前じゃないか。肩を揺すったのが巡回の先生じゃないなら、誰?後ろを見る。久しぶりの顔だ。
「おはよ。あと、久しぶり。」
「あ・・・・・・、うん、久しぶり。」
「えっと、一緒に帰ろ?」
一年生の頃、たまたま席が隣で言われた言葉と同じ、始まりの一言であった。
半端な時間で人気のない通学路。三か月の空白がもたらした沈黙に耐えかねて、先に口を開いたのは私。
「あの・・・・・・今日は彼氏は部活?」
「ううん。別れた。」
「えっ。」
「いいやつだったんだけど、ちょっと気が利きすぎててなんていうか、歩調が合わない感じがして。あと、あいつ、ほんとにすごくて、私の心が読めてるみたいだったんだ。本人曰く、そんなの見てたら普通にわかるらしいけど。それで、付き合い始めた頃から私と葵がちょっと離れがちになってて、それを私が気にしてるのも気づいたみたいで。『俺のせいかな・・・・・・』とか言い出してね。それがずっと引っかかってたらしくて。三ヶ月間付き合ってはみたけど、その引っ掛かりだけじゃなくて色々と微妙にずれちゃってさ。お互い、それに気づいて合わせようとしてみたんだけど、だんだん息苦しくなって、それもお互いに気づいてて、ちょうど三ヶ月の今日、別れることにしたの。」
「そう・・・・・・。」
ふたりが私の事を考えてくれていたのは予想外だった。そして、それに気づかずに一方的に距離を置き始めた自分を恥じた。結局、祝っていたのは口先だけで、心は酷く自分勝手だったんじゃないか。その上・・・・・・。
「別れた理由に私があるなんて・・・・・・。なんていうか、私のせいで、滴の幸せを壊しちゃったなんて、どう償えばいいか・・・・・・。ほんとにごめん。」
「いいよ全然。さっきも言ったように少しずれてたところもあったしさ。ちっとも気にしなくていいよ。本当に。」
「そんなこと言ったって・・・・・・。」
しばしの沈黙。少し先を歩く滴との距離は、少しのはずなのに遠い。
「なんてね、嘘だよ嘘。」
「え・・・・・・。」
血の気が引くというのはこういうことなのか。体の奥の方がひんやりとする。力が入らなくなる。声が出ない。思考がまとまらない。黙り込んだままの私の方を振り返る滴。
次の瞬間、私は滴の腕の中にいた。変化球の第二波に煽られ、ますます混乱は強まる。滴の手が背後に回り込み、強く締め付ける。滴が何を考えているのかわからない。もし、このまま背骨をへし折られてぐちゃぐちゃにされても、私には文句を言う権利などない。人の幸せに水を差したのだから。恐怖にも近い混乱で速まる鼓動は小動物のようだ。耳元で滴が囁く。
「全部、葵のせいだよ。」
声が震えている。しかし、怒りで震えているのとは違って、寂しげで細い糸のようだ。
「ぇっく」
恐怖が和らぎ、戸惑いに変わる。多分滴は泣いている。恐怖がなくなり感覚が少しずつ戻ってくる。そして気づく。速いのは私の鼓動だけではなかった。滴が唾を呑む音が聞こえる。
「あのね、私、彼以外に好きな人がいたの。初めはそんな気持ち全然なくて、友達としか思ってなかった。でもだんだんよくわからなくなって、一緒にいると幸せで、近くにいないと寂しくて。もしかしてって考えたら、それしかありえなくて、恋なんだなって。でも、でも想いが届くなんてことはないと思ってたし、届いたとしても受け取ってもらえなくて、離れちゃうのかなって思ったらどうしようもなかった。彼に告白された時、迷ったよ。だって他に好きな人がいるんだもん。もちろん素敵な男子ではあるんだけど、でも、好きとかではなくて、でも付き合ってみたらもしかしたら好きになるかもって思って。それで付き合ってみたんだ。付き合ってみたら、私にはもったいないくらいで、続けてたら本当に好きになるかもって思った。だけどやっぱりダメだったよ。葵が離れて行っちゃうことが辛くって、でもなんで離れていくのかもわからないし。あの一週間でもっとしっかり話せばよかったって後悔ばっかりで。やっぱりあいつもそれに気づいててさ、話を聞いてくれてね。そしたらさ、背中を押してくれて、ほんとに聖人かよって。ひどいことしちゃったのに、それを許して、応援までしてくれるなんて。それで、今日別れてきたの。だからもう逃げない。」
途中、何度も鼻をすすり、唾を呑み、しゃくりあげ、それでも必死に言葉を繋いで、私に伝えてくれているのを感じた。触れる肌から言葉以上の感情が流れ込んでくる。
「葵。好き。大好き。友達とか、そういうのじゃなくて、女子同士とかも関係なくて、本気で愛してる。葵がいい、葵以外いらない、だからもう、離れないで。友達からでもいいから、やり直そう。」
体ごと抱きしめられていた腕を少し動かす。滴の腕が緩む。滴の腰に手を回して抱きしめる。勇気を出して。素直になる勇気を。怖くない。
「離さないよ。絶対に。ごめんね。ほんとは、私もね、私も、ずっとこうしたかった。伝わるわけないって言い聞かせて、ずっと言ってなかった。伝えて、受け取ってくれたとして、私を傷つけないために合わせてくれちゃうんだろうなって決めつけてた。伝えてなくてごめん。気づいてなくてごめん。滴から離れてごめん。滴の声も、滴の言葉も、滴の匂いも温度も髪も目も腕も、全部、全部大好き。」
首筋に水滴を感じる。堰を切ったように滴の涙が肩を濡らす。とうとう滴は声をあげて泣き出した。
そろそろ限界が近い私は、滴の背中をさすりながら、滴からの告白への返事を紡ぎ出す。
「『友達から』じゃなくて、恋人として、やり直したい。」
その一文が私の堰を切った。とめどなく流れ出す感情は、あの日の濁流とは違う。咽び泣き、ぐちゃぐちゃな顔を滴の肩にうずめた。お互いの嗚咽の中、小さく「うん」という返事だけは確かに聞こえた。
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